第三章

宵の夢 -reminiscences-

 振り返ったそこには、薄汚れた白いワンピース姿の少女が立っていた。少女…だったのか、髪の毛が長かった事からの連想でしか無いが、そのワンピースに負けずとも劣らない真っ白な肌と、大きな瞳が真っ直ぐにキトリを見つめていた。ひゅっと肩をすくめて相手も立ち止まる。少しよろけて左半身を壁にもたれるようにした。怯えていたのだろうか。僕はそんなに、怖い顔をしていたのだろうか。何にせよ、まるで初めて人を見るかのような、そんな視線だった。

 

 ……はっきりと伝ってきた壁の色、その脆さ、高さや太陽の位置まで覚えているのに、その少女の目と髪、そして洋服以外が靄がかったように僕の記憶を覆い隠す。鼻は……口は……? 手は、足は……、ダメだ、思い出せない。

 

 壁に押し付けるように隠していた左手が震え、壁に当たってカチカチと鳴っていた。

見られた。見られてしまった。そう彼が認識をしていた時には、全力で裏路地を走り、重たいドアを必死に開けて部屋に飛び込んでいた……


 夕食は散々なものだった。今日は食べちゃいけないと事前に言われたかのような、借りてきた猫のような大人しさで、数口スープを飲んだだけでキトリは席を立った。体調を気遣って聞いた母に、なんだかとっても眠いんだ、とその場凌ぎの嘘をついて廃物置き場へ走った。あのままずっと両親の前に居たら、僕は自ら今日の罪を話してしまいそうだった。


 ゴミの山に飛び込むようにして、キトリは突っ伏して泣いた。絶対に声だけは漏らさないようにと、いつも使っている毛布を噛み締めて泣いた。僕は悪い子だ。お母さんとの約束一つしっかり守れない。僕は、悪い子だ。

 己が背負った悲運を庇うかのように、キトリは自分を責め続けた。ごめんなさい、と思うたびに、鮮やかな外の風景と両親以外に見た初めての人間の姿が想い出された。謝らなくてはいけない事のはずなのに、飛び出した世界はあまりに綺麗だったせいか、胸が高鳴った。いつの日か、窓柵の隙間から漏れる日の光を眺め、襲われる睡魔に身を預けようとしていた頃、楽しそうな子供の声が、窓の下を走り去っていく声が聞こえた。

『明日はカンケリやろうぜ!!』

 カンケリ……それは一体なんだろうか。とても楽しい事なんだろうか。子供がたくさんいないと、外じゃないと出来ない事なんだろうか。

 

 こんな左手でも、出来るのだろうか。


 また、行きたいな。

 正直な感想を呟いてみた。……別段、罪の意識が増えた感覚は無い。僕は本当に悪い子だ。そう思いながらも想像は加速していく。……そしてまたあの子と会えたら、今度は逃げ出してしまった今日を謝るんだ。そして、カンケリって何なのかを聞きたいな。一緒に出来るかな。

 何て言うんだっけ、こうやって、一緒に遊んだり、する、人同士の、事……

 

 すー、すー、と穏やかな寝息を立てて、キトリは眠った。

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