『令』という愛情
キトリが塗り薬と包帯を持って駆けつけた時には、既にシエラは己の力でその身を起こしていた。ずりずりと這うようにソルマの元へ近づき、彼を楽な姿勢にとその手を、その足を優しく誘い、体を仰向けにさせてようとしていた。持っていた薬を放るように投げ、その動向に手を貸した。背中の傷はあまりに無残で少々躊躇ったが、左手は腰の後ろに隠しつつ、体で父を支えるようにして右手でその体を仰向けに寝かせた。母がゆっくりとした手つきで父の手を組ませ、自分もその上に手を置いた。
「お母さん、傷……」
斬られた衣服から露わになっていた母の背中は、不気味なほど紅黒く染まっていた。キトリは自分の背中がズキズキと痛むような錯覚を覚えた。急いで持ってきた包帯を膝の上で伸ばし、塗り薬のフタを左小脇に抱え、カパンと開けた。独特な感触の半透明な薬を目一杯指で取り包帯の上に引き伸ばす。何度も塗り薬を指で取り、包帯に絡めていく。
『傷、深くはないみたい、、動けるわ。大丈夫よ、キトリ』
シエラは見え透いた嘘を付いた。それがキトリに聞こえていたがどうかは解らなかったが、やがて空になった薬のビンを置き、キトリは余った包帯を己が左手で引き斬り、母の背中へと近づけた。
『……っっぐ!!』
痛くない、はずがない。だから触れる程度にとキトリは背中に置いただけだったが、それでも母の反応は耐え難いまでに痛みを堪えるものだった。ふるふるとその身を震わせたその姿は、父に手を重ね泣いているようにも見えた。キトリは父を見つめ、ギリッと歯を軋ませた。ヂヂッ、ヂッ、その怒りに呼応するかのようにキトリの左手が微かに哭いた。
『キトリ、よしなさい。怒りは何も生まないわ……』
ハッとして我に返ったキトリは、その左手の熱さに気がついた。いつも父が火にかけた、あの焼け焦げた、嗅ぎ慣れた鉄の匂い……。一目したその手は、小さくぐにゃりと揺らめいているように見えた。次第に覚めていく熱と共に、薄暗い沈黙が二人を覆った。母は余った包帯を手に取り、きゅっと握り締めてキトリを見た。
『お父さんは……あなたを信じたのよ』
「……え、何?」
『キトリの力を信じて、バドラル兵に歯向かったのよ……』
「………そんな……そんな事」
『でも、あなたが一番わかったでしょう。怒りは悲しみを増やすだけ。憎しみは人を傷つけるだけ。そんな事、二度とお父さんは望まないわ』
「うん……うん……」
『……この世界はまだ生きてる。町の人も、私たちも、みんな、みんな…そう信じて生きてる。きっとこの悪夢も、終わるって……』
悪夢。自分がした事の現実は、壁に大きく刻まれた大きな窪みとなってそこにあった。
『お母さん、包帯くらい自分で巻けるわ。ありがとう。薬で痛みが和らいだわ』
母の精一杯の優しさがキトリの胸を更に苦しめた。
『きっと明日にでも、国の兵があなたを捕まえにやってくるわ、だから…』
「! ……に、逃げなきゃ、お母さん!! ねぇ! 早く! 逃げなきゃ!」
『……いいえ、逃げるのはあなた一人よ、キトリ』
「!?」
目を見開いたキトリは、更に口調を強めて返す。
「何言ってるの!? 一緒に逃げるんだよ! お母さん! ねぇってば!」
ぶわっと目蓋に涙がたまる。
『キトリ、これは「令」よ。お母さんがキトリに言う、最後の「令」』
「嫌だよ……何で……どうして?!」
『「令」は絶対と言った筈よ! つべこべ言わず早く行きなさい!!』
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