(18) 守りたいもの

「なあ、俺ら帰っても良かったのか?」

「私たちがいたところで、何かができるわけじゃないもの。真実は知ることはできたし、これ以上いても迷惑になるだけよ」

「それもそうだけどよー」


 ぶつくさと、ヒカリは言い足りないのか、まだ文句をたれる。

 先程まで歌っていた余韻からとっくに醒めている唄は、これからのことを考えていた。


 これから自分はどうするのだろう。

 明日、予告状通りに『虹色のダイヤモンド』を盗む予定だが、それは失敗するだろう。


 葛藤がなかったといえば、嘘になる。

 また、二年前みたいに、『怪盗メロディー』が馬鹿にされることは目に見えている。けど、陽性との約束があるから、今回は諦めるしかないだろう。

 考えているのは、汚名をどうやって挽回するのか、だ。地道に、まだ隠れているお宝を盗みだしてもいいし、少し大きな仕事をしてみるのもいい。


 唄は、まだ『怪盗メロディー』としての活動を、諦めるつもりは毛頭なかった。

 昔、物語の怪盗に憧れたように――両親の怪盗の姿に憧れたように。

 怪盗になるのが、唄の夢だったのだから。


 最後尾を歩いていた風羽が、声をかけてきた。


「その顔じゃ、まだ怪盗は続けるつもりみたいだね」

「なに、風羽。不満かしら?」

「いや、良かったと、思ってね」

「そう? なら、これからもよろしくね、風羽」

「こちらこそ、よろしく頼むよ、唄」

「俺だって、これからもたっくさんっ、役に立つぜ!」

「そう、頑張って」

「なんか唄、俺にだけ冷たくねぇかぁ?」

「気のせいじゃないかしら」


 いったん止まっていた足を動かして歩き出すと、後ろで風羽がヒカリに何やら囁いていた。


「そうだよ、ヒカリ。唄は、君のことを心配して、冷たく当たっているだけなんだから」

「え、どういう意味?」

「君の家に行ったとき、話したはずだけどね。唄は、風邪をひいているかもしれないと、ヒカリのことを心配していたって」

「ちょっと、風羽。何を言っているのかしら?」


 慌てて足を止めると、唄は風羽を睨みつける。

 向けられる栗色の瞳を何食わぬ顔で受け止めて、風羽は口元に笑みを浮かべた。


「本当のことだろ?」

「え、唄。俺のこと、心配してくれてんの? なんで?」


 頭の周りにクエスチョンマークを浮かべた、お馬鹿面のヒカリが近づいてくる。


「なんっ。そんなこと、ないんだから!」


 すっかり冷静さを欠いてしまった唄は、思わず叫ぶ。

 恨みったらしく風羽を睨みつけると、踵を返して今度こそ家路を急ぐ。今までゆっくり歩いていたが、早歩きでこの場を歩き去ろうとした。

 後ろから、しつこくヒカリが追いかけてくる。


「ちょっと、唄ッ! 待てって!」

「こないで」

「いや、俺の家、お前の家の真ん前だし」

「どこかに行きなさいよ」

「こわっ。いや、でも、早く帰らないと、姉貴に怒られる」

「いくら怒られたところで、あなたの馬鹿は治らないのだから、いくらでも怒られればいいわ」

「いやいやいや、姉貴って、怖いんだぜ」

「知ってるわよ」

「だよなぁ。昔一緒にバカやって、一緒に怒られたこともあったもんなぁ」

「うるさいわね!」

「だから怒るなよぉー。俺、何かやったか? 悪いとこあったら治すから、言ってくれよー」

「それなら、まずはその馬鹿面を治しなさい!」

「それは無理だ」

「真顔で言うんじゃないわよ」


 呆れ顔で、唄はため息を吐く。

 なんだか馬鹿と話しているからか、馬鹿らしくなってきた。


 早歩きから普段のペースに戻し、唄は隣でしつこく話しかけてくるヒカリを、口を尖らせて黙殺する。

 早く家につかないかしら。そう考えていると、存在感を消していた風羽が声をかけてきた。


「それじゃあ、僕は水練のところに報告しに行ってくるよ」

「水練に、情報ありがとうって伝えといて。それから、明日もよろしくねって」

「伝えておくよ」

「あ、風羽。水連とこに行くなら、コンビニで夜食でも買ってやってくれ。あいつ引きこもりだから、食料なくなっても数日なにも食べなくても平気な体になってんだよ」

「そんな仕組みの体を持っている人がいたら、僕は逆にすごいと思うよ。わかった」

「好き嫌いはないだろうから、何でもいいぜ」

「君はよく水練のことを知っているね。……もしかして、彼女が本当は何者なのかも知っているんじゃないのかい?」

「ん? どういう意味?」

「なんでもないよ。じゃあ、また明日」

「おうっ! 明日はよろしくな!」


 背後で響いていた足音が、気配とともに消える。

 風羽は能力を使って、水練の廃墟マンションに行ったようだ。


 思い出したかのように話かけてくるヒカリを無視しながら、唄は空を見上げた。

 秋の夜。一部が欠けた月が出ている空は、曇りなく済んでいた。



    ◇◆◇



「ほぇー。ふーん。そうなんやー」

「唄はこれからも怪盗を続けるそうだから、よろしく、って言ってたよ」

「了解ー。あ、そうや、風羽。あんた、なんで唄と一緒にいるの?」


 一通り話し終えると、風羽は水練のもとを後にしようとした。

 だけど水練の問いかけに足を止める。


「どういう意味だい?」

「本当はな、訊かない方がいいかと思ってたのだけどなぁ、やっぱ気になるやんかー。だって、のお偉い息子が、怪盗なんて犯罪を手伝うなんて、よっぽどの理由があるんやろ」


 回転椅子をくるりと回し、水練が振り向いた。

 水色の瞳にあるのは、きっと好奇心。

 風羽はその瞳を見返して、一度ゆっくり瞬きすると、口を開いた。


「どうせ、あらかた調べてあるんだろ」

「……うん、いや? あんたがどうして幻想学園に転校してきたのかも、あたしは知らんよ。調べても分からなかったし。というか、あんたの兄さん、情報屋やろ。だったら、隠されてるんやない?」

「それもそうだね」


 早とちりをしてしまった自分に、ため息を吐く。

 けど、一度口にしようとした言葉は、淀みなく自分の口から出てこようとしている。

 ずっと誰にも言わずに隠してきたからだろう。


 水練の口は、軽く見えてもけっこう固い。彼女が自分と同じで隠し事をしているから、そう感じるだけかもしれないが。

 彼女になら話しても平気だと、風羽は根拠のない思いに捉われた。

 だから話すことにした。


「僕には、幼馴染がいたんだ。相原乃絵あいはらのえといってね、僕と同い年だったのだけど……二年前の夏休みに、彼女は僕のせいで死んだんだ」

「…………」

「僕が守れなかったから、彼女は死んだ。だから、代わりと言ったらヒカリに怒られてしまうだろうけど、唄があまりにも乃絵に雰囲気が似ていたから、守りたいって思ったんだ」


 ただそれだけだ。自分勝手な思いで、風羽は、唄の傍にいる。

 そこに、唄への想いはなく、ただ、忘れられない幼馴染の代わりにしているだけだ。


 バレたら、きっとヒカリに怒られるだろう。唄にも、嫌われるかもしれない。

 だけど、唄を守れるのなら、風羽はそれでもよかった。


「そうなんやー」


 水練が、妙に間延びした、緊張感のない声を上げる。


「……」

「まあ、いいんやない」


 水練は意地の悪い笑みを浮かべていた。


「あたしには関係ないし」

「……君ならそう言うと思ってたよ」


 思わず苦笑する。

 風羽は、それで話を切り上げると、帰ることにした。

 背を向けて玄関に向かうと、水練が声をかけてくる。


「明日もよろしくなぁ」

「ああ、こちらこそ。頼んだよ」



    ◇◆◇



 布団に寝かされている白亜を見下ろす赤い瞳を、水鶏は見つめていた。

 陽性の視線は白亜にしか向けられておらず、こちらを向く気配はない。


(そんなにも、お姉ちゃんが大切なの?)


 違うとわかっている。陽性が思っているのは、いつだって礼亜のことだ。

 白亜を布団に寝かす前、陽性はまだこの屋敷で一緒に暮らしてくれると言っていた。


 それでも陽性の瞳に、自分の姿が移ることはない。

 水鶏の想いに、気づくことはない。


 一人の人を思う、陽性の姿に憧れた。羨ましいな、かっこいいな。そう思った。

 憧れだと、ずっと思っていたいのに。


(こっちみてよ)


 少しぐらい、自分を見て欲しいと、水鶏は思った。


 ふと視線が上がる。


「どうしました、水鶏?」

「べ、別に」


 慌てて目を逸らす。

 まさか本当に視線が合うなんて思わず、顔がほてる感覚に目眩がする。


 もう時刻は九時をとうに回っている。

 もうそろそろ寝ようと、水鶏は立ち上がった。


「おやすみ、陽性」

「おやすみなさい、水鶏」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る