終楽章

終楽章

 その日も佐々部は遅れてやってきた。


「いやぁ、遅れた。警部怒ってるかなぁ。怒ってるよなぁ」


 肩につくほどまで伸ばしている紺色の髪はいつも通り、だけど服装は、いつも怒られてばかりなので、ちゃんとしたスーツを着てみた。家を出てくる前に念のために鏡を覗いたが、あまりにも似合わなすぎて爆笑したものである。シンプルなスーツだともの寂しさがあるので、アクセサリーとして銀色のネックレスはつけてある。


 緊張感のない声で、佐々部は〝白い園〟を見上げる。


「大きい建物だなぁ。お金持ち怖い」


 まるでそこにあるのが当然のように佇む洋館は、乙木野町の中でも、幻想学園についで、大きいとさえ言われている。その実は、世界的に有名な佐久間美鈴という女性の、趣味で集めた骨董の保管庫、または展示館として存在している。

 この洋館に、くだんの『虹色のダイヤモンド』が保管されている。


 展示館として使用されている部分は、普段は来店客が絶えることがない。

 だけど土曜日の夜である今は、一般人の姿は全くなく、洋館の周りをたくさんの制服警官が包囲していた。


 佐々部は、その中にスーツ姿の集団を見つけ、近づいて行く。

 ふと眉の刑事が佐々部に気づき、険しい形相で遅れてきた佐々部を叱責する。


「遅いぞ、佐々部!」

「いやぁ、すいません。道に迷ってしまいまして」

「わかりやすい嘘は寄せ。まあいい。時間もないことだから、今から指示する持ち場につけ」

「はーい。あ、了解いたしました!」


 ビシッ、と忘れず敬礼する。

 なぜか勝にため息を吐かれてしまった。


 指示された刑事が、少しずつ持ち場につくために離れて行く。佐々部の番になり、自分の持ち場を確認した瞬間、思わず目を見開く。


「え、これって」

「お前には、期待しているぞ」

「えー。あ、はい。かしこまりました」


 不服そうな顔をしながらも、上司に文句を言えるわけがなく、佐々部は指示された持ち場に向かう。

 洋館を包囲している刑事の合間を縫い、建物の中に入って行く。

 適当に近くに階段を上ったり、巡回している制服警官に道を尋ねたりしながら、佐々部は自分に割り当てられた部屋に入った。


 無人だった部屋の中は、佐々部がきたことにより、息を吹き返したかのように、生暖かい空気が部屋中に霧散する。

 部屋の中心、たった一つある透明の入れ物の中には、七色に輝くダイヤモンドが、まるで生きているように輝いていた。


「つまり、ただの警官だと食べられるかもしれないから、能力者である俺が割り当てられたってところだろうなぁ」


 あー、いやだぁ。

 叫びたい衝動を押し殺す。


(というか期待しているって、言葉にないこと言われてもねぇ)


 佐々部は、警察官の中では珍しい、異能力者だ。警察に所属している能力者は、片手で数えるほどしかいないとされていて、佐々部も他の能力者に会ったことはない。


 乙木野町には能力者が通う学校があるため、この街の中で能力者を嫌う人はほとんどいない。けれどこの町を出ると、それこそ都心も近くなると、異能力を持っているというだけで毛嫌いされることもある。

 佐々部は、警視庁の中でも浮いていた。他の刑事から話かけられることはなく、居てもいないものとされたり、時には遠くで陰口を叩かれたり、割り当てられる仕事も質素なものが多い。


 佐々部は本心を隠すことを得意としている。いくら周囲の人間に煙たがれようと、気にしないように過ごしていた。

 今回は、異能力を必要とされている。自分を散々のけ者にしてきた連中に、良いように扱われているように感じないこともない。


(ま、適当にやりますか)


 失敗したら左遷させられるかもしれないが、それでもよかった。

 刑事もなんとなくやっているし、いざとなれば知り合いの伝手を頼り、仕事を見つけることも容易だ。


(でも勝警部のメンツもあるしなぁ)


 勝は、異能力者の自分にも、他の刑事と同じように厳しく当たってくれている。なるべく佐々部が空気にならないように扱ってくれているのだろう。


(それにしても、メロディーか。何で二年前に盗むのに失敗した宝石を、また盗もうとか企むんだろうなぁ)


 怪盗の気持ちはよくわからない。考えても無駄だ。


 部屋の入り口で立ち止まっていた佐々部は、予告の時間になる前に宝石をと考えて、『虹色のダイヤモンド』に近づいた。

 ドクンと、まるで鼓動が聴こえてくるように、宝石が輝いた気がした。


「こっわ」


 喰われる前にと、佐々部は能力を解放する。



    ◇◆◇



 廃墟マンションの一室で、水練は数台のパソコン画面と向かい合っていた。

 いつもは一台を弄っているだけだが、今日は怪盗メロディーの大切な決行日である。一台だけじゃ、全てをカバーできない。


 水色の瞳を煌めかせ、楽しそうに水練は画面を観る。その内の一つ、毛先のはねた茶髪の少年が映っているのを数秒見つめ、目を逸らした。


(やる気満々やなぁ)


 続いて、栗色の髪をアップで一つにポニーテイルした少女に向ける。すぐ逸らし、無表情で佇む少年に。


 昨日、風羽から聞いたことを思い出し、水練の口に笑みが浮かんだ。


「さーて、さてさて。唄の騎士ナイト様は、これからどうなるんやろうねぇ」


 三人は持ち場につき、すぐにでも作戦を決行するだろう。

 それに比べて水練は、いまだ場外の人間だ。

 いくら『怪盗メロディー』の仲間だと口にしていても、この部屋から出るのが嫌な引きこもり少女は、他の三人から本当はどう見られているのだろうか。


 本当に、仲間だと思われているのだろうか。


 やる気満々のヒカリが、屈伸運動しているのを視界の隅に見つけ、そちらを見ないように〝白い園〟が映っている画面をただ睨みつける。確かにある恋心に、水練は目を向けることができないでいる。


 はあ、とため息を吐くと、水練は耳をヘッドフォンで覆った。無線付きのマイクに向かって、声をかける。


「誘導は、あたしに任せといて」


 返信は、ちゃんとあった。安堵した。



    ◇◆◇



 時計の針が午後十一時を示すのと同時に、それを待ち構えていたかのように、風が吹いた。


 窓を開けて吹雪いた風により、佐々部の紺色の髪が慌ただしく揺れる。

 荒れる髪を押さえながら、佐々部は一歩、『虹色のダイヤモンド』のケースに近づく。


「あら、今夜はおひとり?」


 顔を上げると、窓枠に立つ少女の姿が映った。満月に反射して、栗色の長い髪の毛が、美しくなびく。


「怪盗メロディー?」


 目を疑う。


 『怪盗メロディー』といえば、乙木野町を中心として、二十年も活動をしている怪盗だ。

 そのはずなのに、今目の前にいる怪盗は、まだ十代の学生に見える。


(変装か?)


 それにしてはあまりにも若い。

 『怪盗メロディー』は、異能力者だとも云われている。だとすると、別人に変装できる能力を持っている可能性が高いと、佐々部は考えた。


 メロディーは、窓枠に立ち、じっと『虹色のダイヤモンド』が入っているケースを見つめている。


「それは、何かしら」

「……この中に、あなたの求める宝石がありますよ」

「見えないわ」

「でしょうね」


 にっこり笑い、佐々部はとりあえず一歩足を踏み出した。

 ピュンと、どこからか飛んできた光輝く矢が、佐々部の足元に落ちる。


(これは、メロディーの能力じゃない。ということは、彼女には少なくともあと一人、仲間がいるね)


 警戒しながらもう一歩。

 また矢が飛んできた。


(光遣い……かな)


 近づくのはやめた。佐々部はその場で立ち止まる。

 すると、黙ってじっと紺色ので覆われたケースを見定めていたメロディーが、ふぅとわかりやすくため息を吐く。

 そして驚くことを口にした。


「これはとても厄介。ええ、厄介だわ。私には手も足も出せそうにない。だから……心苦しいけど、今日は諦めて帰るとしましょう」

「――へ?」


 間抜けな声を上げる。

 『怪盗メロディー』が、何もせずに得物を諦めて帰ろうとするなんて、自分の耳を疑ってしまう。

 耳垢が詰まっているのかと思い、耳をぽんぽんとしている佐々部に、メロディーが続けて言う。


「さようなら、警察の能力者さん。また会えたら、今度は一緒に遊びましょう」

「ああ、うん。……って、そう簡単に帰すわけないですよー。というわけで、大人しくお縄に就いていただきましょう、か!」


 紺色のを産み出すと、それをメロディーに向かって放り投げる。佐々部の能力は、捕縛という面においてその力を余すことなく発揮する。

 今回は『虹色のダイヤモンド』を抑えるのにほとんどの力を使ってしまい、洋館に膜を張り巡らせてメロディーを捕獲することは叶わなかったが、この距離であれば彼女を捕まえることは容易だった。


 光の矢は、落ちてこなかった。

 代わりに、窓を破ったときと同じ暴風が、部屋の中に吹き荒れる。


「えー」


 目を細める。

 『怪盗メロディー』が、唇を吊り上げて笑っている。


(風の力はメロディーのじゃないなぁ。ということは三人組?)


 うーんと悩んでいると、メロディーが窓枠から後ろに向かって飛び降りた。


「次回は、ちゃんと盗んであげるわ!」


 かくして『怪盗メロディー』は、再び標的にした宝石を盗むことなく、洋館から姿を消した。


 メロディーがいなくなってから慌てて気配を探ってみたが、周囲に能力者の気配は感じなかった。一歩遅かったと、佐々部は後悔したものの、瞬時に思考を切り替えることにより気にしないことにした。


(て、メロディー捕まえられなかった俺って、警部に怒られる?)


 それは嫌だなぁ、と佐々部は呟いた。が、すぐに忘れることにした。

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