(13) 理解するために

 ぞわり、と風羽の背中が泡立った。


(背後から何かがくる?)


 振り返るが、長い廊下の先からは何も来ていない。

 けれど、明確な殺気を感じる。これはさっきも感じたものだろう。


(琥珀か)


 目を閉じて神経を研ぎ澄ませると、紫色の息苦しい気配を感じた。


 目を開く。直後、曲がり角の向こうから、灰色の大きな狼が顔を出した。狼の大きさはちょうど廊下の天井と同じぐらいだろう。見ている分には窮屈さを感じるが、狼自身はそれを気にしていないようだ。

 まるで、違和感のない影みたいに。


(やはり、琥珀の使う陰陽師の術は、渡来のものとは違うのかな)


 陰陽師の能力について確かなことはなにもわかっていない。授業で習ったものの、それは「陰陽師と呼ばれる能力者がいた」という歴史のみだ。能力の詳細については語られなかった。


(兄さんも何もわからなかったって言ってたけ)


 陰陽師の能力は秘されている。そのはずなのに、こんなにも琥珀は堂々と使っている。

 その矛盾が風羽は気になった。


 とうに進むのをやめていた足で振り返ると、やってくる八つの尾を持った狼と、その後ろの琥珀を見据える。

 眼前で、狼が止まった。走ってきたのにも関わらず、息切れしていない訝しんだ鼻先で、風羽の顔を見る。それに気圧されないように踏ん張ると、あとからやってきた琥珀が声を上げた。


「貴様らに、この屋敷の中を好き勝手に歩かれるわけにはいかない! 今すぐ、精霊を戻せ!」

「……それについて応える前に、一つだけ質問をしてもいいかい?」

「質問?」

「ああ。君は、本物の陰陽師なのかい?」

「なっ」


 口を開けた琥珀が少し固まる。見る見るうちに、顔が赤くなっていき、眉を吊り上げて怒りの形相になった。


「そんなことッ!」

「君が本当の陰陽師なのであれば、こう易々と能力を使うわけがない」

「それはっ」

「それに――これは勝手な僕の憶測なんだけどね――君が本物の陰陽師なのであれば、きっとはぐれ陰陽師なのだろう。はぐれ陰陽師が本当に存在するのであれば、陰陽師の能力の詳細は今に語られてきたっておかしくはない。けれど、有能な情報屋である僕の兄にも、自称天才ハッカーである水練にも、その能力についてはなにひとつわかっていない。つまり、能力が少しも分からないということは、陰陽師の能力は今もまだ厳重に秘されて、隠されているはずなんだ。だというのに、君はあまりにも簡単に能力を使っている。まるでそれしかできないみたいに。隠す必要なんてないみたいに」

「そんなのあたりまえじゃないか! ボクは、赤ん坊の頃に施設の前に捨てられていたんだ。両親が誰なのかも、どこの子供なのかもわからないし、気づいたらこんな変な能力を持っていて、意味が分からないし、どう使うのが正解かなんて、そんなのボクが知るわけがないだろ!」


 琥珀の激昂を、風羽は無表情で受け止める。


「そう。なるほど。なら君の使う能力は、やはりまともな陰陽術じゃなかったのか。僕ら精霊遣いは、幻想世界という別世界からこの世界に精霊を召喚するのだが……君の場合は、また違うみたいだね。自分の育んだ空想世界から、式神を触媒として、幻獣を――いや、この場合は空獣と言ったほうが良いかな――空獣を、召喚しているのだろう。それなら頷ける。君は、高度な空想結界を扱えるのだからね」


 琥珀の能力の詳細はなんとなくだが分かった。


 怒りを現した黄色い髪の少年は、ハッと風羽を見る。叫んだ影響か、怒りはいくらが和らいでいるようだ。

 唇を噛み締めると、琥珀は苦しそうな声を上げた。


「それがどうしたって言うんだ。ボクの能力が分かったからと言って、貴様にそれは関係ないッ。いいから、精霊を戻せよ!」

「無理だ」

「何だとッ!」

「僕らもここまで来たからね。唄の目的を叶える手助けをしないといけない」


 これからどうすればいいのかを考える。

 狼は襲ってくる気配なく佇んでいるので、警戒は怠れないが、頭だけを回転させる。

 風羽は後天的な能力者だ。中学三年生の頃に自分の異能力が芽生えてから、必死に異能力について勉強をした。情報屋の兄ほどではないが、それなりに知識は蓄えている。


「貴様らの目的なんて知らないッ! ボクは、ボクを救ってくれた白亜様を守りたいだけなんだ!」

「その白亜様について、僕はとても重要な情報を持っているのだけど、聞きたくはないかい?」

「それならとっとと話せ!」

「今は無理だ。できれば、瓦解陽性と、白亜様本人がいるところで話した方が早い」


 それに向こうから話してくれるかもしれない。水鶏の行動から察するに、あちらもそろそろ潮時だと考えているのだろう。


 『虹色のダイヤモンド』には何があるのか。

 唄の両親が、どうして怪盗をやめたのか。

 それらを知るには、状況と場所が必要だ。


 そのために、今シルフに調べてもらっている。

 サラマンダーの炎とシルフの風のどちらが強いかは風羽には分からないが、こちらが上回ることを願うしかない。


(シルフ、頼んだよ)


 琥珀はもう叫ぶことはしなかった。灰色の瞳は強く風羽を睨みつけているが、自分の行動から考えると仕方のないことだと受け止めよう。


「琥珀。もし君が、僕を白亜様という人のところに連れて行ってくれれば、僕は精霊を戻してもいいよ」

「本当か?」


 怪しむような琥珀の瞳を見返し、風羽は頷く。


「でも」

「君は白亜様を守りたいのだろう。僕らが何もしないように、そこの式神で警戒してくれればいい」

「それなら……まだボクの知らない礼亜の素顔もあるし。ほんと、よくわからないことだらけだから、白亜様に聞かないと……」


 逡巡したあと、琥珀は口を真一文字に引き結び頷いた。


「わかった。貴様が精霊を戻したら、ボクが白亜様に引き合わせてやる」

「助かるよ、琥珀。――シルフ」


 精霊遣いは、精霊を召喚している間、その精霊と意識を共有している。

 風羽は頭の中でシルフに語りかけた。


『あらあら、せっかく楽しくなってまいりましたのに。サラマンダーとこちらの世界で遊ぶのもまた美味なるものがありましたが、あなたのお願いであれば仕方がありませんわね。また必要な際は、いつでもわたくしを呼び出してくださいね?』

『もちろんです』


 すっと、そよ風が通り過ぎて行くように、身近に感じる風が消えて行った。

 いや、正確には消えていない。風羽の心の中に戻ったのだ。


「それじゃあ、頼んだよ、琥珀」

「フンッ。ついて来い」


 〝八又〟を伴った琥珀が風羽の横を通り過ぎる。

 風羽は暫くしてからその後姿を追った。



    ◇◆◇



 瞬きをしたその一瞬で、シルフの姿が消えた。


『はんっ。逃げやがったのか、あのヤロウ』


 サラマンダーがつまらなそうにぼやくと、陽性の元に戻ってきた。


「そうみたいですね。何かが起こったのでしょう」


 陽性は背後を振り返った。思わず目を見開く。


「琥珀……」


 黄色いおかっぱ風の髪型をした少年が、使役する式神の〝八又〟と共にこちらに歩いてきている。その後ろには、風の精霊シルフの召喚主である、喜多野風羽の姿がある。


「サラマンダー。呼び出して早々で申し訳ありません」

『久しぶりに、こちらの世界で暴れられると思ったんだけどなぁ。つまんねぇなぁ。ま、いいや。またすぐにアタイを呼び出してくれるんだろ、陽性?』

「はい。機会があれば、必ず」

『アタイはてめえの精霊だぜ。たまには、一緒に遊んでくれよ。昔みたいにさ。じゃ』


 徐々に炎が消えて行くように、サラマンダーの姿がしぼんでいき、この世界から消えた。


「それも楽しそうですね」


 いなくなったサラマンダーに応えながら、陽性は向かってくる二人と一匹を見据えた。


(そろそろ、潮時みたいですね)


 二年前、自分が犯した罪を思い出す。

 理解はしていた。けれど、自分の感情を優先したくて、彼女の優しさに甘えてしまった結果、今の儚い生活がある。


 できれば、自分の記憶を失くしている白亜には知られたくないと思っている。

 でもこれ以上隠し通すことは、無理なのだろう。


(水鶏には、悪いことをしていますね)


 彼女の姉には、迷惑をかけている。


「陽性」

「琥珀」


 躊躇うような呼び声に、陽性は赤い瞳を細めて言葉を続ける。


「すべて話しましょう。隠していること――白銀礼亜と、山原白亜のことについて」


 二年前のあの公園で、もし自分が礼亜を止めることができていれば、こんなことにならなかったのだろうか。



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