(12) 自分の気持ち


 あっという間の出来事だった。

 眼前で、精霊が何体も召喚され、部屋の中の立ち位置が琥珀を覗いて変わっている。さっきまで近くにいたヒカリは、唄の傍に立っていた。


 琥珀は奥歯を噛み締めた。


 また一人だけ、置いてけぼりにされている。昔からそうだ。産まれて間もない赤ん坊だった琥珀は、児童養護施設の前にもう毛布にくるまって置いてかれていた。自分はここにいるんだぞ、と泣き叫ぶことで施設の職員に見つけられ、今まで暮らしてきた。それから慕っている白銀礼亜のこと。彼女の隠された秘密を自分にだけ伝えられていなかった。必要ないんだ、と言われているように感じてしまった。


 叫びだしたい衝動を堪えると、琥珀は懐から一枚だけ持っている式神を取り出した。

 これを持ってきていてよかった。この式神は、一番頼りになる琥珀の相棒だ。


 実体を与えるための呪文を唱えると、相棒の名前を囁いた。


「〝八又〟」


 はっとヒカリが息を飲みこちらを見たが、もう遅い。

 琥珀のすぐ脇に、八つの尻尾を持つ大きな狼が、佇んでいた。灰色の毛並みをやさしく撫でてから、琥珀は〝八又〟にお願いをする。


「〝八又〟、シルフを追え」


 風羽の目的も、陽性が琥珀に隠していたことも、何もわからないままだ。ここで水鶏に問いただすことも考えたが、彼女は口が堅い。それにシルフが向かった先には、琥珀も心当たりがあった。


 まずは敵対している風羽の精霊から止めることにしよう。このまま屋敷の中を好き勝手荒らされるのを黙って見過ごすことなんてできないし、もしかしたら白亜に迷惑をかけてしまうかもしれない。だから、止めないと。


 〝八又〟は琥珀の意図を汲み、動いてくれる。会話はなくても、式神との意思疎通は問題なくできていた。それは琥珀の召喚する式神が、〝空想〟で育んだ大切な友達だからだろう。


「え、おい、琥珀ッ!」


 ヒカリの呼び声が背後で響くが、琥珀は無視すると廊下に出た。



    ◇◆◇



 水鶏の幼い頃は散々だった。母親や親戚は優しくしてくれたけれど、それは表面上だけに過ぎない。山原家に必要のない能力を持って生まれた水鶏は、能力同様に必要ないものとして育てられてきた。


 物心ついたころから、傍に土の精霊ノームがいた。水鶏は精霊の才能に恵まれていたため、若干五歳の頃には精霊を召喚できるほどの逸材だった。でも、それでも表面上では褒められはしたが、本当の意味で褒められたことは一度もない。


(あ、でもお姉ちゃんに、すごいね、って言われたっけ)


 水鶏とは違い、姉は山原家の能力を受け継いで生まれてきた。血筋の濃い異能は、彼女のためにあるようなものだった。だからまだ幼い水鶏は嫉妬して、姉からの賛辞を受け止めることができなかった。


 孤独な日常で、唯一の楽しみといえば、それは水鶏と契約している、『四大精霊エレメントがひとつ、土の精霊ノームと会話をすることだけだっただろう。寡黙なノームは、水鶏との会話を楽しんでくれた。小さい頃に交わした約束を、今でも覚えてくれている。


 回想から戻ると、ノームと目が合った。

 精霊遣いは、精霊を召喚している間、その精霊と意思を統一している。だからノームに、水鶏の考えていることは筒抜けになっている。


 琥珀が出て行ったことにより、あたふたとしているヒカリに目を向ける。その後ろに隠れている唄と目が合った。


 ちりっと、胸がカサつく。


(いいな。野崎唄には守ってくれる人が二人もいて)


 自分には、今も昔も一人しかいない。

 土の精霊ノームだけだ。


(白亜様とアタシなんて、比べるまでもないし)


 きっと陽性は、白亜と水鶏が同時に危機に陥り、一人しか助けられないという過酷な選択を迫られたら、迷わず白亜を選ぶだろう。それぐらい二年間も傍で見てきたら嫌でも分かってしまう。


(ああ)


 嫌な気分になってきた。


 水鶏は知っている。


 自分の抱いているこの想いの意味を。

 陽性に対するこの想いの意味を。


 水鶏は陽性に好意を持っている。


 好きだと、明確に思ったことはないが、それに近い感情を持っている。

 一途に。ただ、一途に。陽性がを愛し続けているのを、ずっと傍で見てきたのだ。

 そんな彼の想いに、自分の未熟な心が惹かれないわけがない。


 憧れだ。


 水鶏は、陽性に憧れを抱いている。

 一人の人を愛する彼の姿に、ただ憧れただけなのだ。


 好きなわけじゃなかったのだと、水鶏はいま気づいてしまった。


「……」


 想いを噛み締めるように、拳を握りしめると水鶏は振り下ろした。


 再びヒカリを見る。その後ろに隠れている、唄を見る。

 紫色の瞳で静かに見据えながら、水鶏は口を開いた。


「アンタらは、これからどうするの?」

「そうね。できれば、さっきの話の続きを聞きたいわ。どうして、お父さんとお母さんが怪盗をやめたのか。それだけはどうしても知りたいもの」

「ふーん、そう」

『水鶏?』


 ノームが語りかけてくる。

 その声に耳を傾けながら、水鶏は上げかけた手を下ろした。


「じゃあ、こっちにきて。アンタらに、会わせたい人がいるんだ」


 今ここで戦う意味はない。だけど、唄が望むことをすべて話すためには、ここだけでは物足りない。今、風羽や陽性、それから琥珀が向かったところに行かなければならないだろう。


 精霊はまだ召喚したままにしておこう。ノームにそう伝えると、彼は嬉しそうに微笑んだ。白い瞳が眩しく光る。


『ずっと、オレに水鶏を守らせてくれよ』

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