5.トリュフチョコみたいって思ってるの?
個人的には言った後で吹き出すのを堪えるくらいの力作だったのだが。言う相手とタイミングを間違えたようである。
「糞が糞を内側に溜め込むとかどんなマトリョシカだよとか腹の中で笑っているんだろ」
小鳥遊由海は早口でそんなことを言う。まったく、なんと返したらいいのやら。あきれて何も言う気が起きない。
「つーか、お前、何気に滑舌よくなってきてない?」
「久しぶりに他人と話したから。今までは声帯が温まってなかっただけ」
どういう理屈だ。声帯云々とかミュージシャン気取りか。もうこいつの言うことは大方をスルーしていったほうがいいとみた。
「なあ、お前は俺を一体どんな浅ましい人間だと認識しているんだ? 俺がそんなに他人を見下して悦に浸る小さい野郎に見えるのか」
ここで『そうだけど?』とか真顔で言われたら俺は己の風貌に関して猛烈に自己嫌悪したくなるところだったが。
「……せせら笑ってないの?」
「ねえよ」
「じゃあトリュフチョコ? トリュフチョコみたいって思ってるの?」
「うるせえ。いちいち比喩を持ち出さなくていいんだよ。黙ってろ」
丸めたチョコの周囲にさらにチョコをコーティングした美味な菓子をなんてものの例えに出しやがる。
トリュフチョコ食う時にお前の便秘のレントゲン写真を思い出したらどう責任とってくれるんだ。
しばらくトリュフチョコを食う気にはなれそうにない。ただ、食べる機会自体稀なのであまり問題ではないかもしれないけれど。
「でも、笑ってないんだ」
小鳥遊由海は安堵したような表情を浮かべる。いや、顔半分隠れてるから目つきで判断するしかないんだけど。
でも多分これはほっとした人間が見せる顔つきで間違いないと思う。きっと、ここにきて初めて小鳥遊由海は俺に対しての警戒心を緩めたのだろう。
「最初に言っただろ。笑えねえって」
「隣人は、わたしを疎まない?」
…………? 趣旨の掴めない問いに俺は逡巡を挟んだ。
「まあ、俺はよき隣人だから」
よくわからんので角の立たなそうな言葉を適当に言った。つーか、こいつ俺の名前知らないっぽいな。
なんだよ、隣人って。他に言い方なかったのか。けど、いまさら自己紹介をするのもあれだしなぁ。
どう切り出せばいいのかわからんし。まあ機会があればそのうち向こうも知るだろうし別にいいか。
「その制服着てるけど、隣人は不思議とあんまり怖く感じない」
小鳥遊由海はぽつりとそんなことを言った。
「制服?」
俺が身に纏うのは転入先の私立天帝学園高校のものだ。
これが何だというのだろう。
一般的なデザインで威圧的な雰囲気など特にない凡庸な制服だと思うが。
制服に恐れを抱くとは過去に天帝学園の生徒に因縁をつけられたことでもあるのかね。
そんなに荒れた高校ではないと聞いていたが。
ブレザーの胸元の辺りを引っ張ってみる。肩をすくめて小鳥遊由海に理解が及ばないことを主張してみるも反応なし。小鳥遊由海は無言で天井を見つめ続けるだけだった。
どうやら何気なく呟いてみただけで詳細を言及するつもりはなかったようである。ふむ、まあ話す気がないならそれはそれでいいか。消化不良の感は否めないが、どうせすぐに解消するさ。
無駄なことはあっさり忘れられるという長所を俺は持っているからな。
一応言っておくと、能天気な鳥頭ゆえではない。
俺は合理的なのだ。
あ、そういえば小鳥遊由海に食生活を改めると誓わせるのを忘れていた。
しばらくすると小鳥遊由海はすやすやと眠り始めた。いい気なもんだ。
沈黙の時。
俺はベッドの脇で腕組みをしながらただ座し、小鳥遊由海が夢の世界へトリップしている様子を眺める。
「…………」
この状況。はたして俺はここにいる意味はあるのか。
いや、哲学的な感じで言ってるわけではなくて。
俺、もう帰ってもいいんじゃない?
大体、母さんよ。急なことであったとはいえ、のんびりしすぎではないでしょうか。
やることがなさすぎて俺も眠たくなってきたぞ。
「…………」
「スー……スー……」
安らかに寝息を立てているのは芸術品のような精緻な寝顔。
だが見ていると無性にムカついてくる。これは一階にあった喫茶店で待っているほうがいいかもしれん。母親の到着にまだ時間がかかるとみた俺はそう考えながらあくびを一つ漏らした。
「……ん?」
目を擦りながら顔を上げると、天帝学園の制服を着た一組の男女が病室の入り口に姿を見せ、部屋の中を覗きこんでいるのが瞳に映った。
おやおや、一体誰を訪ねてきたのかねえ。おおよその見当はつくけれど。他のベッドにいるのは年配の方々ばかりだし。
案の定、予想通り彼らは俺たちの方へやってきた。長い黒髪を右側だけ三つ編みにしてまとめた髪型の眼鏡女子と、さっぱりしたショートカットの茶髪イケメンがベッドを挟んだ向かい側に並び立つ。
女子の方は学級委員っぽいな。
イケメンはサッカーとかやってそうだ。
もしくはテニス部と見た。
偏見と経験に基づく分析を反射的に行う。
小鳥遊由海にも見舞いに来てくれるような友達がいたのか。あんなに対話が不得手なやつが一般的な友人関係を構築していたとは。
「小鳥遊由海さんのベッドはここであっているかな」
爽やかな笑みを湛えてイケメンが俺に問うてきた。
「ん? ああ、今は眠ってるけど」
見ればわかることだろうにおかしなことを聞くやつだなと思いながら目を落とすと、先程まで惜し気もなく晒されていた銀髪少女の寝顔は掛布団によって完全に覆い隠されていた。
おお、いつの間に。
尊敬に値する早業。
つーか。ひょっとしてだけど、いや、もうこの二人が訊ねてきた時点でほぼ確定的かもしれないが。
「こいつも天帝学園に通ってるのか?」
膨らんだ布団を指差し、同じ制服に身を包んだ来訪者たちに俺は訊ねた。
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