4.「ふっ……笑えよ。ベジータ」


「ふっ……笑えよ。ベジータ」


 病室のベッドで寝転びながら虹彩を失った瞳で天井を眺める小鳥遊由海は卑屈な笑みをたたえてそう言った。


「誰がベジータだ。……つーか笑えねえよ」


 ベッドの脇に置いた椅子に腰かけ、俺は時計を見て時刻を確認しながら溜息を吐く。


 今日は始業式だから午前中で学校は終了だ。


 今から行ったところで間に合うわけがない。初日から欠席とか初めての経験なんですけど。


 もしこれでクラスに馴染めなかったらどうするんだ。


 転校に失敗した場合の落とし前はどうつけてくれるのかとしつこく問い詰めてやりたかった。


 ちなみにこうして俺が隣に寄り添っているのは決して看病しているからではない。ただ俺の母親が小鳥遊由海の身のまわりの品を準備して病院に持ってくるまでの時間潰しをしているだけ。


 俺は帰ってもよかった、というかむしろとっとと帰りたかったのだが母親に待っていてくれとメールで頼まれてしまったので仕方なくこうして滞在している。


 断ろうかとも思ったが、どうせ今日はもう暇だし。別にいいかなと思いこうやって無為の時を過ごしているというわけだ。


 あと説明してどういう意味があるというわけでもないことだが、小鳥遊由海にはすぐに連絡の取れる身内がいないらしく、細かい入院の手続きなどは隣人のよしみでウチが代行することになった。


 なぜ世帯向けのマンションに年頃の少女が一人で暮らしているのか。そこらへんはよそ様の家庭事情なので踏み込む気はない。もっと言うと興味がない。そんな興味のない対象はというと


「どど、どうだよ? なかなか面白い見世物だろ。ハラワタに糞をぎっしり溜め込んで気絶するマヌケなブロイラー家畜を見て優越感に浸れよ。ここ、これ以上の底辺はそうそう会えないぞ。遠慮しないで存分にせせら笑えよ、へへっ……」


 自らを大げさに卑下して自虐的に笑っていた。


 聞くに堪えない胸糞悪い台詞。


 耳にしているとこちらまで気分が暗くなる。


「俺は他人の不幸とか失敗に笑いを見出すさびしい人間性はしてないから。笑わないから」


 落ち着かせるためにそう言っているというのにネガティブに染まっている小鳥遊由海は俺のことを疑いに疑う。


「ちっ。い、いい子ちゃんぶりやがって……。先公もいねーってのにご苦労様だなっ!」


 こいつ、言葉は攻撃的なクセにモゴモゴ聞き取りにくく喋りやがって。ところどころ裏返ってるし。なんか腹立つな。


 …………。今気付いたが、こいつ全然俺の顔を見て話していない。


「おい、一回くらい俺の目を見てその強気な発言してみろよ」


 言いたい放題されるのは癪なので少しばかりいじってやることにした。


「…………」


 途端に黙りだす。


「おい、どうした。なんか喋ってみろよ」


 俺は腕組みをして小鳥遊由海の白すぎる顔を熟視してやる。


「うぅ……」


 小鳥遊由海は力なく唸り、目を伏せて掛布団を引き寄せると顔を半分ほど覆い隠してしまった。


 あれ、ちょっと涙目になってない?


 俺は罪悪感ともになぜだか少しばかりの高揚感を覚えた。

 いや、本当になぜだろうね。


 まあ意地悪するのはこのくらいにしておいてやろう。煽りに耐性なさそうな性分みたいだし。


 けれど、どういう育ち方をすればここまで卑屈に偏屈な性格が形成されるのだろう。


 被害妄想過多な面も含め、この際だから入院ついでに精神面のカウンセリングを一緒に受けたほうがいいのではないか。


 ただ、そんなことは俺には一切関係ないので進言するようなでしゃばりはしない。だから俺は代わりに医師からしょうがなく受けたレクチャーを伝えることにする。


「あのな、医者が言ってたぞ。今回倒れたのは不摂生が原因だって。これからは肉や油の多いものは控えて、野菜や魚を多めに食べろって。お前、一体どんな食生活してたんだ?」


「ピ、ピザとかカップラーメンとか」

「毎日そんな感じか?」

「大体……」

「そりゃ確かに栄養偏るなぁ」


 つーか毎日のようにピザが食えるってどれだけ金持ってるんだよ。こいつの家のお財布事情はどうなっているんだか。


「す、好きなもの食って死ねるなら本望だし……」


 相変わらず布団で顔を半分隠しつつ、小鳥遊由海は食生活改善のススメを軽んじる発言を漏らす。


 そういうこと言うやつに限って死にそうになると騒ぎ出すんだけどな。その時になってこいつが言葉通り超然としていられるのか見物ではある。


 しかしまた倒れられて病院に道連れ登城させられては困る。なので俺は手間ではあるが小鳥遊由海の意識改革を試みる。


「だったら次は助けを呼ばなくてもいいか?」


「えっ? うぅ……。なん……。こ、これが都会のコンクリートジャングル特有の冷たい隣人関係……」


 うぎーと、なぜだか悔しそうに布団を握りしめる小鳥遊由海。

 わけわからん。本当に面倒くさいやつだ。


「違うぞ、隣人の健康を気遣ってあえて厳しく接する人情だ」


 俺は適当なことを言ってやった。


「愛情なの?」

「人情な」


 打算的な。


「愛はある?」

「いや、何言ってんの?」


 ちょっと意味わかんないこと言う子ですね……。

 いきなり愛の在り処を問われても。

 俺に簡単に答えられるような命題ならば人は愛ゆえに苦しんだり悲しんだりしないのだ。


「愛はない?」


「世界の中心に行けばあるんじゃないのかな」


「ふっ、あーそうですよ。どうせ! どうせ、わたしは無駄に生き長らえているぶん、肥やしにもなれない役立たずの糞女ですよ!」


 日本は火葬が基本だから死んだところで肥やしにはなれないと思うが。


 というか、俺の結構上手いこと言ったんじゃないかと内心で自賛していたギャグは滑り、むしろ小鳥遊由海の地雷を踏みぬいてしまったようだ。

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