第20話 いいことふたつ。

『千草ごーめーんー!』

 トイレの奥の扉が急に開いたかと思ったら、未央が子供みたいに大泣きして立っていた。

 しゃくりを上げながら顔をぐしゃぐしゃにして泣く彼女を見ていたら、何だか私も泣けてきて、思わず、彼女に抱きついてしまったんだ。

『未央、ごめんね』

『千草、ごめんね』

 他の言葉はよく聞き取れなかったけれど、何故か全てちゃんと通じていて、私達は喧嘩の終わりを確信した。


『千草、左京くんでも、右京でもいいんだからね!私には気を使わないでよ?』


 未央はどうしてあんなこと言ったんだろう。

 それだけ、よくわからないままだった。


「……」


「……ぎ」


「……たーかーぎ!」

「ひゃあ!」


 突然、後ろから頬に付けられた冷たいポカリスエット。慌てて受け取り振り向くと左京くんがすぐ真後ろに立っている。

 心臓が止まるかと思った。


「こ、これ、いいの?」

「いいよ。暑いでしょ?それ」


 彼は私の方を指差して言う。

 今年の学祭、私達のクラスは甘味処をやることに決まった。

 わらび餅にあんみつ、かき氷。思いっきり《和》を意識したお店。

 すると、誰かが言った『受付係は着物着用にしない?』という案がすぐに採用された。受付係なんて一番苦手なのに……。クラスの中で雰囲気に合う着物を持って来れたのは、私を含め5人しかいなかったから、結局その5人が、そのまま受付係に決まってしまった。


 他の人は、モデルさんみたいで綺麗なのに私だけ市松人形か七五三か……という感じがして、すごく恥ずかしかった。そんな私を左京くんに見られるのが一番恥ずかしいとも思った。

 そのうえ……いつの間にか、彼の私を呼ぶ呼び方が変わったことにもすごくすごく緊張していた。


「高木、もう休憩でしょ?」

「う、うん!」

「右京のクラス行かない?」

「あ、うん。さっき、未央からラインがきててね、話があるって」

「うん。いいものが見れるよ?」


 すぐに、彼は楽しそうに微笑む。

 その時はすごく不思議に思ったけれど、休憩時間になって、未央のクラスの屋台に近付いた時、その『いいもの』が何かすぐにわかった。


「右京!焼きそば3つ!ひとつ紅しょうが抜きで!」

「はいよ!未央、これもう上がり!」

「はいよ!」


 息ぴったりの二人。

 今の二人を見たら、文句なんてきっと誰も言えない。もうずっと、こうだったかのよう。一目で素敵なカップルに見える。

 嬉しくて、嬉しくて、思わずにやけてしまう口許を両手で覆った。


「あ!千草!着物可愛いー!!」


 私に気が付いた未央が駆け寄ってきて、私の肩に手を伸ばした。


「未央、話ってなぁに?」


 わざとニヤニヤしながらそう聞くと、彼女の顔は一気に赤く色づいて、挙動不審に顔を手でバタバタ扇ぐ。

 すると、焼き台の前に立った左京くんが、中の右京くんに声をかけた。


「右京、おごれ。焼きそば2つ」

「は?なんでだよ!!」

「いやー、なんかいいことあったみたいだし?」


 片方の口角を上げながら『前から未央って呼んでたっけ?お前』と彼はとぼける。

 右京くんの顔が未央と同じように一気に赤くなるのがわかっておもしろかった。


「良かったね。未央」


 こっそり耳打ちすると、彼女はとても嬉しそうに何度も頷いて『ありがとう』と笑う。その時の彼女の満開の笑顔は、とてもとても綺麗だった。


 ***


「本当に本当に良かったぁ」


 いつもの中庭のベンチに座り、食べる焼きそば。私はかなり興奮していたから、この今の状況をちゃんと理解できていなかった。


「高木、こぼしてる」


 クスクスと笑いながら、隣に並ぶ左京くんが私の膝のうえに落ちた焼きそばをそっと払った。


 ――!!!


「ご、ごめんなさい!」

 慌ててプラスチックパックと割り箸を横に置いた私は、すぐにハンカチを取り出し渡すと、彼は優しく受け取り笑った。


「いつもしっかり者なのに、水沼のことになると本当ダメダメだね?」

「ご、ごめんなさい!左京くんにはいつもいつも迷惑かけちゃって」

「迷惑だなんて思ってないから大丈夫」

「ほんと?」

「うん。大丈夫大丈夫。水沼のこと、そんだけ好きなんでしょ?」

「うん!」

「ん。だから、そう、むしろ……」


 そこまで言うと彼はベンチから立ち上がり、私を見下ろす。眩しい日射しに照らされた彼の輪郭は、初めて出会ったあの日とまるで同じようにキラキラ光る。

 ドキドキと、高鳴る鼓動の勢いに任せて聞いてみたくなる。この学祭の雰囲気がそうさせたのだろうか、何か特別な答えを期待している自分がいた。


「……む、……むしろ?」

「むしろ、というか」


 着物を着てるせいなのか、彼が真っ直ぐ私を見ているせいなのか、とにかく全身が熱かった。

 ゆっくり開いた彼の唇。

 彼は一言だけ残して先に教室に戻った。


 ドキドキが止まらない。

 頭の整理も、心の整理も全くつかない私は、何度も何度も彼の言葉を繰り返す。


『……俺にもダメダメにならないかなーって思ってる』


 ――体が……熱い。

 熱くて熱くて――堪らない。

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