第19話 上履きとローファー

 あいつの歩くペースが速いってことを、すっかり忘れていた。あっという間にまた出来てしまった二人の距離。

 外靴に履き替えてる余裕なんかない。

 俺はそのまま飛び出した。

『未央』

 初めて呼んだ下の名前。振り返った彼女は驚いた顔をして俺の目を真っ直ぐ見つめた。

 ちゃんと合った目と目に、心臓がバクバク跳ねた。


「一人で完結してんじゃねぇ!」


 溜まりにたまったイライラのせいで、思わず強い口調になってしまう。

 彼女の顔に戸惑いの色が混ざった。


「分かってるから!」


 そう返事した彼女の声は、少しだけ震えていた気がした。

 ……分かってねぇよ。

 全然分かってない。


「ちゃんと千草のことは協力するから」


 こいつは自己完結しようとしている。

『私は大丈夫だから』と繰り返す彼女はあまりに悲しげで、胸が締め付けられた。

 またそんな顔させてどうすんだよ。

 ……違う。違うだろ。

 しっかりしろよ、俺。


「違うって!」


 誰かに聞かれるかも、とか、そんなこと考えもしなかった。ただ伝えたかった。俺の気持ちをただただ伝えたかった。


「好きだって!」


 返ってこない反応に、さらに口調が強くなる。


「お前が好きだ!水沼未央!」


 静まりかえった中庭に俺の声だけが響いた。

 ただそこに立ち尽くすだけで、まるで反応しないあいつの感情が読み取れない。

 俺はまだ届かないのかと不安になって、彼女までの距離をつめた。

 爪先と爪先がぶつかるほどの距離。

 向かい合った上履きとローファー。

 すぐに、彼女の目が潤んでいることに気がつく。そして、固く結ばれていた唇が少しだけ開いた。


「……嘘」


 ぼろぼろと零れ始める涙。掠れた声で彼女はそう言った。


「……嘘だ」

「嘘じゃないから」

「千草のこと好きだって言ったじゃん」

「……うん」

「じゃあ何で?!」

「……俺バカだから無視されるまで気付かなかったんだよ」

「……」

「話せないと辛いって」

「……」

「会えないと寂しいって」

「……右京」

「ずっとお前のことしか考えてなかった」


 溢れて止まらない涙を親指でそっと拭ってやると、一気に真っ赤に染まる彼女の頬。それが無性に可愛くて、俺の顔も一気に赤くなった気がした。


 短くなった髪をそっと握ってまた伝える。


「髪、切ったの俺のせい?」

「……ううん。右京のせいじゃないよ」


 心臓が速く打つ。彼女に触れてる指も熱い。


「み、未央」

「……ん」

「……今すげぇ恥ずかしい」


 ふっと笑って、彼女はうんうんと何度も頷いた。恥ずかしそうに、右手の甲で目もとを隠し、口もとだけ笑ってみせるその全てが何だかとても可愛くて。

 独り占めしたくて。

 髪の毛を掴んでいた手をそのまま後頭部へずらし、彼女の頭を自分の胸に引き寄せた。


「私……好きでいていいの?」


 胸の中に届いた柔い声。

 たまらず腕に力が入る。


「好きでいてよ」

「……うん。本当にいいの?」

「不安?」

「不安。……だって……だってね」

「わかった!もう言うな。わかったから」

「……」

「ちゃんと気付いたから。足りなかったらちゃんと言うから」

「……何を?」

「だから!!」


 溢れる想いは止まらない。

 彼女がもう泣かないように。

 彼女を2度と傷つけないように。

 そう思って、恥ずかしいのを堪えて、何度も何度も同じ言葉を繰り返した。


「……好きだ」


「好きだ」


「好きだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る