第55話 恋する番犬

 今朝、教室の前で目に飛び込んできたのは、晃のもとにやってきた菊地の姿。

 前のドアのところで向かい合う二人は、誰が見てもお似合いの二人だった。

『じゃあ、6時に』

 そう言って自分の教室に戻る菊地の後ろを黙って通り過ぎ、後ろのドアから中へ入った。

 そしてすぐに気が付いた。


 ――机の上に畳まれた俺のマフラー。


 思わず、メモかなんかが挟まれていないか確認した俺は、すぐに頭を抱えた。

「……あるわけねぇよな」


 終業式とクリスマスで賑わう教室の中で、俺だけが曇っていた。


 ***


『今日6時に俺んち来い!』

『クリスマスやるぞ!』

 さっさと帰ろうと思って向かった下駄箱であいつら二人に呼び止められた。

『気にしなくていいって……おいっ!』

 靴を履き終わり、横に置いた鞄に手を伸ばそうとした時、俺の鞄を漁る右京が目に入った。

『ちょっ……おい!』

 右京は、教科書と教科書の間に挟んであったあの紙袋の束を全部抜き取ると、すぐにそれを高く掲げ『人質!ん?あれ?紙質か?』と言う。

 すぐさま左京が『言い方なんてどうでもいいだろ』と嘆いた。


 カップルの中に一人は嫌だと思ったけれど、もし本当に一人でいたら、菊地といる彼女を想像してしまうと思った。


 こうなったらあいつらに甘えてしまおうか。

 思い出す時間がないくらいに遊びまくってしまおうか。

 ――そう、返ってきたマフラーに残る彼女の香りが消えるまで……。

 彼女を……忘れられるまで。


 時計の針は18時40分。

 石畳の坂を上りきって、最初に見える住宅街の右から3軒目。

 そこがあいつらの家だと教えられた。


 情けない俺は、6時になる瞬間やっぱり動くことができなくて、ただただ部屋の時計を眺めていた。

『翔!お前早く来い!お前来ないと始まんねぇーんだよ!』

 右京からの怒りの電話で重い腰がやっと上がった。


 うっすら積もった雪。

 ……あいつ、転んでないかな。

 冷たい風。

 ……ちゃんとあったかい格好してんのかな。


 うまく歩けない人とすれ違う度、寒いと体を縮める人とすれ違う度、彼女のことばかり思い出した。

 ……ダメじゃん、俺。

 ……全然ダメじゃん。


 空から落ちる雪の数はどんどん増えていく。

 視界がどんどん白くなっていく。

 このどこかに、彼女が隠されていればいいのに。そう、思った。


「「翔っ!!」」


 突然聞こえた彼女の声。

 彼女のことを考え過ぎて、おかしくなったのかと思った。


「翔っ!!」


 確かに聞こえるその声。

 街灯に照らされ、ぼんやりと明るい門の前。

 あいつらの家の真ん前に、彼女が…いた。


「晃っ!!」


 慌てて駆け寄ると、彼女はゆっくりと俺を見上げる。

 この寒い中走ってきたのか、肩で息をしながら真っ赤な顔をしている。


 何かあったのかと心配になり、彼女の腕を思い切り掴んだ。


「またあいつに何かされたのか!?」


 俺のその言葉に、彼女の瞳の奥が揺れたように思えた。


「どうした?」


 そうもう一度聞くと、彼女は自分の鞄から何かを取り出して見せた。


「こんなに寒いのに!何時から並んでたの!」


 俺の胸に押し付けられた小さなそれは、今日、右京に取り上げられた『ささのベーカリー』の紙袋だった。


 ――あいつら。

 あの四人の優しさが痛かった。


「……翔っ!」


 彼女はボロボロと大粒の涙を溢しながら涙声で言う。


「こ、これ、ラブレターだって勘違いしてもいい?」


 一瞬の静寂。

 重なる視線。

 すると、子供のように泣きじゃくる、らしくない彼女が俺の胸に頭を寄せて言った。


「……番犬に恋しちゃったみたいなの!……も、もう遅いかなぁ」


 夢か幻かと、そっと彼女の髪に指を絡めてみる。

 こんな夢は何度も見た。

 けれど、目で、指で、体で感じる彼女は、まさしく本物で、夢でも幻でもない。


「……サンタさんからのプレゼントかな」


 思わずそう呟くと、彼女は不安げな顔で俺を見上げた。


 嬉しくて。

 嬉しすぎて。


 思わず彼女の腰あたりを抱いて高く持ち上げ、驚く顔を下から見上げた。

「翔……」

「夢じゃないよな?」

 彼女の顔が微笑みに変わる。

「夢じゃないよ」

 彼女はそう言うと、俺の両頬を手のひらで挟んで、幸せそうに微笑んだ。

 涙でグシャグシャだったけれど、その時の彼女の笑顔は今まで見た中で一番可愛かった。


 もう君を離さないよ。

 晃がクリームなら俺が白いパンになって包んであげる。

 こんなくさい言葉、聞いたら笑うだろうけど。


「今年のクリスマス、俺が一番幸せ者だ」


 照らされた二人の影はぴったり1つに重なった。


「……人んちの前でいつまで抱き合ってんだ」


 玄関からもれる温かな灯りと四人の姿。


 ――もう少し隠してくれていたら良かったのに。


 俺は、舞い落ちる雪を少しだけ睨んでから、彼女の手を引き家に入った。

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