第50話 戻る時間
屋上のドアを開けると、この前よりも冷たくなった風が私を包む。
ほんの数日前まで、ここは私が安心できる唯一の場所だったのに今はそんな風に思えなかった。
促されて彼の隣に並ぶと、風が彼の香りを私に運んだ。
懐かしいその香りは、急に昔の二人を思い出させるから、私はどうしていいかわからなかった。
「……晃。ごめん」
私の方を向き深々と頭を下げたあと、彼が少しずつ話し始めた。
高校に入った途端、タイムが伸びなくなってすごくイライラしていたこと。
そのイライラを抑えられなくて、私に『傍で見られると辛い』と言ってしまったこと。
「でも……本当に見に来なくなるなんて思ってなかったんだ」
彼が言うには、茉由が会いに来るようになったのはその頃からだという。
彼女はいつもニコニコと笑い、彼のことを『すごいすごい』と何度も褒めたから……
「正直、嬉しかったんだ」
彼は、彼女のおかげで楽になった瞬間が何度もあったようで、だからなおさら、彼女が話した『嘘』も信じきってしまったと言った。
「あの子が言ったんだ。……晃はモテるし、男友達がたくさん出来て、毎日楽しそうだって」
「……俺が可哀想だって」
「自分なら、例え見に来ないでって言われたって毎日来るって。……俺のことを……好きだからって」
ハッキリ聞かされると、やっぱりかなりキツくて胸が潰れてしまいそうになる。
血も止まってしまったのかと思うほど体が冷たくなった。
「……本当にごめん」
反応出来ずにいたからか、彼は再び深々と頭を下げる。
「……どうかしてたよ、俺。……本当にごめん」
見下ろす程の位置に落ちた彼の後頭部。
それは彼の、心からの謝罪だとわかったから、私はちゃんと許してあげなきゃと思った。
「……もういいよ。大丈夫」
彼の表情は一気に明るく変わる。
その顔が私の好きな顔だったことを思い出したから、思わず笑みも零れた。
「あきら……」
「私、もう行くね」
みんなが待ってるから、もう行かなきゃって思った。
お昼の時間がなくなっちゃうなって思った。
腕に抱えているこのクリームパンを早く食べなきゃって思った。
だから私は、彼に背を向けて戻ろうとした。
昔の二人に別れを告げようとした。
――それなのに。
「俺たち!やり直さないか?!」
そう私を呼び止めるその声。
「罪滅ぼしさせて欲しいんだ」
彼には似合わない、か細いその声。
「……頼む」
――特別断る理由が思い付かなかった。
だって、確かに私は彼を好きで、ずっとずっと、ついこの間までここから見つめていたんだし……
みんなの顔が順番に浮かぶ。
最後に浮かんだあいつの顔は、さっき彼を怒った時の顔だった。
――私が離れれば、あいつにあんな顔をさせなくて済むよね。
なぜか……そう思った。
その日、私は再び、菊地和浩の『彼女』になった。
みんなが待つ教室に行けなくなった私は、貰ったクリームパンを和浩くんの隣で頬張る。
ふわふわの白いパンの中に、黄色いカスタードクリームがたっぷり詰まっているそのクリームパン。
いつもと同じはずなのに、なぜか今日のは特別美味しい気がしてならなかった。
ごめんね。
誰に謝っているのか、何に謝っているのかわからない。
それでも何度も浮かんでくるその言葉。
ごめんね。
……ごめんね。
……本当にごめんね。
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