第45話 最初のキスは……

『こら、右京ー!!』


 隣の部屋から突然聞こえてきた未央の叫び声に、思わずコーヒーを持っていた手が揺れた。


「大丈夫か?」


 少し手にかかったそれをタオルで拭きながら左京くんが尋ねた。


「大丈夫。少し冷めてたし!」

「向こうは荒れてんなー」

「右京くん、なにしたんだろ」


 目を合わせて二人で笑う。

 久しぶりに気持ちが穏やかだった。

「眉間にシワ、ないね」

 正面に座る彼は、そう言うとこの前と同じように私の眉間を親指でなぞる。

 急に近付いた彼の顔にドキドキする。


『高木と水沼になんかしても許さないから』


 思い出された彼の言葉。

 晃ちゃんのことだけじゃなく、私たちを守ることにまで頭が回る。凄いなって思った。


「あ!ねぇ、左京くん!そういえば、あの写真どうやって手に入れたの?」


 晃ちゃんの中学時代の写真、あれが決め手になったのは間違いないけど、どうして彼が手に入れられたのか気になっていた。


「あー、あれ?」

「……うん!誰から借りたの?」


 彼は少しだけ考え込んだあと口を開いた。


「あいつらの中学校に行って、陸上部のやつ探して、手伝ってもらった」

「え?手伝ってくれたの……?」

「うん」

「……女の子?」

「え?なんで?男だよ」


 予想以上に行動的な彼の一面を知れて嬉しい気がする反面、不思議でならなかった。

 右京くんならまだしも、左京くんが後輩を従える姿がいまいち想像できなかったから。

 どちらかといえば、彼にときめいた女の子が協力したっていう図の方が簡単に想像できる。


「不思議?」


 私の表情を瞬時に読み取った彼はニコニコしながら正面から隣に移動した。

 彼は肩がぴったりつく距離に座る。ドキドキしていると彼が言った。


「スタートの仕方とか、コツを教えてやったの」

「え?」

「高跳びのコツも教えてやったよ?」


 スタート……?

 高跳び……?


「も、もしかして陸上やってたの?!」


 驚く私に彼は微笑む。


「うん。実は記録保持者」


 右京くん並みに運動神経がいいのは周知の事実で、今でも色んな部活から誘われてるのも知ってたけど、陸上をやってたなんて噂にもなってなかった。

 う、噂では……確か。

「……さ、サッカー部じゃなかったの?」

「サッカーもやってたよ」

「ば、バスケは?」

「バスケは、右京の方がうまかったからなー」


 ――でもやってたんだ。

 こんなに格好良くて、頭も良くて、どの運動もこなしちゃうなんて……。


 釣りあってない私たち。

 だからあの子は、左京くんをも奪えると思ったのかな。簡単だって思われたのかな。

 彼と私が釣りあってないのはちゃんと自分でもわかってる。

 わかってるんだけど……心が、どんどん沈んでいく。それと一緒に、頭も垂れ下がった。


「高木。……余計なこと考えない」


 優しい彼の声と、ふわりと私の体に回される彼の腕。沈みかけていた私を一気に陸まで連れていく。

「釣りあってないとか寂しいこと言うなよ?」

 そんな彼の言葉が嬉しくて、嬉しくてたまらなくて、彼の腕の中で何度も首を縦に振った。彼は、私の頭をポンポンと包み、『それで良し』と言う。

 敵わないなぁと思った。


 ***


「そういえば、約束してたご褒美くれる?」

「ご、ご褒美!?」


『そう。約束したよね?』そう微笑む彼は、少し離れていた私との距離をもう一度つめる。


「ご、ご褒美って何すればっ?!」


 近付く顔から少しでも逃げようとしたが、彼の真っ直ぐな目がそれを許さなかった。


「そうだなぁ。まずは……」

「ひ、ひとつじゃないの?!」


 ひとつだけなんて言ったか?と彼は意地悪な顔をして続けた。


「まずは、そうだな。……左京って呼んでみて?」


 ブンブンと顔を横に振ったけれど、彼は私を見つめながらコクンと1度だけ頷いた。

 ドクン、ドクンと高鳴る鼓動と、渇ききった喉。驚くほど小さな声しか出なかった。


「……さ、左京?」


 それでも彼は、ニッコリ笑って頷き、急に目を閉じる。


 え!?!?


「もうひとつ」


 そう言う彼の行動が、何を指すのかすぐに分かった。

 なぜなら彼が、目を閉じたまま、顎を二、三度上に動かしたから。

 恥ずかしすぎて、固まっていると、うっすら片目を開いて彼が言う。


「千草から、して」


 初めて呼ばれた下の名前と、求められていることへの衝撃で思わず声を出してしまう。


「む、無理だよっ!」


 すると彼は人差し指を口に当てて、『隣に聞こえる』と笑い、また目を閉じた。

 隣の部屋から聞こえる右京くんと未央の話し声。外から聞こえる小学生の声。

 ドキドキと高鳴る胸の音。


 ……は、はじめてなのに自分からだなんて絶対に絶対に無理!!

 もう、恥ずかしすぎて泣いてしまいそう。

 私は思い切り目を瞑り、膝の上で手を握りしめた。


「ごめん」


 ふと斜め上から聞こえる声。

 ゆっくり見上げると、柔らかく微笑む彼の顔。


「からかいすぎた?」


 柔らかいその声も、私を困らせる。

 さらに激しくなる心臓の音。


「……千草」


 もう一度呼ばれた下の名前。

 ゆっくりと、彼の顔が近づく。

 私を見つめる彼の瞳が、すぐ目の前で閉じられたから――私もゆっくり目を閉じた。


 重なる唇。


 触れた唇から、彼の高まった心臓の音も、聞こえたような気がした。


『好き』


 離れた彼が優しく微笑みそう言った。


『私も好き』


 耳が赤くなっていたから、彼も照れたんだとわかって嬉しかった。


 もっと、もっと響いてほしい。

 私のこの気持ちが、彼にもっともっと届いて欲しい。そう思った。

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