20.戦いの咆哮
怒りに燃えるヴァネッサは、目の前に立ちはだかるヤガザンと向き合っていた。
その間にも、周囲の通りや路地からは、治安隊、さらには衛兵隊の隊員までが続々と姿を現していた。誰もが完全武装で、その身のこなしからも、よく訓練されていることがうかがえた。先ほどまで金をせびることしか考えていなかった連中とは、明らかに違っていた。
狙撃に適した高い建物や細い路地には、弓兵や投槍兵、弩兵たちも身を潜めていた。ヴァネッサは、無数の殺意が自分に向けられていることさえ、かすかに感じ取っていた。
だが、こんな状況でも彼女には自信があった。このまま戦いを続けても、バロア大城が混乱に陥りさえすれば、全力を尽くして脱出する機会はある。
ただし、そうなれば知性種族に扮して調査を進めるという任務は、完全に終わってしまうだろう。
考えれば考えるほど腹が立ち、ヴァネッサは思わず小さく舌打ちした。
なぜ知性種族というものは、ほんの些細な欲望のために、これほど多くの騒ぎを引き起こせるのか。
悪魔種族はもちろん、巨竜の一族やエルフ族でさえ、彼らをあまり信用したがらないのもそのためだった。
そして何より厄介なのは、そんな欲望に目を曇らされた種族こそが、この時代に選ばれた種族だということだ。
ヴァネッサも、正体を公にして彼らに反旗を翻すわけにはいかなかった。そんなことをすれば、果てしない追跡と討伐に晒されるだけなのだから。
悪魔種族には、傲慢さ、殺戮への欲求、破壊衝動、冷酷さなど、それぞれに際立った性質がある。他の種族もおおむね似たようなものだ。だが、知性種族ほど欲望が複雑に入り組み、泉から水が湧き出すように次から次へと尽きることのない種族は、ほかに存在しなかった。
前回の大変革からすでに千年が経ち、各種族には知性種族がどのような存在なのかを見極めるだけの時間があった。
そのため、かつて各種族の先人や賢者たちの間では、一つの陰謀めいた推測が語られたこともあった。今という時代は、実のところ欲望に支配された時代なのではないか。
だからこそ、欲望の神を信奉する者たちが次々と現れ、しかもその大半が人間なのではないか、と。
さらには、伝説によれば、人の魔王でさえその神と関わりがあるという!
幾重にも取り囲む兵士や住民たちが警戒を強める中、さまざまな考えを巡らせていたヴァネッサは、終始無表情のままだった。
それでも最後には、ゆっくりと両腕を下ろした。
夜空を覆っていた超巨大な魔法陣が、光の粒となって少しずつ崩れ、消えていく。散りゆく魔力の輝きが、暗い空に無数の光点を残した。
「捕らえろ!」
亜人の女魔法使いが攻撃をやめたのを見て、ヴァルは即座に怒鳴った。自ら先頭に立ち、彼女を捕らえようと駆け出す。
だがその行く手には、昼間にも彼の前に立ちはだかった、大地にそびえる山のような巨体が再び現れた!
今度こそ、ヴァルに退くつもりはなかった。
そもそも今夜、彼は以前から追い続けていた邪教徒を包囲し、捕縛する任務に当たっていた。昼間、見知らぬ強者たちに対して特に警戒していたのも、その任務があったからだ。
ようやく捕縛任務を無事に終えたところへ、今度は中城区の広い範囲で通りや住宅が魔法によって破壊されたとの報告が飛び込んできた。
休む暇さえなく部隊を率いて駆けつけてみれば、治安隊が到着しているにもかかわらず、犯人は攻撃をやめるどころか、中城区全体を魔法で吹き飛ばそうとしていたのだ!
これで怒らずにいられるはずがない!
もはや、あの亜人の女魔法使いが根蔵教会とどのような関係にあるのかなど、考えている場合ではなかった。これほど危険な相手は、何としても先に捕らえなければならない!
「そこをどけ!」
背中から金属製の大槌を引き抜くと、ヴァルの全身の短い毛が逆立った。顔つきはさらに獰猛な獣のものへと変わり、体格までもが一回り大きくなり、目の前のヤガザンと同じくらいの巨体になった。
技巧「爆発」と技巧「怪力」を組み合わせて用いると、エネルギーが凄まじい勢いで全身を駆け巡り、最後には両腕へと集中していった。
ヴァルが大槌を振り抜いた瞬間、空気を爆ぜさせるほどの一撃が放たれた!
だが、空気を破裂させる程度の力では、大地にそびえる山を動かすことなどできない。
少なくとも、今のヴァルには無理だった。
渾身の力を込めた金属製の大槌。その先端の一角が、真正面から巨大な手に激突した!
ドンッ!!
接触した瞬間、双方の力が衝撃波となって爆発的に広がった!
純粋な力と力の激突。
その衝撃で、すでに焼け焦げていた通りの石畳がひび割れ、砕け散っていく。真正面から押し寄せた轟音と空気の波動に、ヴァネッサは眉をひそめ、ヤガザンの背後へと身を退いた。
一方のヴァルは、顔から首筋にかけて太い血管が浮かび上がり、両腕の筋肉も膨れ上がっていた。体の表面には淡い光さえ漂っている。
技巧によるエネルギー操作が、限界近くまで高められている証だった!
しかし、大槌の先端は巨大な手のひらを貫き、そこから鮮血が絶え間なく流れ出ているにもかかわらず、空中でがっちりと止められていた。それ以上、どうしても押し込めない!
しかも、目の前の野蛮人は片手しか使っていないのだ!
その光景を目にした訓練された治安隊員たちは、すぐに危険な巨体を避けて回り込み、側面や背後から、事件を起こした亜人の女魔法使いを先に捕らえようとした。
その時だった。
押し合ったまま動かない大槌から伝わる感触に、ヴァルは何か異常を察した。
「気をつけろ!」
慌てて部下たちに叫んだ、その直後!
野蛮人の全身から、凄まじい量の血色の霧が噴き出した!
そして片足を持ち上げると、地面を強く踏みつけた!
力の波が、彼を中心として四方八方へ広がっていく!
通りの石畳が、まるで海の波のようにうねり始めた。振動を伴う波が幾重にも押し寄せ、逃げ遅れた治安隊員たちは次々と足元をすくわれ、あちこちによろめき倒れた。
一部の精鋭は素早く跳び上がって衝撃をかわしたものの、もはや野蛮人と亜人の女魔法使いに安易に近づこうとはしなかった。
「野蛮人! お前は魔法使いと手を組んで、バロア大城を破壊したんだぞ! 永久に追われる身になりたくなければ、今すぐ抵抗をやめろ!」
ありったけの力を振り絞り、顔を真っ赤にして怒鳴り続ける治安隊長。
それに対し、ヤガザンは相変わらず人のよさそうな表情を浮かべていた。空いているほうの手で軽く頭を掻く。その顔には申し訳なさと、どうしようもない困惑が入り交じっていた。
「僕……僕たち、わざとやったわけじゃないんだ。ヴァネッサだって手加減してくれたし、あの人たちが……」
「手加減だと!?」
「中城区の通り一本を、建物ごと吹き飛ばしておいてか!? うちの小隊長や何人もの人間、それに子供まで生死がわからないんだぞ! それが手加減だと言うのか!?」
「いっそのこと、バロア大城を丸ごと壊せばよかったじゃないか!」
ヤガザンは少し離れた場所へ目を向けた。
そこでは、数人の負傷者が医者や神官による救命処置を受けていた。
半身を黒く焼かれたココアの傍らでは、ロロが泣きながら必死に妹へ呼びかけている。巻き添えを食った住民たちの中にも、憎しみに満ちた目でこちらを睨んでいる者がいた。
口下手なヤガザンには、ヴァネッサが本当に手加減していたのだと、彼らに説明するのは難しかった。
少なくとも、以前、迷いの荒漠で自分さえ傷つけた、幾重にも重なる魔法陣が現れるところは見ていなかったのだから。
ただ、ヴァネッサが知性ある生命をまるで大切にしていないのも事実だった。それでも彼女が怒りに任せて攻撃したのは、自分を助けるためでもある。
その間に挟まれたヤガザンは、どうすればいいのかわからず、ひどく困り果てていた。
しばらく考えた末、彼はもう一度説明を試みた。
「だって……先に問題を起こしたのはあの人たちで、それに治安隊の人たちにも問題があって、僕たちは……」
「だからといって、バロア大城を破壊していい理由にはならん!」
もはや聞く耳を持たず、ヴァルが再び怒鳴り声を上げた!
今度こそ、本当に全力だった!
金属製の大槌が少しずつ押し込まれ、ヤガザンの手のひらをさらに深く貫いていく。傷口が広がるにつれ、流れ出る鮮血も激しさを増していった!
背後でその光景を見ていたヴァネッサの怒りは、すでに頂点に達していた。紫水晶のような瞳を激しく輝かせ、治安隊長を射抜くように睨みつけると、とうとう罵声を浴びせた!
「この無能が! 治安隊長のくせに、きちんと仕事をしてあんなクズどもをバロア大城にのさばらせなければ、こんな馬鹿げたことは起きなかったんだ! それを私たちのせいにするとは、よくもそんなことが言えたな!」
「バロア大城をどう管理するか、お前のような破壊者に指図される筋合いはない! 盾持ち、前へ! 弓兵、構え!」
命令を受けた周囲の治安隊と衛兵隊は、再び素早く包囲を狭めていった。あちこちからエネルギーや神術、魔法の波動が次々と立ち上がる。
だが、ヴァネッサも引き下がらなかった。怒りのあまり、かえって冷たい笑みを浮かべる。
「いいだろう! この無能め、目を見開いてよく見ていろ! 私がどうやってバロア大城を破壊するのかをな!!!」
再び両腕が高く掲げられた!
その瞬間、夜空に五つもの超巨大な魔法陣が幾重にも重なって現れた。
火のエネルギーが少しずつ引き寄せられ、集まり始める。そのエネルギーがすべての魔法陣を次々と通過すると、一瞬にして青と白の光が入り交じる巨大な炎の蛇へと姿を変えた!
空高くに浮かんでいるにもかかわらず、その凄まじい高熱は、中城区にいるすべての者に死の危険を感じさせた!
同時に、いくつもの魔法結界と神術による障壁が素早く展開され、中城区を覆い始めた。
さらに、一部の魔法使いたちは呪文を詠唱し、空中に水系統の魔法陣を生み出して、巨大な炎の蛇と向かい合わせた。
冷たい氷と灼熱の炎が触れ合った途端、大量の高温の蒸気が爆発的に広がった!
白い霧が四方を覆い尽くす。
耐えきれなくなった一般住民たちが、あちこちへ逃げ出し始めた。中城区全体が混乱に陥るのは、もはや時間の問題だった。
ヴァルは即座に決断し、命令を下した!
「魔法使いを攻撃しろ! 魔法を完成させるな!」
目の前の愚かな知性ある生命たちへの苛立ちが限界に達し、ヴァネッサはもはや手加減するつもりはなかった。呪文を唱える速度はさらに上がり、魔法陣から放たれる高熱の波が、次から次へと押し寄せてくる。
双方の攻撃準備は、ついに最終段階を迎えていた。
死闘が始まるのは、ほんの一瞬先だった!
これ以上は取り返しのつかないことになる。そう悟ったヤガザンの顔が、たちまち厳しく、重々しいものへと変わった。
これまでずっと耐え続け、胸の奥に積み重ねてきた怒りが、一気に爆発した!
彼は深く息を吸い込んだ。
それまで全身を取り巻いて漂っていた血色の気配が、吸い込まれるように体内へと戻っていく。厚い胸板が大きく膨れ上がった。
そして次の瞬間!
積もりに積もった怒りが、一声の凄まじい咆哮となって解き放たれた!
ヤガザンは天を仰ぎ、雄叫びを上げた!!!
重く、雄々しい音の波が、空を突き破るように駆け上がった!
咆哮が放った圧倒的な力は、空に浮かぶすべての魔法陣を、一瞬にして吹き散らした!
だが、その低く遠くまで響き渡る咆哮は、それだけでは終わらなかった。絶え間なく広がる音の波が、大地を揺るがし、建物を震わせ、人々の心まで圧倒していく!
遠くで身を潜め、女魔法使いを射殺しようと待ち構えていた者たちでさえ、その影響から逃れられなかった。頭の中をかき乱すような激しいめまいと痛みに襲われ、次々と頭を抱えて苦しみ始めた。
最も近くにいたヴァルは、さらに大きな衝撃を受けていた。
その顔に浮かんでいるのは、信じられないという表情だけだった!
なぜなら、目の前で自分の武器が、凄まじい力によって握り潰され、変形し始めていたからだ!
それは大型魔獣の頑丈な皮や甲殻さえ打ち砕ける、特製の金属製大槌だったというのに!
突然の咆哮に、中城区の戦況は完全にかき乱された。その場にいた者は誰一人として影響を免れず、住民の中には逃げることさえできなくなり、地面にうずくまって頭を抱え、泣き叫ぶ者もいた。
ヴァルも、すぐ目の前にいる恐ろしい野蛮人の口を塞ぎたいと思っていた。だが、最も激しい衝撃を受けているのは、ほかならぬ彼自身だった!
凄まじい圧力を受け、目や耳、鼻や口から血が細い筋となって飛び散り始めた。途切れることのない音の波に圧倒され、抵抗する力さえ失っていた。
亜人特有の頑丈な体と、日頃から積み重ねてきた厳しい鍛錬がなければ、真っ先に命を落としていたかもしれない!
どうすることもできず、咆哮の音波によって中城区が少しずつ破壊されていくのを見守るしかなくなった、その時だった。ヴァルが心底嫌っている女の声が響いた。
「デカブツ! 早くやめろ! 私までその声で殺す気か!」
その声で我に返ったかのように、ヤガザンはようやく天へ向けた咆哮を止めた。
感情が落ち着きを取り戻すと、手のあたりからかすかな痛みが伝わってきた。視線を落とせば、自分の手の中で金属製の大槌が無残に変形している。
何気なくそれを引き抜くと、大量の血肉まで一緒に引きずり出され、手のひらはほとんど空洞になってしまった。
だが、次の瞬間!
白い骨、赤い肉、血の筋が、凄まじい勢いで湧き出した!
それらは肉眼でもはっきりわかる速さで絡み合い、伸び広がり、傷ついた部分を次々と補っていく。
そして、わずかな時間のうちに、完全な形をした手のひらが再生してしまった!
その光景には、ヴァルはもちろん、ヤガザンとしばらく行動を共にしてきたヴァネッサでさえ、信じられないほどの驚きを覚えた。
これは断じて、普通の知性ある生命が持ち得る天賦や能力などではなかった。
ヤガザン。
この野蛮人は、あまりにも異常だった。
超獣種に匹敵するのではないかと思えるほどに、異常な存在だった!
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