21.無能

 血色の気配が糸のように、霧のように夜空へと広がり、野蛮人が咆哮を続ける間に、いつしか中城区一帯を覆っていた。


 冷ややかな闇神の光が降り注ぐ中、数多くの建物が崩れ落ち、見渡す限りの通りが破壊されていた。その光景は、巨大な超獣種に踏み荒らされたかのようだった。


 警戒を怠らずにいた者も、身を潜めて奇襲の機会をうかがっていた者も、正面から包囲していた者も、あの恐ろしい野蛮人を目にした途端、得体の知れない恐ろしい何かに睨まれたかのように、心臓が縮み上がる思いをした。


 亜人の女魔法使いが野蛮人を我に返らせると、血色の気配が生み出した濃い赤霧も、ようやく薄れ始め、ゆっくりと消えていった。


 凄まじい咆哮と血霧の二重の衝撃を受け、その場にいた者たちはようやく理解した。一見すると弱々しく、与しやすそうに見えたあの野蛮人こそ、亜人の女魔法使いをはるかに上回る脅威だったのだ!


 間近でその恐ろしさを味わったヴァルの頭には、さらに馬鹿げた考えが浮かんでいた。


 バロア大城にいるヤガザンは、まるで羊の群れに放り込まれた血に飢えた魔獣のようなものだ。普段は間の抜けた笑みを浮かべて眠っているが、ひとたび目を覚ませば、自分たちを一人残らず皆殺しにしてしまう!


 ヴァルが目の前の厄介な野蛮人と亜人の女魔法使いをどう扱うべきか考えていると、その野蛮人がこちらへ歩み寄ってきた。


 全身を覆う短く硬い毛が逆立ち、ヴァルは心臓がこれまでにない速さで脈打っているのを感じた。


 ごくりと唾を飲み込んだ。治安隊長としての責任感から、ヴァルはどうにかその場を動かずに踏みとどまった。だが、どういうわけか、自分より頭一つ背が高いだけの野蛮人が、今は異様なほど巨大に見えた!


「すみません。武器を壊してしまって、本当に申し訳ありません」


 手を出すでもなく、怒鳴るでもなく、責めるでもない。


 ヴァルはその時、ようやく相手の顔をまともに見た。いつもの人のよさそうな大きな顔には、申し訳なさそうな表情が浮かんでいるだけだった。


 だが、ヤガザンが拾い上げ、差し出してきたねじ曲がった金属の塊を見て、ヴァルは思い知らされた。目の前の相手は、自分が何かを要求できるような存在ではないのだと。


 両手で自分の「金属製の大槌」を受け取った。目の前にあるのは、圧倒的な暴力によって無残に破壊された武器の残骸だった。


 その光景はヴァルの警戒心をいっそう強め、長年変わらなかった衝動的な態度さえ一変させた。


「こほん……いや、気にするな。ちょうど新しい武器に替えようと思っていたところだ。それより、お前の手は……」


 それを聞いたヤガザンは、大槌に貫かれた左手を差し出し、手のひらを返しながら眺めた。ほんの短い間に、傷はすでにほとんど塞がっていた。新しく生えてきた柔らかな肉と薄い皮膚は、周囲とは明らかに色が異なり、今も成長を続けている。


「大丈夫です」


 目の前で起きている、肉体そのものの恐るべき奇跡に、ヴァルは思わず手の中の金属の残骸を強く握りしめた。何かを言おうと口を開いたものの、結局はすべて飲み込んでしまった。


 周囲を見渡せば、隊員も住民も冒険者も、皆が緊張した面持ちで自分を見つめていた。ヴァルはようやく、ぽつりぽつりと言葉を絞り出した。


「お前……今回の……今日の件は……うむ……」


 ヴァルがまともに話すことさえできないのを見て、ヤガザンは自分の咆哮の衝撃で相手が負傷したのだと思った。申し訳なさそうに、そして心からの誠意を込めて、先に軽く頭を下げて謝った。


「僕はただ、おいしいものを食べたかっただけなんです。みんなに迷惑をかけて、本当にすみません。何か僕にできることはありませんか?」


 吹き飛ばされた通り、壊れた家々、そして今も燃え続ける大火。中城区の一部は、すでに完全に破壊されていた。これまでの慣例に従うなら、たとえ事情があったとしても、ヴァルは犯人に容赦なく死を言い渡していただろう!


 そもそも、このような混乱した土地を治めるには、血も涙もない厳しい手段が必要だった。情けをかける余地などほとんどなく、城議会もこれまでヴァルのやり方を認めてきた。


 だが、今日ばかりは例外中の例外となるに違いなかった。


 南方未踏地帯では、何よりも力がものを言うのだ!


 同じ謝罪でも、今になってようやく、その野蛮人の謝意は居合わせた全員に「確かに」伝わったのだ。


 ヴァルは一人の隊員を呼び寄せ、手にしていた武器の残骸を渡した。後で城議会に持ち込み、議員たちに見せるためだ。治安隊がどれほど恐ろしい相手に遭遇したのかを理解させ、自分たちが決して職務を怠っていたわけではないと証明するには、これ以上の証拠はない。


 力では到底かなわない相手が、こちらと落ち着いて話し合うつもりでいるのなら、わざわざ命を懸けて戦おうとする馬鹿はいないだろう。


「ヤ……ヤガザン、だったな?」


 心の中で危険を知らせる警鐘が鳴りやまない。それでもヴァルは一歩前に出て、話し合いを試みた。


「はい、僕はヤガザンです。ヴァル隊長にも、みんなにも迷惑をかけてしまいました」


 申し訳なさそうな野蛮人の顔を慎重に見つめながら、ヴァルは口を開いた。


「実は……実はな、よく考えてみたんだ。何が起きたのかはまだわからんが、お前たちは……いや、お前は、住民に自分から手を出したわけじゃない。それに、死追い犬の一味は外城区でも悪名高いならず者ばかりだ。何か事情があったのかもしれん。もう一度証拠を集めて、きちんと調べ直すつもりだ」


 本当は相手に悪意がなかったことを理由に挙げたかったのだが、亜人の女魔法使いによる無差別攻撃が、その場にいた多くの者を実際に傷つけていた。


 死追い犬の一味を除けば、最も重傷を負ったのは、爆発性の魔導具の爆発に巻き込まれた幼い亜人の少女だった。今も懸命な救命処置が続けられている。


 そのためヴァルは、とっさに言い方を変え、野蛮人の行動だけは問題がなかったと述べたのだ。


 そして実際、今になってよく考えてみれば、あの野蛮人はこれまで一度も、自分から直接誰かを傷つけてはいなかった。


 バロア大城では、治安に関する判断はこれまで一言で決まっていた。調査だの証拠だのという言葉とは、まるで縁がない。ところが今日、いつも厳しい顔をしているヴァル隊長の口から、そんな聞き慣れない言葉が飛び出したのだ。


 周囲にいた度胸のある隊員や冒険者たちは、とうとう笑いを堪えきれなくなった。


 忍び笑いが耳に入ると、ヴァルは彼らを凄まじい形相で睨みつけ、怒鳴り声を上げた!


「何を見ている! そんなところでぼさっとしている暇があったら、さっさと消火を手伝え!」


「倒壊した家屋には取り残された者がいないか捜索しろ! 治療が必要な重傷者は全員、内城区へ運んで神官と医者に任せろ! それから何人かで、死追い犬の一味のうち、まだ息のあるクズどもを牢に放り込んでおけ! 後で俺が直々に尋問する!」


 精鋭隊員たちの動きは素早かった。命令を受けると、ヤガザンとヴァネッサへの包囲と警戒を解き、次々と救助活動に加わっていった。


 もちろん彼らも、今回の事件には不公平な点がいくつもあると理解していた。だが、弱肉強食が当たり前のこの開拓地に、そもそも公平など存在しない。


 巻き添えを食い、最も不運な目に遭った周辺住民でさえ、運が悪かったと諦め、黙って受け入れていた。自分たちの壊れた家を片づけ始め、中には、少なくとも、大勢の死傷者が出るような惨事には至らなかったことを、心のどこかで幸いだと思う者も少なくなかった。


 前回、邪教徒の反乱と盗賊団による攻城が起きた時は、こんなものでは済まなかったのだから。


「あの……ヴァル隊長、僕も手伝えます。何かできることはありませんか?」


 皆が忙しく働き始めたのを見て、ヤガザンは進み出て尋ねた。迷惑をかけたことを、本当に申し訳なく思っていたのだ。


 巨大な圧迫感を放つ影がさらに近づいてきたのを感じ、ヴァルは反射的に一歩後ずさった。顔色を変え、慌てて手を振った。


「い、いや、いい! 必要ない! うちの役立たずどもは最近たるみすぎているからな。ちょうどいい訓練になる。あいつらにやらせておけばいい。今後また似たようなことが起きた時の経験にもなるだろう」


 忙しく働いていた精鋭隊員たちの多くがそれを耳にすると、無言のまま、まるで示し合わせたように隊長へ向かって下品な手振りを送った。


 あちこちから向けられる抗議の仕草を無視し、ヴァルは目の前の巨大な危険をどうにかして取り除く方法を考えていた。


 毎日びくびくしながら、いつ誰かが駆け込んできて「野蛮人がバロア大城を破壊しています!」と報告するのではないかと怯え続けるなど、まっぴらだった。


 一方のヤガザンは、何度も善意を示したのにすべて断られ、どうすればよいのかわからず、頭をかき始めた。本当に皆を助け、被害を受けた人々に償いたかった。怪我をしたココアの様子も見に行きたかった。


 だが、今は自分が勝手に動き回ってはいけないことも、よくわかっていた。


 誰もが自分を恐れているからだ。


 少し前まで魔神のように恐れられていたこの野蛮人が、実はどこか途方に暮れていることに、気づく者はいなかった。


 その時、背後から少し尊大な口調の女の声が聞こえてきた。


「デカブツ、もう話は終わったな。お前には十分機会をやった。ここからは私の番だ」


 燃えるような赤い長髪をなびかせ、ヴァネッサがヤガザンの脇から前へ出た。


 そのまま手の甲でヤガザンの広い胸を強く叩き、自分の後ろに下がるよう示した。


 向き合う相手がようやくヤガザンからヴァネッサに替わり、ヴァルも内心ほっと息をついた。もともと、この亜人の女魔法使いを恐れてはいなかった。それに、これほど近い距離なら、たとえ素手でも素早く相手を仕留められる自信があった。


 もちろん、隣にいる野蛮人に邪魔されなければ、の話だが。


「お前……」


「お前に与える選択肢は一つだけだ。明日、この件に関わった犯罪者どもを全員、城門の前で縛り首にしろ!」


 ヴァルは目を見開いた!


 選択肢が一つだと?


 それでは選択の余地などないではないか!


 確かに事情はあったのだろう。だが、彼女の大規模な魔法によって中城区や住民が被害を受けたことも事実だ。それなのに、今さらこんな要求を突きつけてくるとは。


 もしここで頭を下げて従えば、今後の治安隊による統治に大きな悪影響が出るに違いない。


 幸い、ヴァルにもわかってきたことがあった。あの野蛮人は、地元に迷惑をかけるような行為には加担しないらしい。


 眉をひそめ、反論しようとしたその時、ヴァネッサはすべてを見透かしているかのように、先に口を開いた。


「その代わり、私とデカブツは明日、バロア大城を出ていく」


 その交換条件を聞き、ヴァルは考え直した。それならば、受け入れられない話でもない。


 住民たちは、治安隊が二人の危険人物をバロア大城から追放したと思うだろう。それに、外城区の混乱もそろそろ徹底的に取り締まるべき時期だった。またこんな規格外の強者を怒らせることになれば、ヴァルが十人いたところで殺されてしまう。


 ヴァネッサを前に、ヴァルはようやく治安隊長らしい厳格さと落ち着きを取り戻した。即座に決断し、低い声で告げた。


「いいだろう。約束は守ってもらいたい。お前がこの地へ何をしに来たのかは知らんが、もし約束を破れば、バロア大城は総力を挙げて、お前がこの未踏地帯にいられなくなるようにしてやる」


 今となっては、どう見ても相手が単なる魔獣調査のためにやって来た魔法使いとは思えなかった。


 だが、神々の国が発行した通行証も、シルヴィ司教の保証も本物だ。結局、見て見ぬふりをしながら、こうして警告することしかできなかった。


 もちろん、この警告が向けられているのは亜人の女魔法使いだけで、隣にいる野蛮人は含まれていない。バロア大城の治安隊が全員で立ち向かったところで、あの野蛮人を止められるとは思えなかったからだ。


「交渉成立だ」


 そう言い残すと、ヴァネッサはさっさと背を向けて歩き出し、ヤガザンにもついてくるよう合図した。彼女はヤガザンを連れ、内城区へ治療のために運ばれようとしているココアのもとへ向かった。


 幼い少女は体の大半にひどい火傷を負い、焼けた部分はすでに壊死していた。亜人の生命力が強靭でなければ、普通の人間ならとうに死んでいたはずだ。


 ヴァネッサはちらりと様子を見ただけで、冷たい顔のまま何も言わなかった。


 一方、ヤガザンは心配そうな表情を浮かべていた。彼にはできることがたくさんあったが、どうすれば人を救えるのか、それだけはわからなかった。


 先ほどの戦いの嵐の中心にいたロロは、幸いにも大きな怪我こそ免れたものの、今は全身傷だらけで、血にまみれていた。乱れた髪が顔を覆い、その表情はうかがえない。


 彼は救命処置を受ける妹を静かに見つめながら、傍らでうつむき、何も言わずに立っていた。


 ヴァネッサはロロに目を向けると、余計なことは言わず、マントの内ポケットからシルヴィ司教にもらった徽章を取り出した。そして、その貴重な証となる品を惜しむ様子もなく、少年の目の前の地面へ無造作に放り投げた。


「果たせもしない約束をし、背負いきれもしない危険を冒し、手に入るはずもない報酬にまで欲を出した。その挙げ句、これだけの騒ぎを引き起こした。すべてはお前の無能さが招いた結果だ」


「役立たずめ」


「その徽章を持って根蔵教会の地区司教を訪ねろ。あの女ならココアを全力で治療してくれる。二度と私の前に顔を見せるな!」

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