19.怒りの炎
夜を迎えたバロア大城では、不揃いな城壁や点在する建物が、降り注ぐ銀色の光を遮っていた。大小さまざまな影があちこちに落ち、その中に何が潜んでいるのか、容易には見通せなかった。
通り沿いの建物が落とす影の中から、人間よりもはるかに大柄な女が、見物人を押し分けて姿を現した。
目を引く燃えるような赤い長髪を風になびかせ、全身を大きなマントで覆っている。青白く艶やかな顔は強張り、人の心を惑わせる紫水晶のような瞳は、怒りの炎が燃え盛っているかのように強い輝きを放ち、ザックたちをまっすぐ睨みつけていた。
「ヴァ……ヴァネッサ、でも……でも、あの人たちがロロとココアを連れていこうとしてるんだ」
まだ膝をついたまま立ち上がれずにいたヤガザンは、困ったように呟いた。ヴァネッサがまた怒りそうだと、彼にはわかっていた。
案の定、パンッ、と乾いた音が響いた!
ヴァネッサは筋肉の盛り上がった分厚い背中を、思いきり平手で叩いた。手のひらは痛むし、腹は立つ。歯がゆさを募らせながら怒鳴りつける。
「このデカブツ! 立てと言ったら立て! あとは私がやる!」
ヤガザンはようやく体を起こし、立ち上がると、ごく自然にヴァネッサの後ろへ回った。
並外れて大柄な男女が前後に立ち、二重の影となってザックたち一行を覆った。
死追い犬が密かに送った合図を受け、小隊長は多少怯みながらも前へ出ようとした。先ほどの小巨人でさえ、バロア大城では勝手に手を出せなかったのだ。そう考えると、少しは気が大きくなった。
彼は治安隊の証である揃いの鎧を誇示するように胸を張り、歩み出た。
「何者だ! ここで騒ぎを起こすつもりか!」
小隊長は一瞬のうちに考えをまとめていた。
相手が小巨人の仲間だろうと、例の魔法使い様本人だろうと関係ない。
そもそも、あの金が彼女のものだと証明する証拠などないのだ。仮に証明できたとしても、布袋の中身は先ほどの騒ぎに紛れてほとんど抜き取ってある。足りない分は、二人のガキが盗んだことにすればいい。
どう転んでも、金は手に入り、自分たちは無事に逃げ切れる。
厳しい顔つきとは裏腹に、内心でほくそ笑んでいた小隊長は、またしても自分の都合のいい考えに夢中になり、背後から隊員たちが緊迫した声で呼びかけていることに気づかなかった。
ようやく我に返った時には、すでに火球が正面から飛んできていた!
炎が爆ぜた!
火球は炸裂して炎を撒き散らし、小隊長は焼かれる苦痛に絶叫した。
数人の隊員が慌てて駆け寄り、火を消そうとした。だが、魔力を帯びた炎はそう簡単には消えない。消火を手伝っていた者たちまで、次々と火だるまになってしまった!
炎に包まれた者たちが次々と地面を転げ回り、その悲痛な叫び声が一帯に響き渡った。
近くで面白半分に見物していた住民たちも、さすがに異変を察した。とんでもない実力者が現れ、大事になると悟るや、次々と窓や扉を閉め、家の中に引っ込んでしまった。
多くの冒険者の小隊や傭兵団が集まる食堂にも、張り詰めた空気が漂っていた。
誰もが警戒を強める中、バヴィママはすでに屋外の飲食スペースへ出ていた。その両手には、長らく使っていなかった合金製の拳甲がはめられている。獣の顔をした彼女の喉から低いうなり声が漏れ、事の成り行きを慎重に見守っていた。
先ほどの光景は、誰もがはっきりと目撃していた。
あの大柄な亜人の女魔法使いは、呪文を詠唱することも、魔力を操るための杖を使うこともなかった。ただ手を軽く振っただけで火球を生み出し、小隊長の顔に叩きつけたのだ。
その魔法の熟練度は驚くほど高く、十大傭兵団の中でも滅多に見られるものではなかった。攻撃魔法をあれほど容易く放てる魔法使いともなれば、通常、少なくとも千人規模の戦争の行方を左右するだけの力を持っている。
さらに、彼女の背後にはまだ戦いに加わっていない蛮族が控えていた。近距離でも遠距離でも恐るべき力を発揮する、非常に危険な組み合わせだった。
その女魔法使いの強気で迷いのない振る舞いは、最前線に立つザックにも当然伝わっていた。
彼の顔が、初めて陰鬱なものに変わった。
ザックが最も嫌うのは、強大な力を持ち、好き勝手に振る舞う者たちだった。そういう相手を見るたび、幼い頃、生き延びるために必死にもがき、何度も懇願し続けた日々を思い出してしまうのだ。
仲間たちへ密かにいくつか合図を送り、ザックは厳重に警戒しながら前へ進み出た。
「魔法使い様、今攻撃した相手が誰だかご存じですか? あの男はヴァルの部下ですよ。バロア……」
脅しを含んだ言葉は、最後まで続かなかった。
女魔法使いが両腕を左右へ水平に広げたのだ。その背後に、五つの小さな魔法陣が何もない空間から現れた!
ザックはそれ以上何も言えず、慌てて仲間のもとまで後退した。反応の早い数人が盾を構えて防御陣形を作り、その周囲には薄い円形の結界まで展開された。
準備が整ったのを確かめると、ザックは陰鬱な顔のまま結界の内側に身を隠し、わざと大声を張り上げた。
「ははっ! 魔法使い様、バロア大城の治安に喧嘩を売るおつもりですか!? 忘れちゃいませんよね? ガキが二人、まだ俺たちの手の中にいるんですよ! 俺たちごと焼き殺すつもりですか!」
そう言いながら、身につけた上着を勢いよく開いた。内側には、爆発性の魔導具がびっしりと吊り下げられていた!
危険な品がこれほど大量に城内へ持ち込まれていると知り、周囲からは驚きの声が上がった。機転の利く住民の中には、すでに家を飛び出し、治安隊長へ助けを求めに走った者もいた。
度重なる脅迫に対し、ヴァネッサは紫水晶のような瞳で、ザックの身につけた爆発性の魔導具を冷たく一瞥した。やがて両腕をゆっくりと下ろし、五つの小さな魔法陣も消えていった。
「これが最後だ。金と子供二人を渡せ。そうすれば無事に……さっさと失せろ!」
その言葉を聞いたザックは、ようやく物事がいつもの流れに戻ったと感じた。陰鬱だった顔つきが一転して余裕に満ちたものとなり、盾を構えた仲間の肩に寄りかかると、わざと信じられないといった表情を浮かべて笑った。
「魔法使い様、今のお言葉は、俺たちから金を奪うってことですか? このバロア大城で? 新入りのよそ者は、まずここの決まりを覚えたほうがいいですよ!」
ザックと長く行動を共にしてきた仲間たちは、これまでも数々の危険を切り抜けてきた。強者を相手にするのも初めてではない。それでも彼らは、『保護』と『制度』を盾に、いつも無事に危機をやり過ごしてきたのだ。
十数人は息を合わせ、嘲りを込めて一斉に大笑いした!
その笑い声と、周囲から向けられる「なんだ、その程度か」とでも言いたげな視線の中で、ヴァネッサの美しい顔は、いっそう冷ややかになっていった。
怒りを露わにすることも、笑うこともない。
彼女は自分を引き止めようと手を伸ばしたヤガザンを軽く振り払い、捕らえられている二人の子供へ顔を向けた。
「お前、ロロと言ったな?」
「最初に、自分から私たちの案内役をやりたいと言い出したのはお前だったな。それに、あのデカブツにうまいものを思う存分食わせると、私に約束したのもお前だ。だが……どうやら、あまりうまくやれていないようだな」
数人の冒険者にしっかりと押さえつけられ、口と鼻まで塞がれていたロロは、その情け容赦のない紫の瞳に見つめられた。
その瞬間、何かに思い至ったかのように、小さな顔が恐怖に引きつった。
ロロは激しく叫び、必死にもがき始めた!
ガキの突然の異様な反応に、ザックの心臓が跳ねた。強烈な危機感が胸の奥から湧き上がる!
「おい! お前……!」
慌てて怒鳴った時には、すでに二つの巨大な魔法陣が、通りとその上空に展開されていた!
上下の魔法陣からは、高熱の炎が蛇のように次々と噴き出していた。赤い炎が十数人をあらゆる方向から取り囲んでいく。
近くでまだ消火活動を続けていた数人の治安隊員は、その光景に恐れをなし、意識を失った小隊長を慌てて引きずりながら現場を離れた。
「気でも狂ったか!!!」
「ガキが二人、まだ俺たちの手の中にいるんだぞ! 中城区を丸ごと吹き飛ばすつもりか!」
興奮して問い詰めるザックに返ってきたのは、赤い光の波を放つ、太く輝く一本の炎の矢だった!
薄い結界が真っ先に貫かれた。続いて炎の矢が、並べられた盾の防御陣形に激突する。轟音とともに爆発が起きた!
前列にいた数人が、たちまち吹き飛ばされた!
腕や脚、あるいは半身が黒焦げになって裂けていた。
正確に放たれた炎の矢と、爆発性の魔導具が引き起こした爆発によって、先ほどまで大笑いしていた者たちは、一瞬にして地面に倒れ伏し、かろうじて息をするだけとなっていた。
爆発の衝撃が熱風を巻き起こした。
初めて驚愕の色を浮かべたザックの顔を、その熱風が叩いた。
あの亜人の女魔法使いが、本当に攻撃してくるとは思っていなかったのだ!
心の奥に潜んでいた狂気が刺激され、ザックの顔が激しく歪んだ。
理性の糸がぷつりと切れたかのように、彼は仲間の手からココアをひったくり、盾代わりに抱え込んだ。さらにもう一方の手で爆発性の魔導具を取り出して高々と掲げると、大声で叫びながら女魔法使いへ突進した!
「来いよ! 俺を吹き飛ばしてみろ! どうせなら一緒に死んでやる!」
後方にいたロロは、妹が人質として盾にされたのを見て、口と鼻を塞いでいた手に思いきり噛みついた。わずかに口が自由になると、悲鳴のような声を張り上げた!
「やめて!」
だが、ヴァネッサの冷酷さは微塵も揺らがなかった。
最初の炎の矢が空から降り、爆発性の魔導具を正確に射抜いた。赤い光が弾け、直後にさらに大きな爆発音が響き渡る。燃え盛る炎が、ザックとココアの姿を完全に呑み込んだ!
そして、それで終わりではなかった。
二本目、三本目、四本目……。
次々と降り注ぐ炎の矢が、死追い犬の残った仲間たちへ容赦なく放たれ続けた。
周囲のあちこちで激しい火災が起こり始めた。通りは爆発で破壊され、建物は炎に焼かれ、街が壊されていく。中城区の至るところから悲鳴が上がり、人々が逃げ惑い始めた。
住民たちの多くは、ただ泣き叫びながら助けを求めて走り回ることしかできなかった。苦労して築き上げてきたすべてが、目の前で壊されていくのを見つめるしかなかったのだ。
「やめろ!」
驚きと怒りのこもった二人の制止の声が、同時に響いた。
それとともに、一本の金属製の長槍が空気を切り裂いて飛来した。凄まじい勢いで放たれた槍は、空気を震わせ、爆ぜるような風切り音を響かせていた。
同時に、上空にも大きな影が現れた。何者かが持ち上げて投げつけた、巨大な石のテーブルだった。その重量と速度を乗せ、凄まじい勢いで落下してくる。
二方向からの強烈な攻撃が、魔法を放ち続ける亜人の女魔法使いへと迫った!
奇襲は速く、激しく、しかも正確だった。
ヴァネッサはもはや我慢するつもりもなく、堕天使の象徴である黒い翼を広げようとした。
その時、ヤガザンが彼女の前に立った。
回転しながら一直線に迫る金属の長槍を、巨大な手ががっしりと掴んだ。
槍はその瞬間、完全に動きを止めた。蓄積されていた恐るべき運動エネルギーが行き場を失い、槍そのものが粉々に砕け散った!
鋭い破片が勢いよく飛び散り、岩山のように揺るがぬ巨体に叩きつけられたが、ヤガザンはまるで何も感じていないかのようだった。
一方、巨大な石のテーブルは、今にも頭上から落ちてこようとしていた。
ヴァネッサはヤガザンを信じることにした。翼を広げようとする衝動を抑え、彼のすぐ傍にぴたりと寄り添った。
巨大な片手が天へ向かって伸び、五本の指が大きく開かれた。前腕から上腕二頭筋、上腕三頭筋に至るまで、幾重にも重なった筋肉が盛り上がっていく。
その上には、ほのかに血の色を帯びた霧が立ちのぼっていた。
ずっしりと重い、巨大な一枚岩のような石のテーブルが、轟音を響かせた。
そして、その巨大な手によって、がっしりと受け止められた!
その場にいた冒険者たちは、ヤガザンが奇襲を完全に防いだこと自体には、それほど驚かなかった。
それでも、目の前に立つ勇猛な巨体を見つめていると、つい先ほどまで彼が地面に跪き、気弱で人のよい蛮族として弄ばれていたことが、どうしても信じられなかった。
だが、周囲の冒険者たちとは違い、別のものを感じ取った者が二人いた。
駆けつけたばかりのヴァルと、それに合わせて攻撃を仕掛けたバヴィママだった。二人はすぐ近くで、ヤガザンの体からあの血色の霧が立ちのぼるのを目にしていた。
その瞬間、二人の胸には奇妙な感覚が湧き上がった。
目の前にいる蛮族が、極めて獰猛な魔獣のように思えたのだ!
ヤガザンが奇襲をすべて防ぎきった。だが、自分に攻撃を仕掛けてきた者たちへの怒りは収まらず、ヴァネッサの顔はいっそう険しくなっていた。
恥知らずで愚かな知性種たちは、堕天使が決して許さない一線を何度も何度も踏み越えてきた。もはや我慢の限界だった!
ヴァネッサが両腕を勢いよく高く掲げた。
次の瞬間、中城区の空全体が、超巨大な魔法陣に覆われた!
ヴァル、治安隊、冒険者の小隊、傭兵団、バヴィママ、そして近くにいた住民たち。その場にいる全員が即座に反応し、防御の構えを取った。
これから襲い来る、超大規模な炎の魔法の衝撃に備えたのだ!
ヴァネッサが、自分に刃向かった知性種たちへ忘れられない教訓を与えようとした、その時だった。
傍らにいた蛮族が振り向き、彼女を見つめた。
そして、首を横に振った。
ヴァネッサがとうに見飽きている、あの馬鹿げた大きな顔。だが今、その顔には真剣で重々しい表情が浮かび、彼女に訴えかけていた。
「駄目だ。」
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