第三節 鷺の舞
山道には霜が残っていた。
禄風が石段を上りきると、社の前には数十人の島民が集まっていた。
咳き込む老人。母親に抱かれた子供。敷物に横たわる病人。
その向こうで、白髪の祈祷師が舞っていた。
禄風は木箱を下ろした。
奇妙な舞だった。
浅瀬を歩く鷺のように、ゆっくりと足を運ぶ。
単調な動作の繰り返しなのに、何度巡っても足の位置が狂わない。
鈴も太鼓もない。
ただ、老人の呼吸だけが静かに続いていた。
境内の端では、アサヲも舞を見つめていた。
「アサヲ」
左門が声を掛ける。
返事がない。
「おい、聞いてるか?」
「……あとでお願いします」
アサヲは振り返らなかった。
禄風は老人へ目を戻した。
足運びは変わらない。
だが、呼吸だけが少しずつ荒くなっていた。
*
「また水が出てるな」
測量会社の古参社員が、社の裏手を覗き込んだ。
石垣の隙間から水が染み出している。
「昨日より増えてませんか」
「ああ」
男が靴先で土を押した。
泥が崩れ落ちる。
「雨が来たら、こっちは作業中止だな」
その時、境内から声が上がった。
祈祷師が舞を止めていた。
老人は大きく息を吸い、空を見上げる。
禄風も顔を上げた。
青白い冬空。
薄雲はあるが、雪が降りそうには見えない。
しばらくして、
――ドン。
空が鳴った。
禄風は反射的に身を低くした。
砲声に似ている。
だが、どちらから響いたのか分からない。
雷光もなかった。
「……何だ?」
白い粒が、目の前を横切った。
一つ。
二つ。
やがて、無数に。
「雪だ!」
「降ったぞ!」
島民たちが歓声を上げた。
禄風は掌を差し出した。
冷たい粒が落ちる。
指先で潰すと、わずかに白いものが残った。
*
禄風は懐中時計を取り出した。
舞が終わり、間を置いて天鼓が鳴り、その後に雪が降った。
時刻を確かめ、社へ目を戻す。
祈祷師が柱に寄りかかっていた。
一歩踏み出そうとして、膝をつく。
「祈祷師様!」
アサヲが駆け寄り、老人の手首を取った。
「大丈夫ですか?」
「……少し、疲れただけじゃ」
掠れた声だった。
「今の雪は、あなたが降らせたんですか?」
「わしは……舞っただけじゃ。降るかどうかは、わしにも分からん」
「以前にも?」
「ああ。昔、島で病が流行った時にもな」
「どんな病気です?」
「喉の病じゃ。熱が出て、息が苦しくなる者もおった」
「その時も雪乞いを?」
「雪が降って……皆が助かった」
老人は小さく頷いた。
「だから今回も、村の者たちに……」
言葉が途切れた。
身体が傾く。
「祈祷師様!」
アサヲが抱きとめた。
「横にしてください!」
島民たちが老人を社の奥へ運んだ。
布団に寝かされても、呼吸は浅いままだった。
アサヲが脈を確かめる。
「かなり消耗しています。今日はもう動かさないでください」
島民が頷いた。
「何かあれば、すぐに知らせてください」
*
社の外では、雪が降り続いていた。
禄風は懐中時計を閉じた。
近くで、子供が激しく咳き込んだ。
母親が背中をさすっている。
アサヲが振り向いた。
「その子、熱があるんですか?」
「ええ。三日も前から……」
「少し診せていただけますか。医術を心得ています」
母親は迷った末、子供をアサヲへ向けた。
「口を開けられますか?」
子供が小さく口を開いた。
アサヲは喉を覗き込み、首筋に触れた。
「昨日は水も飲めなくて……」
「雪が降ってから、変わったことは?」
「まだ、分かりません」
アサヲは子供の手首を取り、診察を続けた。
境内では、島民たちが雪を手に受け、喜び合っていた。
一方、社の奥では祈祷師が目を閉じたまま横たわっている。
雪は静かに降り続いていた。
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