透明の断頭台
ポニポニ
透明の断頭台
「やった、シオカラトンボだ!」
少年は口角が上がるのを抑えきれなかった。大きな池を中心部に擁した自然豊かな公園。散歩する老人の他には、人が通らない閑散とした昼下がり。唸るような酷暑を物ともせずに、飛行するトンボに狙いを定めて虫採りに興ずる。これは少年の日の淡い思い出——
あれから幾年もの月日が経った。あの日の出来事がどうも私の頭を離れぬのは何故だろう?少年時の微笑ましい記憶、とは言えないその出来事は暗示の意味を以て眼前に迫っているように感じられる。それは、ある種の運命のモチーフだったのかも知れぬ。
『バタッ、バタ、バタッ』
少年に捕らえられたトンボは虫籠の中で、必死に羽をはためかせていた。この生き物には、壁がないはずの空間で飛翔できないことが不可解なのだろう。透明の虫籠というのは、その意味では罪深い監獄であった——
年月が過ぎ、私はいつの間にか、精神を侵された人間として日を浴びていた。豊かな情操は、憎悪を主体にしたニヒリズムに取って代わられた。もはや何物をも信じず、何物をも愛さない。生ける屍として日々を諦観と絶望とを以て送る私は自死を希った。
少年は無垢な笑顔を浮かべて、注意深く虫籠の扉を少しだけ開けた。トンボは依然として羽ばたきながら、透明の壁に体をぶつけている。少年はトンボの背中をつまんで、取り出そうとした——
何度も企図した自死はいずれも失敗に終わり、私は狂気の檻、精神病院に世話になった。生きることを強いられた私は、復讐を生き甲斐に据えて再び歩み始めた。
トンボは抵抗の意志を示し、頑強に少年の手から逃れ出ようとした。背中をつまんだトンボをもう少しで外に出せるといった所で、少年は『このままだと逃げられる』という急迫な危惧を抱いた。トンボは羽を激しく震わせている。少年は取り憑かれたように強く虫籠の扉をしめた。その時に——
この世とは虫籠なのかもしれぬ。そしてあの時のトンボはつまるところ私自身なのかもしれぬ。
透明の断頭台、それが人生なのかもしれぬ。
断頭台?そう私はあのトンボを——
虫籠の扉が閉められた時、トンボの頭と胴体の間にある節が引っかかっていたのだ。強く閉められた扉は、さながら落ちる断頭台の刃のように、トンボの首を落とした。
トンボは末期の痙攣を起こした後、グッタリと動かなくなった。首はコロリと重みを感じさせずに地面に転がり、風に揺れていた。少年は——走った。虫籠も放り出して。虫網を片手にただ走った。振り返ることは罪責の観念が許さなかった。
いま思えば、あの出来事は私の未来を暗示していたのだろう。私は絶望という虫籠のなかで、希望の未来を信じて藻掻いていた。あともう少しで外の光明を掴める時に運命という断頭台の刃が下ろされ、私は死ぬのかもしれぬ。
今も私は思い出す。あの夏の日のトンボを。あの後、残された遺骸と虫籠がどうなったかはついぞ覚えていない.....
透明の断頭台 ポニポニ @Poni_Poni
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