第13話「ひらがな答案と、魔法史の催眠術」

第13話「ひらがな答案と、魔法史の催眠術」

​ 魔法薬調合の実技において、漢の気合いを注入しすぎた結果、初級ポーションを炭化・大爆発させたエルフンドシ番長・雑賀アルヴェイン。

 黒焦げになった特別錬金実験室の清掃を終え、全身の煤(すす)を払って大地下図書室へと戻ってきた彼と家庭教師のタキモトの間には、極めて重苦しい空気が流れていた。

 次にタキモトが長机の上にドサリと突き出したのは、分厚い革表紙で重厚に装丁された一冊の巨大な冊子――『詳説・世界魔法史』であった。

「……いいですか先輩。前回のテストで、先輩の魔法史の点数が『2点』だった理由。オレ、学園から取り寄せた答案用紙の控えを見て、ようやく完全に理解しましたよ」

「ふっ……。歴史なんざ、数百年を生きるこの俺にとっては、つい昨日今日の出来事だからな。知識そのものは完璧だったはずだ。学園の採点官どもが、俺の真実に追いついていないだけだ」

 白フン姿で自信満々に胸を張り、フッと涼やかに前髪をかき上げるアルヴェイン。だが、タキモトは怒りと疲労で額を押さえながら、深いため息を吐き出した。

「知識があっても! 解答欄が全部『えんきりやまのたたかい』とか『まほうせいきれき』みたいに、文字のゲシュタルト崩壊を起こした幼児のごとく、ひらがなでびっしり埋め尽くされてたら、採点官も点数のあげようがないんですよ!!」

「……ぬぐっ」

 図星を突かれ、アルヴェインは気まずそうにスッと視線を逸らした。

 そう、数百年を生きるハイエルフである彼にとって、歴史的事件の真相や年号は、勉強するまでもなく実体験として熟知している。だが、問題は彼の「言語認識」にあった。

 風の音や精霊の囁きといった『音声(波動)』で世界を捉えるエルフにとって、音をそのまま写し取る表音文字(ひらがな)は魂に馴染む。しかし、自然の事象を強引に四角い枠に閉じ込め、固定化する人間の表意文字(漢字)は、大自然の流転に反する「呪縛の檻」に他ならない。そのためテスト本番において、アルヴェインは脳内の鮮明な記憶を漢字に変換することを本能的に拒絶し、覚えている歴史のすべてを「ひらがな」という音の羅列で力押ししていたのである。

 結果、採点官から「ふざけるな」と一蹴され、バツを喰らい続けていたのだ。

「いいですか。今度こそ人間の言語(漢字)で正しく答案を書けるように、まずはこのテキストの『近代魔法史』の章を読んで、文字の形ごと頭に入れてください!」

 タキモトが分厚いテキストを乱暴に開く。

 見開きの中央に広がっていたのは、ギッシリと注釈が書き込まれ、小難しい画数の多い漢字が敷き詰められた、まさに漆黒の文字の密林であった。

「……な、なんだこの黒い羽虫の大量発生みたいなページは……ッ」

「ただの歴史の解説文です! ほら、黙読して重要語句を視覚で覚えてください!」

 アルヴェインは純白の一晒し(ふんどし)をぐっと締め直し、丹田に力を込めて正座すると、親の仇でも見るような鋭い眼光でテキストを睨みつけた。

 180cmの美形ハイエルフが、震える指先で、文字の群れを一行ずつ目で追い始める。

(……くっ、この『魔導都市結成』の『結成』……。『吉』に『糸』か……? いや、違うな。そもそも『都市』なんていう窮屈なものを『結成』する人間の概念自体が、俺には理解できねぇ……。……む? 結成……? そういえば、数百年前のあの魔導都市の結成式……。人間の王がやたらと長い演説をしていて、退屈だった俺も、確か大樹の枝の上から顔を出したような……)

 活字の群れを目で追ううちに、アルヴェインの脳内で深刻なエラーが発生し始めた。

 それは単なる文字のゲシュタルト崩壊ではない。無味乾燥で小難しい漢字だらけのテキストの記述と、彼自身の豊かで生々しい「当時の記憶」との間に、強烈な乖離(ギャップ)が生じたのだ。

(……確かあの日は……。雲ひとつないぽかぽか陽気で……。南からの風が最高に心地よくて……。下の方で人間どもがしかめっ面で盟約書にサインしてる間、俺は……絶好の……昼寝日和の中で……精霊の子守唄を……)

 四角い漢字の檻から逃れるように、彼の意識は過去の心地よい記憶へと急速にダイブしていく。文字の山から漂う圧倒的な催眠波動――いや、正確には「テキストの記述をトリガーとした、過去の記憶への強烈な逆行催眠(フラッシュバック)」が、アルヴェインの脳細胞を容赦なく麻痺させ、甘美な微睡みの中へと引きずり込んでいく!

「あ、先輩! 目が完全に泳いでますよ! 古代の森を見つめるような目をして、舟を漕ぐなーっ!」

「だ、ダメだ……タキモト……。このテキスト……先ほどの漢字ドリルを遥かに凌ぐ……最上級にして不可避の『睡眠呪文(スリープ)』が刻まれていやがる……ッ!! 過去の……温かい風が、俺を呼んでいる……ッ!」

 カク……カク……と、首の据わらなくなった赤子のように、大きく頭が揺れるアルヴェイン。

「魔法じゃないです! 単に難しい字を読む現実から逃避して、昔の思い出に浸っているだけです!」

「くそっ……丹田(ふんどし)に気を込めようにも……瞼が……歴史の重みで……重い……ッ!」

 必死に自分の白フンの太ももをバシバシと叩き、大地のマナを呼び覚まして正気を保とうとするアルヴェインだったが、数百年の時を超える「生きた歴史の逆行催眠」という名の睡眠効果には、いかなる気合いも無力であった。

 バタンッ!!

 分厚い『世界魔法史』のテキストの、まさに「魔導都市結成」のページの真上に、顔面から思い切り激突するアルヴェイン。

「……すー……すー……(完全なる爆睡)」

「そ、そこまでぇぇぇっ! 雑賀アルヴェイン、歴史の文字の山に手も足も出ず、過去の記憶へと逃亡――リタイヤーッ!!」

 タキモトの悲壮な絶叫が、大地下図書室の冷たい石壁に虚しく響き渡る。

 ふと足元を見ると、霊獣アース・パグのトシロウが「グヒ……(またか)」と深く刻まれたシワを寄せて呆れ顔で寄り添っていた。そして、アルヴェインの放つ「古代の森の静寂(重低音のイビキ)」と同調したのか、常に静電気を放っていた雷獣チワワのチワ丸までもが完全に放電を止め、テキストの端っこで丸くなって「きゅー……」と気持ちよさそうに、数百年前の平和な夢の中へと落ちていくのであった。

​ 体育『5』、盤上遊戯『規格外』、しかし学科『1』の留年・エルフンドシ番長。

 人間の歴史の文字を見るだけで昏睡状態(フラッシュバック)に陥る彼の補習対策は、まさに一歩進んで三歩下がる、底なしの泥沼の様相を呈していた――。

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