第6話 補給任務です

 休日の朝、ダニエルがコーヒーを淹れようとすると、豆の袋がほとんど空になっていた。


 袋を軽く振って残りを確かめていると、キッチンの反対側で冷蔵庫を開けていたルークが振り返る。


「ご主人様。食料品、洗剤、キッチンペーパー、その他の消耗品の残量が基準値を下回っています。補給が必要です」


「買い物な」


 ルークは冷蔵庫の扉を閉め、手元の端末を確認した。いつもの黒いメイド服ではなく、今朝はダニエルの無地のTシャツ一枚を着ている。


 百八十センチを超える男の服なので、小柄なルークには明らかに大きい。袖は肘近くまで落ち、裾もかなり余っていた。


 昨夜、換気扇まわりを掃除した際、メイド服の袖とエプロンに油汚れが付いていた。朝食後すぐにルークが洗濯を始めたため、乾くまでの代わりとしてダニエルが適当なTシャツを貸したのだ。ルークも特に気にした様子はなく、ダニエルも服が乾くまでのつもりで貸しただけだった。


「購入予定品を一覧化しました。優先順位も設定済みです」


「ちょっと見せてみろ」


 渡された端末には、食料品から日用品まで細かく並んでいた。牛乳、卵、パン、肉、冷凍野菜、コーヒー。そこまではいい。


 問題は洗剤だった。


「これ、洗剤三つになってるけど」


「通常使用分に加えて、予備を二つ確保します」


「三つもいるか?」


「必要です」


「過剰な補給要求は却下する」


 ダニエルはそれ以上付き合わず、端末をルークへ返した。ちょうどその時、玄関のチャイムが鳴った。


「来客です、ご主人様」


「分かってる」


 インターホンを見ると奈緒だった。ダニエルが玄関を開けると、奈緒はいつもの調子で片手を上げ、そのままリビングへ入ってきた。


「おはよ。今日休みでしょ?」


「ああ、そうだよ。奈緒もだろ」


「うん。今日は買い物に行こうと思って――」


 奈緒の言葉が途中で止まった。ダニエルの向こうでは、彼の大きなTシャツを着たルークが、洗濯機の残り時間を確認し、洗面所から戻ってくるところだった。奈緒はその姿を上から下まで眺めると、ゆっくり口元を緩めた。


「……ついに手を出したの?」


「出してない」


「だってほら、事後のカップルみたいな格好じゃん」


「違うって!」


 返事が早すぎたのか、奈緒の笑みが深くなる。


「冗談だって。そんな慌てなくても」


「別に慌ててねえから」


 そこでルークが自分のTシャツ姿を見下ろし、それから奈緒へ顔を向けた。


「奈緒様。この服装と『事後』には、どのような関連があるのでしょうか」


 ダニエルは返事に詰まった。「事後」の意味なら説明できる。だが、男物の大きなTシャツからどうしてそこへ話が飛ぶのかまで説明しろと言われると困る。黙ったままでいると、奈緒がにやにやしながらこちらを見ていた。


「説明してあげれば?」


「……お前、絶対分かってて俺に振ってるだろ」


「もちろん!」


 ルークは二人を交互に見たが、それ以上は追及しなかった。


 奈緒は笑いながらソファへ向かいかけ、もう一度だけルークの姿を振り返った。ルークは何事もなかったように端末を見ていて、ダニエルも特に気にしていない。奈緒は二人を見比べてから、何も言わずに話題を変えた。


「で、買い物には行くの?」


「そのつもり。こいつが朝から補給だ何だとうるさいんだ」


「補給は必要です」


「これだよ」


「じゃあ、みんなで一緒に行こうよ。ちょうど洗剤が切れそうだったし」


 その言葉に、ルークの顔が奈緒へ向く。


「奈緒様も洗剤を補給されるのですか」


「補給じゃなくて、洗剤を買うだけ」


「同じです」


「いや、だいぶ違うでしょ」


 昼前にはメイド服の洗濯と乾燥が終わった。


 ルークは黒いワンピースと白いエプロンに着替え、胸元の青いリボンを整えた。朝のTシャツ姿とは打って変わって、見慣れたメイド姿になっていた。


 三人でマンションを出て、駅近くの大型スーパーへ向かう。


 休日の通りには買い物客が多かった。親子連れの後ろでは家庭用アンドロイドが両手に荷物を抱えて歩き、交差点の脇では小型の清掃ロボットが植え込みから転がり出た空き缶を回収している。スーパーの入口では低い車輪式のロボットが使い終わった買い物かごをまとめ、人間の店員がその横で新しいかごを補充していた。


 店内にも、人間に混じって機械が普通にいる。商品棚へ段ボールを運ぶ業務用ロボットの横を、別の家庭用アンドロイドがカートを押して通り過ぎていった。


 ルークのメイド服を気にして振り返る者もいない。この街では、家庭用アンドロイドが主人の隣を歩くのはそれくらい普通だった。黒いメイド服の下に、五年前まで戦場を走っていたM421の人格コアが入っていると知れば話は別だろうが、外から分かるはずもない。


 ルークは端末を確認した。


「まず食料品です。牛乳、卵、パン、肉類、冷凍野菜、コーヒー。必要物資を確保後、日用品売り場へ移動します」


「お前、作戦みたいに言うなよ」


「補給順序です」


 奈緒が横で笑った。


「どっちでもいいじゃん。ちゃんと全部買えれば」


「奈緒様の理解に感謝します」


「味方を増やすな」


 ルークは一度ダニエルを見た。


「奈緒様がご一緒の時は、私への言葉遣いが普段より穏やかですね」


「うるせえよ」


 奈緒が吹き出した。


「今ので全部台無しだけど」


「ほっとけ」


 食料品売り場に入ると、ルークは必要な商品を見つけるたびに一覧から項目を消していった。数量も確認しているが、ダニエルが止めるほど多くはない。


 菓子売り場へ差しかかったところで、奈緒が小さな箱を手に取った。


「これ新しいやつだ。ダニエル、食べる?」


「ご主人様は、文句を言いながらも最後まで食べます」


 ダニエルが答える前に、ルークが横から返した。


「奈緒は俺に聞いてるんだけど」


「いずれにせよ回答は同じです」


 奈緒がこらえきれずに笑う。


「確かに。この前のクッキーも、どうせ全部食べたんでしょ」


「全部は食べてないよ」


「昨日の夜、最後の一枚を召し上がりました。在庫は把握しています」


「……見張ってんのか、お前は。菓子まで管理するな」


 奈緒は笑いながら箱をカートへ入れた。


「じゃあ、お菓子も買っとこ」


「俺、まだ食べるって言ってないんだけど」


「どうせ食べるんでしょ?」


 反論しようとして、ダニエルはやめた。ルークが何も言わずこちらを見ているのが余計に腹立たしい。


 そのまま食料品売り場を進み、コーヒーの棚まで来た。


 ルークは迷わず深煎りの袋を一つ取った。


「以前お好みだったものに近い銘柄です」


「軍にいた頃のやつか?」


「はい。ご主人様は強い苦味を好んでいました」


「昔は確かに飲んでたな」


 ダニエルが棚を見ていると、奈緒が隣の中煎りの袋を指さした。


「でも最近、そっちじゃなくない? うちで飲む時、いつもこれ選んでるよね」


「ああ。家のは惰性で買ってただけで、今はこっちの方が好みだ」


 ルークは手にしていた深煎りの袋と、中煎りの商品を見比べた。迷う様子はなく、深煎りの袋を棚へ戻した。


「情報を更新します」


「そんなことまで更新すんのか」


「現在の嗜好が確認できた以上、以前の情報を優先する理由はありません」


「ルークちゃん、切り替え早いね」


 奈緒は軽く笑ったあと、棚へ戻された深煎りの袋を見た。


「でも、昔のダニエルの好みまで覚えてるんだね」


「はい」


 ルークはそれだけ答え、中煎りのコーヒーをカートへ入れた。奈緒もそれ以上は聞かず、次の商品へ視線を移す。ダニエルは何か言おうとしてやめ、そのままカートを先へ押した。


 食料品までは特に揉めなかった。


 日用品売り場に入り、ダニエルがシャンプーを選んでいる横で、ルークが洗剤の詰め替え袋をカートへ入れていく。一個目は使う分、二個目は予備だろうと流していたが、三個目まで入ったところで、ダニエルはさすがに手を止めた。


「待て。何個買う気だ?」


「通常使用分を含めて三個です」


「三つもいらないだろ。使う分と予備の二つで十分だ」


「それでは次回補給時までの物資不足が懸念されます」


「来週でも再来週でも来られるだろ」


 ルークは洗剤の袋を見た。


「不測の消費増加を考慮すべきです」


「洗剤に何が起きるんだよ」


「容器の破損、予定外の洗濯、使用量の増大などが想定されます」


 横で聞いていた奈緒が、カートの中を覗き込んだ。


「一個予備があれば十分でしょ」


「収納容量には余裕があります」


「そこじゃないでしょ」


 ルークは数秒黙った。


「洗面所下部の収納品を再配置すれば、追加で四袋まで保管可能です」


「収納品を再配置してまで洗剤を買うな」


 ダニエルが三個目を取り上げて棚へ戻すと、ルークの視線がその袋を追った。


 奈緒がカートに残った予備の一袋を指さした。


「使い始めたら次を買えばいいんだって」


 ルークはカートの中の二袋へ視線を落とした。


「……奈緒様の基準を採用します」


「基準ってほどの話じゃないけど」


「では運用方法として採用します」


「余計に大げさになった」


 奈緒が笑い、ダニエルも肩をすくめた。


「とにかく、今日は二個までな」


「了解しました」


 その後は特に問題もなく、キッチンペーパーやゴミ袋などを必要な分だけカートへ入れていった。少なくともダニエルが見ている限り、ルークは奈緒から教えられた量を守っていた。ダニエルも、これならもう口を出さなくていいと思った。


 買い物を終え、三人でレジへ向かう。混み始めた通路を避けようとダニエルがカートを切り返した時、下段のキッチンペーパーの陰に見覚えのある色が覗いた。足を止め、袋を少しずらす。


「待て。これは何だ?」


 奥から出てきたのは、さっき棚へ戻したはずの洗剤と同じ詰め替え袋だった。


 ルークはいつもの調子で答えた。


「予備の洗剤です」


「予備はもう一個あるだろ」


「こちらは員数外です」


 奈緒が首を傾げる。


「いんずうがい?」


「通常の在庫として数えない予備です」


 奈緒は一度洗剤を見てから、ルークへ顔を向けた。


「それ、余分に一個買ってるだけじゃん」


「用途は予備です」


「員数外ならカートに入れるな」


 ダニエルは洗剤を取り出し、通路を少し戻って棚へ返した。


 ルークは何も言わず、最後まで棚へ戻される洗剤を目で追っていた。

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