第3話 私はご主人様の相棒です

 土曜日の午後、ダニエルがソファで仕事用のタブレットを眺めていると、玄関のチャイムが鳴った。顔を上げるより先に、キッチンで食器を片づけていたルークが反応した。


「来客です、ご主人様。応対しますか?」


「聞こえてる。俺の家なんだから俺が出るよ」


 タブレットをテーブルへ置いて立ち上がる。玄関まで行ってドアを開けると、奈緒が紙袋を提げて立っていた。


 肩にかかるダークブラウンの髪と、よく動く表情が印象的な女性だった。派手な顔立ちではないが、笑うとぱっと雰囲気が明るくなる。休日らしい気軽な服装も含めて、いつもの奈緒だった。


 奈緒は、仕事以外でダニエルが気軽に付き合える数少ない友人の一人だった。


「こんにちは。これ、お母さんが送ってきたんだけど、一人じゃ食べきれなくて」


「先週も送ってこなかったか?」


「そうなの。実家じゃ私を何人家族だと思ってるんだろうね」


 袋の中には個包装の焼き菓子が詰まっている。前にも似たような理由で果物を押しつけられたことがあった。


「せっかくだから、上がっていく?」


「いいの? じゃあ、お茶を一杯だけ」


 奈緒は靴を脱ぎ、顔を上げたところで動きを止めた。廊下の向こうから、ルークが歩いてくる。


 黒いワンピースに白いエプロン。頭には白いフリルのカチューシャ。胸元には青いリボン。ここ数日で見慣れてしまったダニエルにはもう違和感が薄れていたが、事情を知らない奈緒からすれば、どう見てもメイド型アンドロイドだった。


「いらっしゃいませ」


 ルークが奈緒へ一礼する。その姿を見つめていた奈緒の視線がダニエルへ移り、すぐにまたルークへ戻った。


「……その子、どうしたの?」


「買った」


「それは見れば分かるけど。なんでメイド型?」


 奈緒の視線が、黒いメイド服を上から下までゆっくり追う。


「中古で一番安かったのがこれだったんだよ」


「誰も責めてないのに、すごく言い訳っぽいんだけど」


「言い訳じゃない。何なら値段見せてやろうか」


 ルークが紙袋へ目を向けた。


「失礼いたします。お荷物をお預かりします」


「あ……ありがとう」


 奈緒が反射的に差し出す。ルークは両手で受け取ると、そのままキッチンへ向かった。


「……普通にメイドさんしてる」


「まあ、見た目はな」


 奈緒が眉を上げた。


「見た目は、って何?」


「話すと長くなる。とりあえず座ってくれ」


「やっぱり何かあるんじゃん」


 奈緒はまだルークの背中を気にしながらリビングへ入った。


 ダニエルの部屋は相変わらずだった。仕事用の端末と工具箱がテーブルの端を占領し、読みかけの技術雑誌がソファ脇に積まれている。軍にいた頃の私物こそほとんど表には出ていないが、物の置き方だけは昔から大して変わっていない。


 奈緒がソファへ腰を下ろす。


「いつ買ったの?」


「数日前かな」


「全然言わなかったじゃん。メイド型アンドロイド買ったら、普通はもうちょっと話題にしない?」


「わざわざ言うほどのことでもないだろ」


「それで押し切るつもり?」


 キッチンから食器の触れ合う小さな音がする。ルークは焼き菓子を袋から取り出して種類ごとに皿へ並べると、それをテーブルへ運んだ。


 皿を置いたところで、端に積まれていた郵便物へ目を留める。今の身体には一般的な家事手順が組み込まれているらしく、ダニエルが郵便受けから取ってきたまま重ねていた封筒や葉書、チラシまで手早く揃え始めた。奈緒はそんなルークの動きを黙って目で追っている。


「ご主人様、この郵便物の中の封筒は開封済みですか?」


「どうだろ? 開けたとは思うけど」


「昨日も同じ返答でした。支払期限のある書類でしたら困ります」


「分かったよ。あとで見るから、その封筒だけ分けといてくれ」


 ルークは封筒だけを郵便物の山から抜き出し、ほかの郵便物とは別にしてテーブルの端へ置いた。その様子を見ていた奈緒が、皿ではなくダニエルの方を見る。


「……数日前に買ったんだよね? ずいぶん馴染んでない?」


「そうか?」


「そうでしょ。もう普通に家のこと仕切ってるじゃん」


「身体を数日前に買ったのは間違いない」


「またその言い方……」


 ダニエルは一瞬迷ってから、ソファの向かい側へ座った。全部を話せるわけではないが、ルークの存在そのものを隠しておく必要もない。奈緒に何も説明しないまま付き合っていく方が、よほど面倒だった。


「こいつ、昔軍にいた頃の相棒なんだ」


 奈緒の眉が寄った。


「相棒って、人じゃなかったの?」


「自律型ロボット。今とは身体が違った」


 ちょうどカップを運んできたルークが、横から言った。


「正確には、現在使用している筐体が異なります」


 奈緒は皿より先にルークを見た。


「……じゃあ、この子が昔の相棒本人ってこと?」


「まあ、そういうことになるかな」


 ルークが奈緒の前へカップを置き、続いてダニエルの分も置いた。


「自己紹介させていただきます。私はルークです。この身体は家庭用メイド型ですが、人格と記憶は以前のままです」


「前は何だったの?」


「M421自律EOD支援車両です」


 奈緒の表情が止まった。


「……ごめん。急に何もかも分からなくなった」


 ダニエルが横から補足する。


「爆発物処理用の無人車両だよ。履帯で走る」


「……戦車みたいなやつ?」


「詳しい説明は省くけど、戦車じゃない」


「大きめのSUVくらいでした」


 ルークが淡々と付け加える。奈緒は思わずルークの顔を見上げた。


「今との差、すごくない?」


「私もそう思います」


 それだけは即答だった。


 奈緒はカップを手にしたまま、まじまじとルークを眺めた。細身の身体に白いエプロン。黒髪の短いボブ。その姿から、砂埃の中を履帯で走る軍用車両を想像するのは難しいだろう。


「じゃあ……中身だけ移したってこと?」


「その認識で、だいたい合ってる」


 ルークが補足する。


「人格コアを現在の身体へ接続しています」


「そんなことまでできるの?」


「普通はできない。軍用と家庭用じゃ規格がまるで違うからな。間に挟む基板から自分で作った」


 奈緒が目を見開いた。


「……それ、ダニエルがやったの?」


「他にやる奴なんていないだろ」


 奈緒が黙った。その顔を見れば、次に何を聞かれるかは分かった。


「つまり、そのコア、黙って持って帰ってきたの?」


「黙ってたわけじゃない。誰にも聞かれなかったから言わなかっただけだ」


「……それ、大丈夫なやつ?」


「軍の記録だと、こいつのコアは現地で焼却処分したことになってる。処分したのは俺だ」


「……それって、本当は燃やしてないってことだよね」


「書類の上ではちゃんと燃えてるよ。だから細かいことは気にするな」


「絶対気にした方がいいやつじゃん」


 奈緒は呆れたように言ってから、ダニエルの顔をうかがった。


 ダニエルはカップへ手を伸ばしたが、何も言わなかった。


「……分かった。聞かなかったことにする」


 奈緒はそう言って、そこで本当に質問を止めた。


「すまん。助かる」


 ダニエルが口をつけたのは、コーヒーではなく紅茶だった。奈緒が玄関で「お茶を一杯だけ」と言ったのを、ルークはそのまま受け取ったらしい。


「別に許したわけじゃないからね。知らない方がよさそうだから聞かないだけ」


「それで十分だよ」


「奈緒様の判断は適切です」


 横からルークまで口を挟み、ダニエルはそちらを見る。


「お前が言うと、俺がまずいことしたみたいに聞こえるだろ」


「事実を述べています、ご主人様」


 奈緒が吹き出した。


「さっきから気になってたんだけど、その『ご主人様』って、ダニエルが呼ばせてるの?」


「違う。こいつの今の身体の設定だ」


「現時点では変更できません」


 奈緒は口元を押さえた。


「昔の相棒に、これからずっとご主人様って呼ばれるんだ」


「笑うなって」


「ごめん。でも、それはちょっと面白いかも」


 奈緒は皿から小さな焼き菓子を一つ取った。ルークもその動きを見ていたが、自分は食べない。


「ルークちゃんは食べられないの?」


「栄養摂取機能はありません」


 横からダニエルが奈緒を見る。


「もうちゃん付けなのか」


「いいでしょ。今はこんなに可愛いんだし」


「そいつ、昔はマニピュレーターで爆発物をつまんでたぞ」


 奈緒はルークの細い腕と白いエプロンを見てから、肩をすくめた。


「それは昔でしょ。今はこっちなんだからいいじゃん」


 ルークがわずかに首を傾ける。


「それは、今の私が可愛いという意味ですか?」


「うん。似合ってるよ」


「ありがとうございます」


「今日は素直だな」


「否定する理由がありません」


「謙遜って機能はついてないのか」


 ダニエルが呟くと、ルークの青い瞳がこちらへ向いた。


「ご不満ですか、ご主人様」


「その呼び方以外は別に不満はない」


「改善を継続しています」


「一回も改善してないけどな」


 奈緒がまた笑った。


 それからしばらく、三人で他愛のない話をした。焼き菓子をつまむのはダニエルと奈緒だけで、ルークは二人のカップを気にしたり、空いた包みをまとめたりしながら会話に加わっている。


「じゃあ、どのくらい一緒にいたの? ダニエルと」


「三年と七か月です。累計稼働時間に換算しますと――」


「そこまで換算しなくていい」


 ダニエルが止めると、奈緒が瞬きをした。


「三年以上ずっと?」


「作戦だけじゃない。訓練も整備も、待機してる時間も含めてだ」


「じゃあ、ほとんど毎日一緒だったってことだよね」


 奈緒はしばらくルークを見ていた。さっきまでとは違って、もう笑ってはいなかった。


 手元の焼き菓子の包みを折り畳みながら、奈緒がぽつりと言った。


「そりゃ、捨てられないか」


 ダニエルは答えず、ルークも何も言わなかった。短い沈黙のあと、奈緒が皿へ手を伸ばす。


「これ、思ったより甘いね」


「コーヒーにすればよかったんだ」


 奈緒が自分のカップを持ち上げた。


「でも、こういうのは紅茶の方が合うでしょ」


「奈緒様が『お茶』と仰いましたので」


「ほら。ルークちゃんもそう言ってる」


「俺の家なのに、いつの間に二対一になったんだよ」


「お客様なんだから大事にしてよ」


「お前は客の顔して勝手に冷蔵庫開けるだろ」


「二年も付き合いがあるのに、今さらじゃない?」


 ルークの動きが止まった。


「二年?」


 奈緒が目を向ける。


「うん。ダニエルがここに越してきて少しした頃から」


「同じ建物ですか?」


「そう。階も近いし」


 ルークの視線が奈緒とダニエルの間を何度か往復する。それを見ているうちに、ダニエルは嫌な予感がしてきた。


「確認があります、ご主人様」


「その前置きの時点で嫌なんだよ」


「何? 私は聞きたい」


 奈緒が面白そうに身を乗り出す。


「お二人は交際されているのですか?」


「違う」

「違うから」


 ほとんど同時に答えたせいで、今度は奈緒がダニエルを見る。


「……なんでそっちまでそんな即答なの」


「お前も同じ速さだっただろ」


「私は聞かれたから答えただけ」


「俺だってそうだよ」


 ルークの視線が、奈緒からダニエルへ移った。


「ですが、奈緒様は先週も食べ物を持ってこられたそうですし、冷蔵庫も勝手に開けるそうです」


「お前、まだ数日しか今の生活を見てないだろ」


「判断するには十分です。奈緒様と話している間は、ご主人様の発話量が普段より増えています」


 奈緒が口元を隠して笑う。


「へえ。そうなんだ?」


「……増えてない」


「平均より増えています」


「そういうところだけ数字にするなよ」


「それから、奈緒様と話している間の表情変化も――」


「そこまで!」


 ダニエルが手を上げると、奈緒はとうとう声を上げて笑った。


「何それ。どんな顔してるの?」


「何もしてない。お前もルークに聞くな」


 視線を向けられたルークが、律儀に確認する。


「続きを申し上げても?」


「絶対に駄目」


「了解しました」


 奈緒はしばらく笑っていたが、やがて時計を見て立ち上がった。


「そろそろ帰るね。夕飯の買い物もしたいし」


「じゃあ袋を返すよ」


「今度でいいよ。また何か持ってくるから」


「また増えるのか」


 ダニエルがそう言いながら皿を見ると、奈緒が呆れた顔をした。


「嫌なら持ってこないけど?」


「いや、食べる」


「だったら文句言わないの」


 ルークが玄関までついていき、ダニエルもその後ろを歩いた。


 靴を履いた奈緒が振り返る。


「今日はびっくりしたけど、会えてよかった」


 ルークが一礼した。


「私も奈緒様とお会いできて有意義でした」


「そこ、もうちょっと普通に言えない? 仕事の報告みたい」


「以前は軍の装備品でしたので」


「じゃあ、次はもうちょっと普通に言ってね」


 奈緒が笑った。


「またね、ルークちゃん」


 ルークは少し考えるような仕草をしてから奈緒を見た。


「はい、奈緒様。またお越しください」


 ダニエルは横からルークを見た。さっきの「有意義でした」より、声がわずかに柔らかかった気がした。


 奈緒はそのままドアを開ける。


「ダニエルも、またね」


「どうせ、またすぐ遊びに来るだろ」


「そういう問題じゃないの。じゃあね」


 ダニエルが片手を上げると、奈緒は笑いながら廊下へ出ていった。


 ドアが閉まると、それまで三人分あった声が消え、部屋が急に静かになる。ダニエルは玄関に立ったまま、ひとつ息を吐いた。


「……疲れた」


「奈緒様との会話に問題がありましたか?」


「奈緒じゃなくて、お前のせいだよ」


「理解できません」


「……だろうな」


 リビングへ戻ると、ルークはもう使ったカップを集めていた。奈緒のカップに紅茶が少し残っているのを確認してから、それも流しへ運ぶ。


 ダニエルはソファへ座り直した。


「ご主人様。先ほどの件ですが、なぜ奈緒様とは交際されないのでしょうか」


 ダニエルは目を閉じた。


「その話まだ続いてたのか。別に答える義務はないだろ」


「ありません。ただ、理由は気になります」


「そこだけ妙に人間くさくなったな」


 ルークは流しの前に立ったまま、こちらを見ている。メイド服を着ていても、その目で質問されると昔とあまり変わらない。


「こういうのに合理的な理由なんかないよ」


 ダニエルは天井を見た。奈緒本人がいたら、こんな話は絶対にしない。


「……今のままで困ってないんだよ」


「困っていないから、変えない?」


「そういう言い方すると、急に会議みたいになるな」


「理由はそれだけですか?」


「……面倒くさいな、お前」


「以前からです」


 ダニエルは思わず笑った。それから膝の上で指を組み、しばらく黙り込む。


「変えようとして駄目になったら、もう元には戻らないだろ」


 ルークはすぐには答えなかった。代わりに食器を洗う水音だけが続き、やがてぴたりと止む。


「不確定要素を含むものに、不用意に手を触れないという判断は、手順として正しいです」


「恋愛を爆発物みたいに扱うなよ」


「慎重な取り扱いが必要という点では共通しています」


「絶対に違うだろ」


「失敗時の影響も大きいようですが」


「やめろ。急に説得力を出すな」


 ルークは洗ったカップを水切りへ置いた。


「では、処理保留案件として認識します」


「何で恋愛がEOD案件になってるんだよ。しかも勝手に処理するな」


「処理はしていません。保留です」


「そこじゃねえよ」


 ダニエルが額を押さえた。


 カップを洗い終えたルークが、流しから振り返った。


「ご主人様。奈緒様は次回、いつ来られますか?」


 ダニエルが顔を上げると、ルークは真顔でこちらを見ていた。


「……お前、奈緒のこと気に入っただろ」


「今後の来客予定を確認しているだけです」


「答えにくいなら、そういうことにしとくか」


 ダニエルはテーブルへ手を伸ばしたが、皿はもうなかった。


 ルークは何も言わず、空になった焼き菓子の皿を棚へ戻していた。


「まだ一個残ってなかったか?」


「ありません。ご主人様が奈緒様との会話中に二つ続けて召し上がりました」


「……いちいち記録してるのか」


「観察データは十分です」


「その言い方はやめろ」


 ルークの口元がわずかに動いた。


 笑ったのかと思ってダニエルが見直した時には、もういつもの顔に戻っていた。

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