第13話
『黒の教団』の幹部ネクロシスを返り討ちにしてから数ヶ月。エリザベート様の魔力制御と精神の安定は完全に完成の域に達していた。
だが、俺たちの穏やかな日常を揺るがす新たな火種は、思わぬところから持ち込まれる。
王立魔法学園の予備課程から派遣されてきた特使——学園長代理の肩書を持つ老魔導士、クラウス・フォン・ハルデン伯爵の訪問だった。
「——カルロ閣下。私は公爵家の未来を案じて申し上げているのです」
応接間にて、クラウス伯爵は気品ある身振りで紅茶のカップを置きながら、厳しい表情で公爵閣下に訴えかけていた。
俺とエリザベート様は、その斜め後ろに控えて立っている。
「幼年社交会での出来事、そして街道筋での正体不明の魔力爆発……聞き及んでおります。エリザベート様が驚異的な魔力を開花させたことは誠に慶賀の至り。しかし、それを指導しているのが、未だ学園すら卒業しておらん下級貴族の少年とは……あまりにも危険すぎます」
クラウス伯爵の鋭い視線が、俺を射抜いた。
「魔法とは体系化された学問です。素性の怪しい独学の理論など、一歩間違えれば再び魔力の暴走を招きかねん。エリザベート様には直ちに王立学園の特命高等課程へご入学いただき、最高峰の教授陣による正統な教育を受けていただくべきだ。もちろん、その下級貴族の付き添いは不要……学園の結界内へ連れ込むなど言語道断ですな」
要するに、「俺を排除してエリザベート様を学園の管理下に置きたい」というわけだ。
前世のゲーム知識によれば、王立学園の上層部は保守派の権力闘争の巣窟だった。彼らはエリザベート様の規格外の魔力を自派閥の「兵器」として取り込もうとしているのだろう。
(やれやれ……ルシアンの時と全く同じ構図だな)
俺が心の中で溜息をついていると、カルロ公爵は落ち着いた様子で髭を撫でた。
「ハルデン伯爵。我が娘の指導に関し、アルス・ローゼンバーグは十分すぎる成果を出しておる。現にエリザベートの魔力暴走は完全に収まっておるのだ」
「それは一時的な静観に過ぎません!」
クラウス伯爵は語気を強めた。
「下級貴族の少年ごときが、公爵家の至宝たる令嬢の『主人』であるかのように振る舞うなど、社交界の秩序を乱す増長! おい、そこの少年。お前自身、己の立場というものが分かっているのか? エリザベート様の未来を思うなら、自ら身を引くのが誠意というものだぞ」
矛先が完全に俺へと向けられた。
俺は一歩前に出て、恭しく礼をとった。
「ハルデン伯爵閣下。私のような若輩者がエリザベート様の指南役を務めることへのご懸念、ごもっともにございます。ですが——」
「言い訳など聞きたくない!」
クラウス伯爵は俺の言葉を遮り、冷ややかに言い放った。
「お前が教訓として授けている『魔力調和理論』とやらも拝見したが、あまりに不条理で学術的根拠に欠ける。王立学園の伝統ある魔導体系を否定するような妄言を、これ以上エリザベート様に吹き込まれては困るのだ」
自分の誇る指導理論を「妄言」と切り捨てられ、俺は思わず眉をひそめた。
俺が考案した調和理論は、前世のゲーム内の解析データと現代魔術の欠陥を融合させて作った、最も安全かつ効率的なアプローチだ。それを頭ごなしに否定されるのは、少々不愉快だった。
……だが、俺以上に不愉快さを露わにした人物がいた。
「……私のアルスの理論を、何と言ったかしら?」
静かな、しかし恐ろしいまでに冷たい声が応接間に響いた。
エリザベート様だった。
彼女はゆっくりと歩み出ると、クラウス伯爵の目の前に立った。
その胸元で、俺が贈ったロザリオが眩い七色の光を放っている。
「エ、エリザベート様……? 私はただ、あなたのために最高の環境を——」
「黙りなさい、老いぼれ」
エリザベート様の深海の瞳が、ギラリと蒼く発光した。
一瞬で応接間の空気が凍りつき、高級な調度品の表面にシャリシャリと白い霜が降り始める。
「伝統? 学術的根拠? そんなカビの生えた古いゴミ屑と、アルスが私のために夜も寝ずに考えてくれた素晴らしい教えを一緒にするなんて……万死に値するわ」
「ひ……ひいいっ!?」
クラウス伯爵はあまりの圧迫感に息を詰まらせ、ソファの上で体を丸めた。
学園長代理という要職に就く最高峰の魔導士が、十歳の少女から放たれる圧倒的な「絶対者」の威圧に、手足の震えを止められずにいるのだ。
「いい? 王立学園がどれほど偉そうに威張ろうと、私にとってはアルスの言葉こそが唯一の法であり、真理なの。私からアルスを奪おうとする者は……国であろうと、学園であろうと、私がこの手で灰にしてあげるわ」
「エ、エリザベート様! 落ち着いてください!」
俺は慌てて彼女の肩を掴み、その小さな手を包み込んだ。
「アルス……」
俺に触れられた瞬間、エリザベート様の恐ろしい威圧感が一瞬で霧散した。
彼女は潤んだ瞳で俺を見上げ、キュッと唇をかみしめた。
「アルス……私、間違っていないでしょう? この人が、アル書いた教科書をバカにしたの……私、許せなくて……」
「お気持ちはとても嬉しいです、エリザベート様。ですが、手を出しては私の立場がなくなってしまいます」
俺は困ったように微笑み、彼女の頭を優しく撫でた。
「大丈夫ですよ。私の理論が間違っていないことは、エリザベート様が一番よく分かってくださっていますから」
「う、うん……! アルスがそう言うなら、私、我慢する……」
エリザベート様は素直に頷き、俺の袖をギュッと握りしめて俺の後ろに隠れた。
応接間に残されたクラウス伯爵は、ガタガタと震えながら、もはや言葉すら発することができなくなっていた。
カルロ公爵は深く溜息をつくと、静かに告げた。
「……ハルデン伯爵。見ての通りだ。エリザベートを動かせるのはアルスだけであり、学園の強制的な連れ出しなど到底不可能だ。……学園側がどうしてもエリザベートを入学させたいと言うなら、『アルス・ローゼンバーグを特別特待生として同時に編入させること』。それが唯一の条件だ」
「は、はひぃぃぃっ! わ、承知いたしましたぁぁっ!」
クラウス伯爵は命からがら応接間から逃げ出していった。
(はあ……結局、俺も一緒に王立学園へ行く羽目になりそうだな……)
俺は頭を抱えた。
更生計画は完璧のはずなのに、エリザベート様の「アルス至上主義」が加速するたびに、周りの大人が恐怖で引きつっていく。
俺の平穏な生活は、どこへ向かおうとしているのだろうか。
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