第2話

「アルス、本気なのか……? ヴァルハイト公爵家へ赴くだと!?」


ローゼンバーグ男爵家の執務室にて。

父親であるローゼンバーグ男爵は、目の飛び出んばかりの驚愕顔で俺を見つめていた。


「はい、父上。ヴァルハイト公爵家が募集している、エリザベート様に仕える専属従者兼家庭教師補佐の選考試験。あれに私を推薦していただきたいのです」


「ば、馬鹿を言うな! あそこは泣く子も黙るヴァルハイト公爵家だぞ!? これまでに何人もの優秀な家庭教師や従者が、エリザベート様の厳格すぎる教育現場についていけず、精神を病んで辞辞職していると聞く! 我が家のような零細男爵家の子供が行ったところで、無事に帰ってこられる保証など——」


「だからこそ、チャンスなのです」


俺は父親の言葉を静かに遮り、テーブルの上に一枚の書面を置いた。

それは俺が昨夜一晩かけて書き上げた、「ヴァルハイト公爵家における幼少期教育の改善案と、従者としての行動指針」と題した論文風の提案書だ。


「公爵家が求めているのは、単なる知識人でも、ただ平伏するだけの従者でもありません。エリザベート様という圧倒的な才能を持たれたお方を支え、その魔力を制御するための『正しく理解できる理解者』です」


「な、なんだこれは……。魔力の循環理論における精神的負荷の影響……? 幼少期における魔導回路の肥大化とその緩和措置……!?」


男爵は書面を目で追うなり、息をのんだ。

当然だ。ここには『グラレガ』の設定資料集にしか載っていない、作中の魔法学者すら数年後にようやく発見するような「魔力暴走の真の原因」が書き連ねてあるのだから。


エリザベートの魔力暴走は、彼女の才能が規格外すぎるが故に、幼少期の未熟な魔導回路に負荷がかかりすぎて起きる精神生理現象だ。

公爵家はそれを「精神の甘え」だと勘違いして厳しく罰するため、さらにストレスがかかって悪循環に陥る。

この仕組みを解説し、具体的な対策(適切な休息と、精神の安定をもたらす環境作り)を提示できる人間など、いまの世界に俺しかいない。


「これを……十歳の子供であるお前が書いたというのか?」


「独学で魔導書を読み解き、私なりに導き出した結論です。父上、これを持って公爵家の選考に応募してください。必ずや、ローゼンバーグ家の名を高めてみせます」


父親はしばらく絶句していたが、やがてゴクリと唾を飲み込み、重々しく頷いた。


「……分かった。お前のその覚悟と才能、賭けてみよう」


こうして、俺はヴァルハイト公爵家の一次選考を無事に突破し——二次選考である「現地での採用試験」へと足を踏み入れることになった。


*

ヴァルハイト公爵城。

黒の黒曜石で築かれたその城は、昼間だというのにどこか陰鬱で、威圧感に満ちていた。


豪華な応接室に通されたのは、俺を含めて三人。

一人は、有名魔導アカデミーを首席で卒業したという高慢そうな青年。

もう一人は、代々騎士の家系で育ったという強面の若者。

そして、最年少である俺だ。


「フン、こんなガキが応募してくるとはな。ヴァルハイト公爵家も舐められたものだ」

アカデミー出身の青年が、俺を嘲笑するように鼻で笑う。俺は一礼だけして、静かに無視した。ここで無駄な争いをする意味はない。


しばらくすると、重厚な扉が開き、一人の男性が入ってきた。

鋭い眼光、整えられた銀髪、そして圧迫感のある黒い貴族服。

ヴァルハイト公爵家の当主であり、エリザベートの父親——カルロ・フォン・ヴァルハイト公爵だ。


「揃ったか」


公爵の声だけで、部屋の空気が一瞬で氷点下まで下がったような錯覚を覚える。

恐ろしい圧迫感だ。さすがは原作で「冷血公爵」と恐れられた男。


「試験の内容は単純だ。我が娘、エリザベートは現在、原因不明の魔力失調を起こし、部屋に閉じこもっておる。……何者も近づけさせぬ状態だ。お前たちには、あの部屋に入り、彼女の心を沈め、無事に連れ出して見せてもらいたい」


「な……!?」

アカデミー出身の青年が顔を青くした。

「暴走するエリザベート令嬢」の噂は、上層貴族の間でも有名だったのだろう。下手をすれば死ぬ。


「期限は一刻。成功した者を、専属として採用する。……以上だ」


説明はそれだけだった。

公爵の案内に従い、俺たちは城の最奥にある、巨大な鉄製の扉の前へと連れていかれた。

扉の向こうからは、耳鳴りのような不気味な魔力の振動と、冷気が漏れ出てきている。


「誰から行く?」

公爵が問うと、騎士の若者が意を決して進み出た。

「私が……! 騎士の意地を見せてみせます!」


若者が扉を開け、中へと足を踏み入れた——その直後。


——ドォンッ!!


「ぐあぁぁぁっ!?」

凄まじい衝撃波とともに、騎士の若者が扉の外へと吹き飛ばされた。全身が凍りつき、気絶している。

「ひっ……! ひいいいっ!」

それを見たアカデミー出身の青年は、情けない悲鳴を上げて尻もちをつき、そのまま脱兎のごとく逃げ出してしまった。


残されたのは、俺一人。


公爵が冷ややかな視線を俺に向ける。

「引き返すなら今だぞ、ローゼンバーグ家の若木よ。死ぬことになる」


「いいえ」


俺は胸に手を当て、深く呼吸を整えた。

原作の知識が正しければ、いま部屋の中で起きているのは「暴走」ではない。

孤独と恐怖に耐えかねた、幼い少女の「悲鳴」だ。


「私が行きます。エリザベート様をお救いするために」


俺は振り返ることなく、氷の渦巻く扉の中へと足を踏み入れた。

生存ルートを掴み取るための、第一関門。

絶対に、失敗は許されない。

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