第11話 親友の奢り
2年11月3日
数日前、ユウトはアキラに個人チャットで送った。
『美味い店見つけたから行こうぜ。ちょっといい店だから、それなりの格好で』
返事はすぐに来た。
『それなりの格好ってなんだよ、持ってねーよ』
ユウトはその画面を見て、少し考えてから打った。
『じゃあ昼に服見に行こう』
『マジか。おけ』
文化の日の昼過ぎ、二人は駅前の百貨店のエスカレーターを上がっていた。三階。婦人服のフロアだった。
エスカレーターを降りた瞬間から、アキラは落ち着かなかった。きょろきょろと周りを見回し、ユウトの半歩後ろにぴったりついてくる。フロアには甘い香水の匂いが漂い、マネキンがニットやコートやスカートを着て並んでいた。
「……ここ、俺が来ていい場所?」
「客なんだからいいに決まってんじゃん」
ユウトはバイトで身につけた目で、棚を流し見ていった。アキラの体型。肩幅。首の短い髪。童顔。似合うもの、似合わないもの。頭の中で、何度も着せ替えては外していく。
奥のブランドの棚で、ユウトは足を止めた。ネイビーのニットワンピースが掛かっていた。膝丈で、首元は浅いボートネック。柔らかい編み地だった。
「これ」
ユウトがハンガーごと差し出すと、アキラは一歩後ずさった。
「スカートかよ! 無理無理」
「ワンピースだって。いいから着てみろって」
「いや、無理だって、俺これ――」
「着てみてダメなら、それでいいから」
押し問答の末、アキラはワンピースを抱えて試着室に入った。店員が「ごゆっくりどうぞ」とカーテンを引く。
ユウトは試着室の前の椅子に座って待った。カーテンの向こうで、何度も衣擦れの音がして、止まって、また音がした。
「……これ、背中どうなってんの」
「ファスナー。上まで上げられる?」
「……上がった」
カーテンが、ゆっくりと開いた。
ユウトは息を呑んだ。
ネイビーのニットが、アキラの体の線を全部拾っていた。胸の丸み。そこから締まっていく腰。腰から膝へ流れる、なだらかな曲線。ボートネックの襟ぐりから、細い鎖骨が覗いている。短く刈った髪と、幼い顔立ちと、その下の女の体。その組み合わせが、ユウトの目に焼きついた。
ユウトは平静を装った。
「似合うじゃん」
それだけ言った。
「本当か……?」
アキラは鏡の方を振り返り、裾を引っ張ったり、体を横に向けたりしている。そこへ、さっきの店員がにこやかに近づいてきた。
「とてもよくお似合いですよ。彼女さん、ネイビーがすごく映えますね」
「いや、彼女じゃ……」
アキラが慌てて手を振る。
ユウトは否定しなかった。肯定もしなかった。ただ、笑っていた。
会計の時、アキラは慌てて財布を出した。値札を見て、顔色が変わっている。
「ちょっ、これ高くね……? 俺、払うって」
「いいって。親友の俺からの奢りだ。気にすんな」
「いや、気にするだろ、この値段」
「いいから」
アキラはしばらく財布を握ったまま迷い、やがて小さく息をついた。
「……じゃあ、借りな」
「おう、借りな」
アキラはそのままワンピースを着て店を出た。脱いだパーカーとジーンズは紙袋に入れて、ユウトが持った。
夜、ユウトが予約していたのは、駅の裏通りにある小さなイタリアンレストランだった。テーブルごとに小さなキャンドルが灯り、壁は煉瓦で、窓際の席からは通りの街路樹が見える。
店員がアキラの椅子を引くと、アキラは「あ、どうも」とぎこちなく座った。
アキラは二十歳だから、グラスの赤ワインを頼んだ。ユウトは炭酸水だった。
「誕生日、来週だっけ」
「十二日。来週には飲めるようになるから」
「じゃあ今日は俺だけ大人な」
アキラはグラスを軽く持ち上げて、得意げに笑った。キャンドルの小さな光が、ワインの表面と、アキラの瞳の中で揺れていた。
前菜。パスタ。魚のグリル。アキラは一皿ごとに「うま」と目を丸くし、ユウトはそれを見て笑った。アキラはフォークでパスタを巻くのが下手で、何度もやり直した。
デザートのパンナコッタを食べ終える頃、アキラがスプーンを置いて、ふっと笑った。
「お前、今日なんか……デートみたいじゃん」
ユウトは炭酸水を一口飲んだ。
「バーカ。男同士でデートとかねーだろ」
「……だよな」
アキラは笑った。
会計は、今度もユウトが全部払った。アキラが財布を出す前に、伝票はもう店員の手に渡っていた。
帰り、ユウトは車の助手席のドアを開けて、アキラを先に乗せた。アキラはワンピースの裾を押さえながら、少し戸惑った顔でシートに座った。
アパートの前で車を停めると、アキラはシートベルトを外し、紙袋を膝に抱えた。
「今日ありがとな。服、大事にする」
「おう」
アキラが降りて、外階段を上がっていく。ネイビーのワンピースの後ろ姿が、一段ずつ遠ざかっていく。裾が膝の裏で小さく揺れていた。
ユウトはハンドルに両腕を乗せて、それを見送った。
帰り道、県道を走りながら、ユウトは自分に言い聞かせた。
女の子になって、服もないんだ。ちゃんとした店にも行ったことがない。だから、親友として助けてやっただけだ。
それだけだ、とユウトはもう一度思った。
店員の「彼女さん」という声が、耳の奥に残っていた。ユウトはその声を、しばらく頭の中で繰り返していた。
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