第9話 プロレスごっこ

2年8月12日


 夏休みのシュンの部屋は、蒸し風呂だった。


 築四十年の木造アパートの古いエアコンは、設定温度を二十二度にしても、吹き出し口の前以外はちっとも冷えない。窓の外では蝉が鳴き続けていた。ユウトはアパレルのバイト、リクは塾の夏期講習のバイトで、部屋にいるのはシュンとアキラの二人だけだった。


「あっちぃ……」


 アキラは男物のTシャツの首元を摘まんで、ぱたぱたと風を送っていた。下はハーフパンツで、額にも首にも汗が浮いている。シュンもTシャツの背中が肌に貼りついていた。


 テレビの画面には『乱闘ヒーローズ』のキャラクター選択画面が映っている。シュンはコントローラーを握り、にやりと笑った。


「よし。負けた方は罰ゲームな。技かけられる」


「うわ、出た。高校のやつ」


「復活だよ、復活」


 高校の頃、四人はゲームで負けた奴にプロレス技をかけるのが決まりだった。ヘッドロック、四の字固め、キャメルクラッチ。技をかけられた方が悲鳴を上げ、残りの二人が床を叩いてカウントを取る。


「上等だよ。泣かすぞ」


 アキラは青いコントローラーを握った。小学生の頃から、アキラは必ず青を選ぶ。


 三本勝負は、二対一でシュンが勝った。


「よっしゃあ!」


 シュンは叫んで立ち上がり、アキラの腕を掴んでベッドの上に引きずり上げた。


「待て待て待て!」


「待たねー! ヘッドロック!」


 背後からアキラの首に腕を回し、軽く締める。アキラが笑いながら暴れた。細い首が、シュンの腕の中にすっぽり収まってしまう。前は、こうはならなかった。前のアキラは首が太くて、シュンが本気で締めてもすぐに抜け出してきた。


「ギブギブ!」


「次、くすぐりの刑!」


 シュンはアキラの脇腹に指を突っ込んだ。アキラが身をよじって笑い転げる。


「ははっ、やめっ、ひひっ、無理無理!」


 ベッドの上でもみ合いになった。アキラの肘がシュンの顎に当たり、シュンの膝がアキラの腿を押さえつける。汗で湿った肌と肌が擦れる。


 その勢いのまま、シュンの手がアキラの胸を掴んだ。


 手のひらに、柔らかいものが収まった。


 アキラがうつ伏せになって逃げようとする。シュンはそれを追うようにして、今度はアキラの尻を掴んだ。


 どちらも、もみ合いの中で勢いで当たった形をしていた。


 でも、シュンは分かっていた。自分は、触ろうと思って触った。


 シュンはアキラの反応を窺った。


 アキラの体が、一瞬だけ固くなった。笑い声が止まる。ほんの一瞬、シュンの手の下で、アキラが息を止めたのが分かった。


 それから、アキラは笑った。


「どこ触ってんだよ!」


「プロレスだろ! 男同士で何照れてんだよ」


 シュンは笑い飛ばした。


 アキラは一拍、黙った。


「……だよな」


 そう言って笑うと、アキラはくるりと体を返して、シュンの腕を取った。


「おらっ、逆襲!」


「いってえ! 関節、関節!」


 アキラの腕ひしぎは全然効いていなかったが、シュンは大げさに悲鳴を上げてベッドを叩いた。アキラが得意げに笑う。


 アキラが笑った。シュンはそれを、OKの合図だと受け取った。


 頭のどこかでは分かっていた。今のは、ちょっとアウトか。


 でも、男同士のプロレスなら、これくらいはセーフだ。アキラも笑ってるし、自分から技をかけ返してきたし。


 シュンは、言い訳が通じる範囲がどこまでなのかを、無意識に測っていた。そして、その測定を楽しんでいた。どこまで行けるのか。どこまでなら、笑って済むのか。考えるだけで、腹の底がむずむずした。


「次! 次の試合!」


「はあ? まだやんの?」


「罰ゲーム付きでな!」


 二試合目はアキラが勝ち、シュンは四の字固めをかけられた。細い足が脛に絡みつく。全然痛くなかったが、シュンは「痛い痛い!」と叫んでみせた。三試合目はシュンが勝ち、また二人でベッドの上で転げ回った。


 夕方、二人は汗だくになってベッドの端に並んで座り、コンビニで買ってきたアイスを食べた。ソーダ味の棒アイスで、溶けた雫が手首まで垂れてくる。


「あー、生き返る」


 アキラが目を閉じて天井を仰いだ。


 シュンは横目でアキラを見た。汗で濡れたTシャツが背中に貼りついて、薄く透けている。肩甲骨の形と、その間を横切る下着の線が、うっすらと浮かんでいた。


 シュンはそこに目をやり、すぐに逸らした。アイスの棒を噛んだ。


「当たりじゃねーし」


「俺も」


 窓の外の蝉の声が、少しだけ弱くなっていた。西日が部屋の奥まで差し込んで、床の上のコントローラーを赤く染めている。


「また罰ゲームやろうぜ」


 シュンが言うと、アキラはアイスの棒を咥えたまま、にっと笑った。


「次は負けねーからな」


「言ったな」


 シュンは空になったアイスの袋を丸めて、ゴミ箱に投げた。外れた。アキラが「下手くそ」と笑った。

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