第5話 家族風呂

2年5月4日〜5日


 二日目は、しおりの予定表どおりに温泉街を食べ歩いた。


 蒸籠から湯気の上がる店で温泉まんじゅうを買い、四人で立ったまま頬張る。射的の屋台では、シュンが五発撃って五発とも景品の横をすり抜けさせ、店のおばあさんに慰めの飴をもらった。リクが一発で小さな招き猫を倒すと、シュンは「計算すんな!」と理不尽に怒った。


 通りの真ん中に、屋根のついた足湯があった。四人は靴と靴下を脱いで、縁の木のベンチに並んで座った。


 白く濁った湯に、八本の足が並んで沈む。


 リクは自分の足先を見下ろしながら、静かな満足を覚えていた。昨夜の大浴場で男女に分かれたぶん、今こうして四人が同じ湯に浸かっているのが嬉しかった。


「足湯なら一緒に入れるな」


 アキラが湯の中で足をばたつかせて笑った。シュンの脛に湯がかかり、「おい」とシュンがやり返す。飛沫が上がり、隣に座っていた観光客の老夫婦が笑った。リクは二人に「迷惑だ」と言いながら、自分も少し笑っていた。


 夜、二回目の大浴場に行った。今度も男女に分かれ、風呂上がりにのれんの前で合流する。浴衣姿の四人が廊下に揃ったところで、ユウトが何気ない調子で言った。


「一緒に入れなくて残念だったな」


 アキラは廊下の壁の掲示板を指差した。


「家族風呂ってのもあるぞ」


 掲示板には、手書きの貼り紙が留めてあった。『貸切家族風呂 一回五十分』。その下に、岩風呂の写真が添えてある。写真の湯船は広く、大人が四人並んで足を伸ばしても、まだ余裕がありそうだった。


 一秒か、二秒。


 言いようのない空気が、四人の間に流れた。誰も次の言葉を言わなかった。


 リクの頭に、一つの光景が浮かんだ。


 あの岩風呂に、毎年と同じように四人が並んで足を伸ばしている。湯気の向こうに山の夜空が見えている。その並びの中に、アキラがいる。何も着ていないアキラが。


 リクが最初に吹き出した。


「ダメだろ」


 笑い飛ばした。理由は言わなかった。


「ダメに決まってんだろ!」


 シュンがすぐに続いた。シュンも理由を言わなかった。ユウトが笑い出し、アキラも笑い出した。空気は一瞬で元に戻り、四人は笑いながら部屋へ歩き出した。


 歩きながら、リクは気づいた。


 誰も、なぜダメなのかを言わなかった。言う必要がなかったのだ。自分の頭に浮かんだのと同じ光景が、ユウトとシュンの頭にも浮かんでいた。三人が同じものを見て、同じように笑ってごまかした。


 まあ、そりゃそうだよな。


 リクはそれを可笑しく思い、すぐに忘れた。


「だよなー」


 前を歩くアキラが、笑いながら言った。リクの目には、それはいつものアキラの笑いに見えた。


 深夜三時、リクはトイレに起きた。


 部屋は暗く、障子越しの月明かりが布団の列をぼんやりと照らしている。三人の寝息が聞こえる。用を足して戻ってくると、自分の隣の布団が目に入った。


 アキラが、掛け布団を足元まで蹴飛ばして眠っていた。


 浴衣の帯が緩み、襟が大きく開いている。裾は膝の上まで割れて、白い太ももが月明かりの中に投げ出されていた。


 リクの心臓が、一度大きく鳴った。


 リクはしゃがみ込み、アキラの足元の布団を掴んで、肩の上まで引き上げてやった。布団の端を整える間、アキラの寝顔から目が離せなかった。薄く開いた唇。頬にかかった短い髪。子どものような寝顔だった。


 ――可愛い。


 そう思ってしまった、という事実だけがリクに残った。


 浴衣のせいだ。リクはそう思い、自分の布団に潜り込んで、すぐに眠った。


 三日目の朝、アキラは盛大な寝癖をつけたまま朝食の席についた。目が半分閉じていて、箸で納豆を混ぜる手がゆっくりと止まりかける。


「アキラ、寝相ひどかったぞ」


 シュンが味噌汁を啜りながら言った。


「布団くらいかけて寝ろ。風邪ひくだろう」


 リクが小言を言うと、アキラは「ふぁい」と気の抜けた返事をした。ユウトが笑いながら、アキラの寝癖を指でつついた。いつもの朝だった。


 帰りの車の中は、行きよりずっと静かだった。助手席のアキラは高速に乗って十分で眠り、隣のシュンも口を開けて寝ている。運転席のユウトが、小さな音でラジオを流していた。


 リクはスマホを取り出し、『いつもの』を開いた。旅館の玄関前で、仲居さんに撮ってもらった四人の写真を送信する。


 画面の中で、浴衣姿のアキラが真ん中に立ち、ピースをして笑っていた。両側からシュンとユウトが肩を寄せ、リクは一番端で、少しだけ口角を上げている。


 リクは写真をしばらく眺めた。


 アキラはもう、女の姿をした男友達ではない。元は男だった女友達なのだと、リクは自然に認めた。その認識の変化に、何の不安も感じなかった。


 窓の外を、新緑の山が流れていく。来年もまた四人でどこかの温泉に行くのだろう、とリクは思った。来年のしおりの表紙は何色にしようか、とも考えた。


 後部座席で、シュンの頭がリクの肩にごとんと倒れてきた。リクは小さくため息をつき、押し返さずにそのままにしておいた。

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