第4話 赤いのれん
2年5月3日
朝八時、ユウトの白いコンパクトカーは四人を乗せて走り出した。
父親のお下がりの車は、年季の入ったエンジン音を立てながらも機嫌よく高速の入口を目指していく。助手席はじゃんけんで勝ったアキラ。後部座席にシュンとリクが収まっている。
「はい、今年のしおり」
リクが後ろから、A4の紙を二つに折った手作りの冊子を配った。四ページ。二ページ目には分刻みの予定表がぎっしり並んでいる。
「修学旅行かよ」
シュンが毎年同じツッコミを入れ、リクは毎年同じように無視した。
高一のGWから始めた温泉旅行は、今年で五回目になる。毎年違う温泉地を選んで、宿の手配もしおりも毎年リクの担当だ。今年の行き先は、山あいの湯ノ沢温泉だった。
市街地を抜ける手前の交差点で、信号が赤に変わった。ユウトはブレーキを踏み、何気なく横を見た。
助手席のアキラのシートベルトが、胸の間に斜めに食い込んでいた。
一瞬、目がそこに止まった。信号が青に変わり、ユウトは前を向いてアクセルを踏んだ。それだけだった。
高速に乗ると、誰かがスマホをつないで高校時代によく聴いていた曲を流し始めた。四人で大声で歌う。サビで音程が外れても誰も気にしない。二時間半のドライブは、あっという間だった。
湯ノ沢温泉の老舗旅館は、黒い瓦屋根の立派な建物だった。フロントで記帳を済ませると、リクが振り返って言った。
「予約の人数、女性一名・男性三名で入れといた」
「細けー」
アキラが笑った。
通されたのは十畳の和室で、窓の外には新緑の山が迫っていた。毎年と同じく、四人で一部屋だ。荷物を放り出すなり、シュンが畳の上に大の字に寝転がった。
夕方、四人はタオルを持って大浴場へ向かった。長い廊下を歩いていくと、突き当たりで道が二つに分かれている。右に青い「男」ののれん。左に赤い「女」ののれん。
アキラは、赤いのれんの前で立ち止まった。
「……俺、こっちなんだよな」
少し困ったような顔で、アキラが笑った。
「女湯レポよろしく!」
シュンが叫ぶと、アキラは「するか!」と即座に返した。四人で笑う。アキラは手を上げて、一人で赤いのれんをくぐっていった。
男湯の露天風呂は、岩に囲まれた広い湯船だった。三人で湯に浸かり、縁に並んで背中を預ける。
どこの温泉でも、毎年四人でこうして並んできた。今年はその並びに、一人分の空きがある。
「うおー、あっちぃ!」
シュンが湯を掻き回してはしゃぎ、リクが「他の客もいるんだぞ」と注意する。ユウトはぼんやりと空を見上げた。
竹を組んだ仕切りの向こうから、女性客たちの笑い声が聞こえてくる。ユウトはその声に耳を澄ませたが、どれがアキラの声なのかは分からなかった。
「一人足りないと、物足りねえな」
ユウトが言うと、シュンが湯の中から勢いよく振り向いた。
「な!」
それは純粋に、いつもの四人が揃っていないことへの物足りなさだった。
湯から上がり、浴衣に着替えて休憩所に行くと、アキラはもう先に出ていた。
フロントで自動的に渡されたらしい女性用の浴衣を着ている。白地に、赤い小さな花が散った柄だった。濡れた短い髪が額に貼りつき、頬が湯上がりの熱で桃色に上気している。アキラは長椅子に腰かけて、瓶のコーヒー牛乳を両手で持ち、ごくごくと飲んでいた。
……可愛いじゃん。
ユウトはそう思った。思った直後に、自分で驚いた。
いや、アキラだぞ。
頭の中で笑った。思ってしまった、という事実があるだけで、ユウトはそれ以上何も考えなかった。
「おっせーよ、お前ら」
アキラが空の瓶を振ってみせた。
夕食は部屋に運ばれてきた。刺身、天ぷら、小さな鍋。アキラとシュンは瓶ビールを注ぎ合い、ユウトとリクはウーロン茶で乾杯した。シュンが天ぷらを三つまとめて頬張り、リクに行儀が悪いと叱られた。
食後は娯楽室で卓球をした。アキラとシュンのダブルス対ユウトとリク。白熱した打ち合いの最中、アキラが思い切り腕を振りかぶって強打を打った。
その勢いで、浴衣の前が大きくはだけた。
「前、前!」
リクが慌てて指差す。
「おわっ」
アキラが胸元を掻き合わせて直すと、シュンが床に転がって腹を抱えた。
「ぶははは! アキラ、ポロリ未遂!」
「未遂じゃねーよ、何も見えてねーよ!」
ユウトも笑いすぎて、ラケットを落とした。
二十三時、部屋に戻ると布団が四枚並べて敷かれていた。四人で円になり、トランプで大富豪をする。アキラは一度大富豪の座に就くと、そのまま一度も譲らなかった。シュンは三回連続で大貧民になり、「呪われてる」と布団に突っ伏した。
電気を消したあとも、暗闇の中で話は続いた。高校の文化祭で、四人で作ったお化け屋敷の話。修学旅行の夜、先生の見回りに見つかりかけた話。誰かが話すたびに、誰かが吹き出した。
やがて、シュンの寝息が聞こえ始めた。いびきに近い、大きな寝息だった。
ユウトは天井を見たまま目を閉じた。今年の旅行も最高だ、と思った。
隣の布団から、アキラの小さな寝返りの音がした。ユウトは眠りに落ちた。
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