第3話 縄張り

2年4月25日〜26日


 駅前のチェーン居酒屋は、土曜の夜らしく騒がしかった。


 四人掛けのテーブルに通されると、アキラとシュンが「生二つ」と声を揃え、ユウトとリクがウーロン茶を頼んだ。運ばれてきたジョッキをシュンが持ち上げ、リクの鼻先に突き出す。


「リクも一口いっとけって」


「あと十ヶ月待て」


「かってー」


 毎度のやり取りだった。リクの誕生日は二月で、四人の中で一番遅い。ルールはルールだ、とリクは思っている。


 乾杯して三十分もしないうちに、アキラの顔は耳まで真っ赤になっていた。ジョッキはまだ一杯目だ。発症前のアキラは、シュンと張り合ってジョッキを空けるほど飲めた。


「弱くなったなー、お前」


「体がちっちゃくなったからだろ」


「体重が減れば、同じ量でもアルコールの血中濃度は上がる。当然だ」


 リクが唐揚げにレモンを搾りながら言うと、三人が一斉にリクを見た。


「お前いちいち理屈っぽいんだよ」


「事実を言っただけだろう」


 テーブルが笑いで揺れた。リクも、口の端だけで少し笑った。


 二十時半、アキラが「ちょっと外の空気吸ってくる」と言って立ち上がった。赤い顔で、少し足元がふらついている。一人で平気か、とリクが言う前に、アキラは店の引き戸を開けて出ていった。


 十分経っても、戻ってこなかった。


「……見てくる」


 リクが立ち上がると、ユウトとシュンも黙ってついてきた。こういう時に最初に動くのは、昔からリクの役目だった。


 引き戸を開けると、夜の空気と一緒に、嫌な光景が目に入ってきた。


 店の前の歩道で、二十代後半くらいの男が二人、アキラを挟むように立っていた。片方がアキラの前に腕を突き出して、道を塞いでいる。アキラは困った顔で笑っていた。


「いや、俺ツレいるんで」


「俺っ娘じゃん、かわいー」


「ねえ、ツレって女の子? 一緒に飲もうよ」


 リクが何か言うより先に、シュンが動いた。アキラと男たちの間に、自分の体をねじ込む。


「こいつ、俺らのツレなんで」


 聞いたことのない低い声だった。


 ユウトがアキラの腕を軽く引いて、自分の背中の後ろに下げる。リクは男たちを真正面から見据えたまま、黙っていた。何も言う必要はなかった。


「……なんだ、男連れかよ」


 男たちは白けた顔で肩をすくめ、駅の方へ歩いていった。


 席に戻っても、空気は元に戻らなかった。シュンはジョッキを乱暴に置き、ユウトは頬杖をついて窓の外を見ている。リクも、箸を持ったまま何も口に運ばなかった。会話が途切れる。


「……なんでお前らが怒ってんだよ。声かけられたの俺だぞ」


 アキラが呆れたように笑った。


 リクは自分の中の苛立ちを、じっと観察した。


 アキラが危なかったから腹を立てているのか。違う、と思う。あの程度なら、アキラ一人でもどうにかできた。気に食わないのは、そこではない。


 知らない男が、自分たちの領域に手を突っ込んできたこと。四人の中の一人を、外の人間が勝手に「女」として扱ったこと。


 苛立ちの正体はそれだった。


 縄張りを荒らされた犬だな、とリクは思った。自分で思って、少し可笑しくなった。それ以上は考えなかった。


「なんか休日が台無しになった」


 ユウトがグラスの氷を鳴らして言った。


「カラオケオールで取り返そうぜ」


「乗った」


「行く!」


「……明日は何もないしな」


 全員が即座に賛成した。


 深夜のカラオケボックスは、四人の声でいっぱいになった。


 シュンはマイクを握りしめ、声を張り上げてアニメソングを歌った。子どもの頃に四人で観ていた番組の主題歌だ。サビで全員が叫ぶ。リクの番になると、画面の採点は高得点を叩き出すのに、三人は揃って首を傾げた。


「上手いのに全然響かねえ」


「音程は合ってるんだからいいだろう」


 ユウトは流行りの曲を、それなりに格好をつけて歌った。


 アキラは、昔よく歌っていた男性ボーカルの曲を入れた。イントロが流れ、歌い出した瞬間、声が出なくなった。キーが低すぎるのだ。二小節で諦め、「無理だこれ」と笑ってマイクを下ろした。


「女の曲、原キーで歌ってみろよ」


 シュンが勝手に曲を入れた。女性アーティストの、ヒットしたバラードだった。


 アキラは渋々マイクを持ち、歌い出した。


 きれいな声だった。高い音まで、苦もなく真っ直ぐに伸びていく。


「原キーいけんじゃん!」


「え、上手くね?」


 三人が騒ぐと、アキラは赤い顔をさらに赤くして「うるせー」と言った。リクは画面の点数を見た。自分より高かった。


 午前四時を過ぎた頃、アキラがリクの肩にもたれて眠り始めた。ソファの上で体が傾き、短い髪がリクの首筋に触れる。リクは起こさないように、そのまま動かなかった。


 肩にかかる重さに、軽いな、とだけ思った。


 午前五時、四人は店を出た。空が東の方から白み始めていて、ビルの隙間が薄い桃色に染まっている。人の少ない駅前を、四人で並んで歩いた。アキラはアザラシのぬいぐるみを抱えて、眠そうに目をこすっている。


 リクは隣を歩くアキラの横顔を見た。朝の光の中で、その輪郭は柔らかかった。


 アキラは男の友達のままだ。ただ、女の姿をしているだけだ。


 リクはそう整理して、それで納得した。


 始発の電車は空いていた。四人並んでシートに座ると、アキラとシュンはすぐに船を漕ぎ始めた。リクはスマホのカレンダーを開いた。


「GWの温泉、この前話した湯ノ沢の旅館で押さえていいか」


「……いい」


「いいよー……」


「……ん」


 三人の寝ぼけた声が重なった。リクは頷き、予約サイトの画面を開いた。

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