第6話 知らなかった顔


 体育館を出た俺たちは、そのまま生徒会室へ向かっていた。


「…………」


「…………」


 さっきから神代が妙に静かだ。


 普段なら、何かしら文句の一つでも言ってきそうなのに。


「神代?」


「何?」


「静かだな」


「悪い?」


「悪くないけど」


 俺は歩きながらネクタイを締め直す。


「珍しいなと思って」


「私だって静かな時くらいあるわよ」


「そう?」


「あるわよ!」


 やっぱりいつもの神代だ。


「で?」


「何?」


「なんで生徒会室までついてくるの?」


「行っちゃダメなの?」


「ダメじゃないけど」


「ならいいでしょう」


「お前、生徒会役員じゃないだろ」


「知ってるわよ」


「じゃあ何しに来るんだよ」


「……なんとなく」


「便利だな、その言葉」


 神代がむっとした顔をする。


 そのまま俺より半歩前を歩き始めた。


「何怒ってんの」


「怒ってない」


「怒ってるだろ」


「怒ってないって言ってるでしょう?」


「はいはい」


「その返事やめて!」


 結局、いつも通りだった。


     ◇


「お疲れさまです、会長」


 生徒会室へ入ると、副会長が書類から顔を上げた。


「どうも」


「随分遅かったですね」


「ちょっと色々あって」


「聞きましたよ」


「早いな」


「バスケ部主将と勝負したとか」


「もう広まってるの?」


「この学校、噂が回るの早いですから」


「嫌な学校だな」


 副会長の視線が俺の後ろへ向く。


「神代さんも一緒なんですね」


「ええ。お邪魔します」


「どうぞどうぞ」


「なんでお前が許可するんだよ」


「会長が連れてきたんでしょう?」


「勝手についてきた」


「相河くん?」


「ん?」


「その言い方、感じ悪い」


「事実だろ」


「もういいわ」


 神代は勝手にソファへ座った。


 本当に自由だな。


「会長」


「何?」


「神代さんって、思ったより普通なんですね」


「かもな。」


「二人とも失礼じゃない!?」


 副会長が笑う。


 俺もつられて少し笑った。


「ほら」


「何よ!」


「やっぱ普通」


「もう帰ろうかしら」


「どうぞ」


「止めなさいよ!」


「なんでだよ」


 また副会長が笑う。


 神代が頬を膨らませる。


 昨日までなら、神代悠里がこんな顔をするなんて想像もしなかった。


 有名な神代家のお嬢様。


 近寄りがたい美少女。


 それが俺の中にあった神代悠里の印象だった。


 でも。


 実際に話してみれば。


 意外と負けず嫌いで。


 意外と短気で。


 意外と子供っぽい。


「……何?」


 神代がこっちを睨んでいた。


「いや」


「また失礼なこと考えたでしょう」


「考えてない」


「その顔は考えてる顔よ」


「俺の顔そんな分かる?」


「少しは」


「…………」


 少しは、か。


 偽装とはいえ。


 恋人になったせいなのか。


 こいつと話す時間が妙に増えた。


「会長」


「ん?」


「書類、溜まってますよ」


「あ」


 現実に戻された。


 机の上。


 確かに結構ある。


「……最悪」


「会長の仕事です」


「分かってる」


 椅子へ座る。


 一枚目。


 部活動予算申請。


「…………」


 バスケ部。


 俺は思わず手を止めた。


「どうしたの?」


 神代がソファから覗き込んでくる。


「いや」


 予算申請書を持ち上げる。


「ちょうどバスケ部」


「……本当に減らさないでしょうね?」


「減らさないよ」


「絶対?」


「本当にやったら俺が怒られるだろ」


「さっきあんなこと言ってたくせに」


「あれは脅し」


「性格悪い」


「知ってる」


 神代が呆れたようにため息をつく。


 でも。


 少し笑っている。


「ただ」


「何?」


「増額申請は却下しようかな」


「相河くん!」


「冗談」


「分かりづらい!」


「面白いな、お前」


「誰のせいよ!」


     ◇


 三十分ほど経った。


「…………」


 静かだ。


 俺は書類。


 副会長はパソコン。


 神代はソファ。


「……神代」


「何?」


「暇じゃない?」


「別に」


「さっきからずっと本読んでるけど」


「読書くらいするわよ」


「それ、面白い?」


「面白いから読んでるの」


「何の本?」


「小説」


「見れば分かる」


「じゃあ聞かないで」


「冷たいな」


 神代が本から目を上げる。


「相河くんは本読まないの?」


「読むよ」


「意外」


「なんで」


「もっと実用書ばかり読んでそう」


「俺を何だと思ってんだ」


「生徒会長」


「生徒会長への偏見ひどくないか?」


「あなたが生徒会長らしくないからよ」


「それはよく言われる」


 茶髪。


 メガネ。


 メガネは悪くないだろ!


 言葉遣いも別に丁寧じゃない。


 確かに。


 自分でも模範的な生徒会長には見えないと思う。


「でも」


 神代が本を閉じた。


「相河くんって、ちゃんと生徒会長なのね」


「何その感想」


「だって」


 机の書類を見る。


「思ったより真面目に仕事してるから」


「当たり前だろ」


「意外」


「失礼だな!」


 仕返しか。


「それに」


「まだあるの?」


「ホント生徒会の仕事ちゃんとしてるのね」


「…………」


「予算とか、ちゃんと書類見てるし」


「仕事だから」


「そう?」


「そう」


「ふーん」


 神代は何か言いたそうだった。


「何?」


「別に」


「最近それ多くない?」


「気のせい」


「そう?」


「そうよ」


 また本へ視線を戻す。


 よく分からない。


     ◇


「会長」


「何?」


「私はそろそろ帰ります」


 副会長が時計を見る。


 もう六時近い。


「ああ。お疲れ」


「会長もあまり遅くならないでくださいね」


「分かってる」


 副会長は神代へ軽く頭を下げた。


「神代さんも、お疲れさまでした」


「私、何もしてないけど」


「会長の話し相手ということで」


「俺、別に寂しくないけど」


「はいはい」


「その返事やめろ」


「では」


 扉が閉まる。


 生徒会室に二人だけ。


「…………」


「…………」


 なんか。


 妙に静かになった。


「神代」


「何?」


「帰らないの?」


「追い出したい?」


「そうじゃない」


「じゃあもう少しいる」


「好きにすれば」


「そうする」


 変な奴。


 俺は再び書類を見る。


 しばらくして。


「ねえ」


「何」


「相河くん」


「うん」


「昨日まで」


「何?」


「私のこと、どう思ってた?」


 手が止まった。


「急だな」


「いいから」


「神代家のお嬢様」


「それだけ?」


「美人」


「…………」


「何その顔」


「普通に言うのね」


「事実だろ」


「そうじゃなくて!」


「じゃあ何」


「もういい」


「なんなんだよ」


 神代は視線を逸らした。


 耳が少し赤い。


 暑いのか?


「で?」


「何が」


「今は?」


「今?」


「私の印象」


「…………」


 考える。


「面倒くさい」


「帰るわよ!?」


「待て待て」


「最低!」


「冗談」


「あなた、本当に性格悪い!」


「じゃあ⋯そうだな」


 改めて考える。


「思ってたより普通」


「またそれ!?」


「でも」


 少しだけ言葉を選ぶ。


「悪い意味じゃない」


「…………」


「ちゃんと怒るし」


「うん」


「笑うし」


「うん」


「結構子供っぽいし」


「余計!」


「それが普通ってこと」


「…………」


 神代が黙った。


「何」


「別に」


「また?」


「いいの」


 よく分からないけど。


 今度は怒っていなかった。


 むしろ。


 少しだけ嬉しそうに見えた。


     ◇


「終わった」


 最後の書類を閉じる。


「帰るか」


「ええ」


 俺たちは生徒会室を出た。


 夕方の廊下。


 もうほとんど人はいない。


 窓の外は薄い橙色。


「相河くん」


「何?」


「今日、一緒に帰る?」


「なんで?」


「恋人だから」


「偽物だろ」


「だから」


「?」


「恋人のフリ」


「ああ」


 そういうことか。


「別にいいけど」


「じゃあ決まりね」


「でももう人いないぞ」


「…………」


「誰に見せるんだ?」


「いいの!」


「何が?」


「練習!」


「何の?」


「恋人の!」


「必要ある?」


「ある!」


「そう?」


「そう!」


 よく分からない。


 でも。


 まあいいか。


「じゃあ帰るか」


「うん」


 二人で廊下を歩く。


 偽装恋人。


 ただの契約。


 それなのに。


 少しずつ。


 神代悠里という人間を知る時間が増えている。


 俺が知らなかった顔。


 そして。


 たぶん。


 神代も。


 俺の知らない部分を見始めている。


 それが何を意味するのか。


 この時の俺には――。


 まだ分からなかった。

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