第5話 理解した

ボールが床を叩く。


 ダン。


 ダン。


 ダン。


 体育館に響く乾いた音。


「先に15点取った方が勝ち。それでいいな?」


「ああ」


 俺は軽く肩を回した。


 向かいには、バスケ部主将。


 当然だが、体格はいい。


 俺より少し背が高く、肩幅もある。


 毎日練習しているだけあって、立っているだけでも慣れているのが分かる。


「相河くん……」


 コートの外。


 神代が心配そうにこちらを見ている。


 手には、さっき預けた俺のメガネ。


「本当にやるの?」


「ここまで来てやらない理由ないだろ」


「あるわよ!」


「例えば?」


「相手、バスケ部の主将なのよ!?」


「知ってる」


「だから――!」


「神代」


「何よ」


「メガネ落とすなよ」


「そんな心配してる場合!?」


 周囲から笑いが漏れた。


 少しは空気が和んだらしい。


 ただ。


 バスケ部員たちの表情には余裕がある。


「キャプテン相手とか無理だろ」


「相河ってバスケ経験あるのか?」


「運動神経いいって噂は聞くけど……」


「それとこれとは別だろ」


 まあ。


 普通はそう思うよな。


「始めるぞ」


 主将がボールを持つ。


「ああ」


 勝負が始まった。


     ◇


 ダン!


「っ!」


 速い。


 主将が一気に踏み込む。


 右。


 そう思った瞬間には、もう横を抜けられていた。


「――!」


 レイアップ。


 ボールがリングへ吸い込まれる。


「まず2点!」


 歓声が上がる。


「…………」


「相河!」


 ボールがこちらへ戻ってくる。


「どうした! そんなもんか!」


「…………」


 俺は何も答えなかった。


 次。


 攻守が入れ替わる。


 俺が仕掛ける。


 右。


 主将が反応する。


 速い。


 なら左。


「甘い!」


「っ」


 先回りされた。


 ボールを弾かれる。


 そのまま主将が奪う。


「行くぞ!」


 速攻。


 また2点。


 4対0。


「相河くん……」


 神代の声が聞こえた。


 続いて。


 クロスオーバー。


 一度左へ振って。


 右。


「――」


 また抜かれる。


 6対0。


 体育館の空気が変わってきた。


「やっぱり無理だろ」


「相手キャプテンだぞ?」


「遊びで勝てる相手じゃないって」


「会長、部費減らすどころじゃないな」


 好き勝手言いやがって。


「…………」


 でも。


 間違ってはいない。


 強い。


 動きも速い。


 身体の使い方も上手い。


 次。


 主将がボールを持つ。


 俺は少し距離を取った。


「どうした相河! 怖くなったか!」


「別に」


「だったら止めてみろ!」


 左足。


 肩。


 視線。


 ドリブル。


「…………」


 なるほど。


 左へ行く時は、一瞬だけ重心が沈む。


 右は逆。


 フェイントを入れる時は視線より先に肩が動く。


 シュートへ行く時は――。


「相河くん……?」


 神代が不安そうに呟く。


 主将が踏み込んだ。


 また右。


 抜かれる。


 シュート。


 8対0⋯。


「よし!」


 バスケ部員たちから歓声が上がった。


「…………」


 俺はリングから落ちてきたボールを拾う。


「なんだ相河?」


 主将が笑う。


「もう諦めたか?」


「いや」


「じゃあ何だ」


 ボールを一度床へ落とす。


 ダン。


 跳ね返ってきたボールを受け取る。


 俺は小さく息を吐いた。


「……理解した」


「は?」


 神代が首を傾げる。


「相河くん?」


 俺は主将を見る。


「もういい」


「何がだ?」


「お前の動き」


「…………?」


「だいたい分かった」


 体育館が静かになる。


 主将の眉が動いた。


「何を言って――」


「始めようぜ」


 ボールを床へ落とす。


 ダン!


「――!」


 一歩。


 主将の身体が反応する。


 やっぱり。


 こっちへ来る。


 俺はその手前で止まった。


「なっ――」


 ジャンプ。


 リングは遠い。


 3ポイントラインの外。


「相河!?」


 ボールを放つ。


 綺麗な放物線。


 そして。


 ――シュッ。


 ネットだけが揺れた。


「…………」


 体育館が静まり返った。


「……スリー?」


 誰かが呟いた。


「まぐれだ!」


 主将が叫ぶ。


「一本入ったくらいで――!」


「そうだな」


 俺はコートへ戻る。


「一本じゃ足りない」


     ◇


 次。


 主将が仕掛ける。


 右。


「そこ」


「なっ!?」


 手を伸ばす。


 ボールが俺の指先に当たる。


 弾いた。


 そのまま奪う。


「待て!」


 走る。


 でも。


 ゴール下までは行かない。


 3ポイントラインのところで止まる。


「また!?」


 ジャンプ。


 シュート。


 ――シュッ。


「…………」


 6点。


「嘘だろ……」


 空気が変わった。


「相河って……こんな動きだったか?」


「さっきまで全然……」


「動き、別人じゃねえか……」


 神代も目を見開いている。


「相河……くん?」


 俺はボールを拾った。


「何?」


「あなた……」


「あとで」


 今はこっち。


 主将を見る。


 明らかにさっきまでの余裕が消えていた。


「舐めやがって……」


「別に舐めてないけど」


「さっきまで手抜いてたのか!?」


「違う」


「じゃあなんだ!」


「見てただけ」


「……何?」


「お前の動き」


「…………」


「癖を確認してた」


 主将の顔が引きつる。


「ふざけるな!」


 また攻めてくる。


 今度はフェイント。


 左と見せて右。


「それも見た」


「っ!?」


 進路へ入る。


 主将が止まった。


 一瞬だけ出来た隙。


 ボールを奪う。


 走る。


「相河ぁ!」


 追ってくる。


 速い。


 だったら。


 俺はまた3ポイントラインで止まった。


「またスリー!?」


 放つ。


 ――シュッ。


 3点。


「3本連続……」


「マジかよ……」


 体育館がざわめく。


 神代はもう何も言わない。


 ただ。


 俺をじっと見ていた。


     ◇


「くそっ!」


 主将が強引にゴール下へ入る。


 さすがに全部止められるわけじゃない。


 シュート。


 入る。


 10対9⋯。


「まだ俺が勝ってる!」


「そうだな」


「だったらその余裕やめろ!」


「余裕じゃないって」


 ただ。


 もう分かっただけだ。


 次。


 俺のボール。


「…………」


 主将が警戒している。


 3ポイント。


 当然そう思うよな。


 俺はドリブルで前へ出る。


「来い!」


 一歩。


 二歩。


 主将が下がる。


 その瞬間。


 俺は止まった。


「な――」


 スリーポイントライン。


 ジャンプ。


「またかよ!」


 シュート。


 ――シュッ。


 10対12!?


「…………4本」


 誰かが呟いた。


 あと3点。


 つまり。


 あと1本。


「相河……」


 主将の顔から余裕が完全に消えている。


「お前……なんで全部スリーなんだよ」


「なんでって?」


 俺は首を傾げた。


「ちまちま2点取るの、効率悪いだろ?」


「…………」


「スリーなら5本入れれば済むしな」


 体育館が静まり返った。


「お……」


 主将の肩が震える。


「お前……!」


「何?」


「舐めるなぁぁぁ!! 相河ぁぁぁ!!」


「うるさっ」


 一気に来た。


 今までで一番速い。


 フェイントもない。


 真正面から。


 力と速度だけで突破するつもりだ。


「――!」


 速い。


 でも。


 単純だ。


 俺は半歩ずれる。


 主将がボールを身体の前へ出した瞬間。


「そこ」


 手を差し込む。


 バシッ!


「なっ!?」


 ボールが転がる。


 俺が拾う。


「待てぇ!」


 背後から主将。


 走る。


 スリーポイントライン。


「相河ぁぁぁ!」


 止まる。


 振り返る。


 主将が必死に手を伸ばしてくる。


「遅い」


 ジャンプ。


 指先からボールが離れる。


 時間がゆっくり流れたように感じた。


 ボールは高く弧を描き――。


 リングへ。


 ――シュッ。


「…………」


 ネットが揺れた。


 10対15⋯。


 静寂。


 一瞬。


 誰も声を出さなかった。


「…………入った」


 ぽつり。


 誰かが言った。


 その瞬間。


「うおおおおおおお!?」


 体育館が爆発した。


「5本全部スリー!?」


「マジかよ!」


「キャプテン負けた!?」


「嘘だろ!?」


 俺は大きく息を吐いた。


「終わり?」


「…………」


 主将はその場に立ち尽くしている。


 放心しているらしい。


「なあ?」


「…………」


「約束は守ってもらうからな」


 ぴく。


 主将の肩が動く。


「バスケ部の予算」


「…………」


「減額な」


「待ってぇぇぇぇぇ!!」


 バスケ部全員が俺へ駆け寄ってきた。


「会長! それだけは!」


「俺たち関係ないです!」


「キャプテンが勝手にやったんです!」


「ボール買い替えるんですよ!」


「連帯責任だ…知るか!」


「会長ぉぉぉぉ!!」


 うるさい。


 俺は耳を塞いだ。


「ったく⋯冗談だよ」


「…………え?」


「本当に部費減らすわけないだろ」


 さすがに。


 生徒会長の権限をそんなことに使う気はない。


「じゃ、じゃあ……!」


「ただし」


 俺は主将を見る。


「もう二度と、神代を勝手に賭けの条件にするな」


「…………」


「本人が嫌がってただろ」


 主将は少し俯いた。


「……悪かった」


「神代に言え」


「…………」


 主将が神代を見る。


「神代さん……すまなかった」


「……もうしないでね」


「ああ」


 これで終わり。


 のはずだった。


「相河くん」


「ん?」


 振り返る。


 神代が立っている。


 俺のメガネを持ったまま。


「お疲れ」


「ああ」


 メガネを受け取ろうと手を伸ばす。


 でも。


 神代は渡してくれない。


「何?」


「…………」


「神代?」


 じっと俺を見る。


「どうした?」


「……あなた」


「うん」


「本当に何者なの?」


「生徒会長」


「そういう意味じゃない!」


 なんなんだよ。


「返して」


「待って」


「見えづらいんだけど」


「…………」


 まだ俺の顔を見ている。


「神代?」


「……別に」


 ようやくメガネが返ってきた。


 かける。


 視界が戻る。


 神代はなぜか少しだけ顔を逸らした。


「?」


 なんだ?


「帰るわよ」


「どこに」


「生徒会室」


「お前、生徒会じゃないだろ」


「いいから!」


「なんで怒ってんだよ」


 分からない。


 ただ。


 この日。


 俺は知らなかった。


 さっきの勝負を見ていた神代悠里の中で。


 俺に対する何かが――。


 ほんの少しだけ。


 変わり始めていたことを。

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