第2話 嵐の始まり


「それで――お願いって?」


 俺が尋ねると、神代悠里は一度だけ生徒会室の中を見回した。


 まだ副会長がいる。


「……二人で話したいんだけど」


「え?」


「出来れば、人には聞かれたくない話なの」


 その言葉に、副会長の視線が俺へ向く。


 なんだその顔は。


 妙に楽しそうじゃないか。


「会長。私、少し席を外しましょうか?」


「いや、別に――」


「お願い」


 神代が微笑む。


 副会長は俺の返事など待たず、


「では、ごゆっくり」


「おい」


 その一言だけ残して、生徒会室を出ていった。


 扉が閉まる。


 静かになった室内に、時計の秒針だけが響いた。


「…………」


「…………」


 なんだ、この空気。


 俺は椅子の背もたれに体を預けた。


「それで?」


「なに?」


「人払いまでしたんだ。よっぽどの話なんだろ?」


「そうね」


 神代は俺の机の前まで歩いてくる。


 長い黒髪が、窓から入る風に揺れた。


 近くで見ると本当に綺麗な髪だ。


 いや。


 今はそんなことどうでもいい。


「相河くん」


「うん」


 紫色の瞳が、まっすぐ俺を見る。


 そして。


「私と付き合ってほしいの」


「…………」


 沈黙。


「……は?」


「だから、私と付き合ってほしいの」


「聞こえてる」


「ならよかった」


「よくない」


 何を言い出すんだ、この女は。


「悪いけど、断る」


「早くない?」


「早いも何もないだろ」


「せめて理由くらい聞かない?」


「告白なんだろ?」


「違うわよ」


「…………は?」


 今度は別の意味で声が出た。


 神代は呆れたようにため息をつく。


「誰があなたに本気で告白したって言ったの?」


「お前が今『付き合ってほしい』って――」


「だから」


 俺の言葉を遮り、彼女は人差し指を立てた。


「付き合っている“フリ”をしてほしいの」


「…………」


 さっきより意味が分からなくなった。


「帰っていい?」


「ここ、あなたの生徒会室でしょ」


「じゃあお前が帰れ」


「まだ話は終わってないわ」


「俺の中では終わった」


 面倒な予感しかしない。


 俺は机の書類へ視線を戻した。


「待って」


「嫌だ」


「ちゃんと聞いて」


「もっと嫌だ」


「相河くん」


「何」


「生徒会長でしょう?」


「その言葉で何でも言うこと聞くと思うなよ」


「頑固ね」


「初対面同然の女に偽の彼氏になれと言われて、素直に『はい』って言う男のほうが怖いだろ」


「それはそうね」


「納得するな」


 なんなんだこいつ。


 噂では、神代悠里はもっと近寄りがたい女だと思っていた。


 名家のお嬢様。


 成績優秀。


 いつも落ち着いていて、誰に対しても隙を見せない。


 少なくとも俺が知っている評判はそんな感じだ。


 なのに今、目の前にいる女はどうだ。


 結構強引だぞ。


「理由を話せば、少しは考えてくれる?」


「内容による」


「なら話すわ」


 神代は向かいの椅子へ腰を下ろした。


「私、告白されるのが嫌なの」


「……自慢?」


「本気で言ってるなら怒るわよ」


「冗談」


 怖い目で睨まれた。


「一年の頃から、何度も告白されてきたの」


「知ってる」


「知ってるの?」


「噂くらいはな」


 城南高校で神代悠里を知らない奴はほとんどいない。


 あれだけ目立つ容姿に、神代家の令嬢という肩書きまである。


 放っておいても噂は耳に入る。


「でも、誰とも付き合ってないんだろ?」


「ええ」


「なんで?」


 俺が聞くと、彼女の表情が少しだけ変わった。


 さっきまでの余裕が消える。


「……みんな、同じだから」


「同じ?」


「神代家だから。お金持ちだから。見た目が好みだから。そんなことばかり」


「…………」


「私が何を好きなのかも、何が嫌いなのかも知らない。知ろうともしない」


 その言葉に。


 俺は思わず神代を見た。


「『神代悠里』じゃなくて、“神代家のお嬢様”を見てるのよ」


 ――ああ。


 なるほど。


 俺と同じか。


 胸の奥で、何かが引っかかった。


「だから全部断ってきた。でも最近、本当に面倒になってきたの」


「それで彼氏がいることにしようと?」


「そういうこと」


「で、なんで俺なんだよ」


「条件がいいから」


「言い方」


「事実でしょう?」


 神代は指を折りながら話し始める。


「生徒会長。成績優秀。スポーツ万能。女子からの人気も高い」


「最後いらないだろ」


「必要よ」


「なんで」


「私の恋人だと言っても、周りが納得しやすいもの」


「……なるほどね」


 合理的といえば合理的。


「それに」


「まだあるのか」


「相河くん、私に興味ないでしょう?」


「まあ……ほぼないな」


「そこよ」


「失礼な話だな」


「あなたなら、変に勘違いしないと思ったの」


 なるほど。


 つまり俺は恋愛対象にならなそうだから選ばれたわけか。


 それはそれで若干腹立つ。


「だから断る」


「どうしてよ」


「気分悪い」


「子供ね」


「帰れ」


「待ちなさいってば」


 神代が身を乗り出す。


「あなたにもメリットはあるわ」


「俺に?」


「あなたも女子から告白されてるでしょう?」


「…………」


 その一言で。


 俺の手が止まった。


「毎日のように」


「毎日ではない」


「似たようなものでしょう?」


「……まあ」


「私と付き合ってることになれば、それも減るんじゃない?」


「…………」


 待てよ。


 俺は顎に手を当てた。


 確かに。


 悪くないかもしれない。


 俺に告白してくる女子の中には、断っても何度も来る奴もいる。


 理由を聞かれたり、友達から探りを入れられたり。


 正直、かなり面倒だ。


 もし。


 俺に彼女がいると分かれば――。


 少なくとも今よりは静かになる。


「……なるほど」


「でしょう?」


 神代が勝ち誇ったように微笑む。


 その顔が少し気に入らない。


「つまり」


 俺は指を組んだ。


「お互いに言い寄ってくる異性を避けるため」


「そう」


「卒業まで平和な学園生活を送るための偽装交際」


「完璧でしょう?」


「自分で言うなよ」


 でも。


 悪くない。


 本当に付き合うわけじゃない。


 面倒な告白が減る。


 相手は神代悠里。


 変な噂は立つだろうが、そのうち収まる。


 そして何より。


 この女は俺自身に恋愛感情を持っていない。


 俺も同じだ。


 なら。


 余計な面倒は起きない。


 ――そう思った。


「……分かった」


「え?」


 神代が目を瞬いた。


「なんだよ。その顔」


「意外と簡単に了承したから」


「お前が勧誘したんだろ」


「そうだけど」


「その話、乗るよ」


「本当に?」


「ああ」


 俺は椅子から立ち上がった。


「お互いの平和な学園生活のため、だろ?」


「ええ」


「ただし条件がある」


「なに?」


「必要以上に俺の生活へ干渉しない」


「分かったわ」


「俺もお前には干渉しない」


「ええ」


「あと、本当の恋人みたいなことを強要するな」


「例えば?」


「知らん」


「分からないのに条件に入れるの?」


「恋人いたことないんだから仕方ないだろ」


 言った瞬間。


 神代が固まった。


「……相河くん」


「何」


「付き合ったことないの?」


「悪いか?」


「意外」


「お前は?」


「ないわよ」


「…………」


「…………」


 互いに黙る。


「大丈夫なのか、これ」


「大丈夫よ。恋人らしく振る舞えばいいだけでしょう?」


「その恋人らしくが分からないんだけど」


「私だって分からないわよ」


「もうやめない?」


「始める前から諦めないで!」


 なんなんだ。


 これ。


 俺は頭を抱えた。


「とりあえず」


 神代が立ち上がる。


 そして俺の前へ手を差し出した。


「今日からよろしくね。相河くん」


「契約相手として?」


「恋人として」


「偽の、な」


「そこ強調しなくてもいいでしょう?」


「重要だろ」


 俺も手を出す。


 軽く握手を交わす。


 これで契約成立。


 平和な学園生活のための偽装恋愛。


 これなら、きっと面倒な告白からも解放される。


 少なくとも。


 この時の俺は、本気でそう信じていた。


     ◇


 翌朝。


「――おい、相河ぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 昇降口へ入った瞬間。


 校舎中に響きそうな怒鳴り声が聞こえた。


「…………」


 なんだ。


 朝から。


 振り返る。


 そこには、見覚えのない男子生徒。


 いや。


 ジャージ姿だからバスケ部か?


「お前!!」


「俺?」


「神代さんと付き合ってるって本当か!?」


「…………は?」


 早くない?


 昨日だぞ?


 しかも俺、まだ誰にも言ってないぞ?


「なんで知ってんだよ」


「学校中で噂になってるぞ!」


「…………」


 俺はゆっくり前を向いた。


 その先。


 廊下の向こうから、神代悠里が歩いてくる。


 俺と目が合う。


 にっこり。


 満面の笑み。


 嫌な予感しかしない。


 俺は昨日の自分に言ってやりたかった。


 何が平和な学園生活だ。


 何が悪くない、だ。


 この時。


 俺はようやく理解した。


 第六感というものは、やっぱり馬鹿に出来ない。


 第1話で感じた“嵐の予感”。


 あれは予感なんかじゃなかった。


 もう――。


 嵐は、始まっていた。

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