フェイク――偽装から始まった恋人のはずが
涼宮 真代
第1話 嵐の予感
四月。
春という季節は、どうにも苦手だ。
新しいクラス、新しい席、新しい人間関係。
そして――新学期恒例の、やたらと増える告白。
「相河先輩っ!」
「……はい」
放課後。
校舎裏に呼び出された時点で、だいたい用件は察していた。
目の前には、見覚えのない女子生徒。
リボンの色を見る限り、2年生らしい。
両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、耳まで真っ赤にしている。
こういう状況にも、もう慣れた。
「ず、ずっと前から好きでした! 私と付き合ってください!」
「ごめん」
「はやっ!?」
思わず女子生徒が顔を上げた。
しまった。
せめて最後まで聞いてから断ればよかった。
「……悪い」
「い、いえ……」
露骨に落ち込ませてしまった。
罪悪感がないわけじゃない。
だからといって、付き合う気もない。
「その……理由、聞いてもいいですか?」
「理由?」
「やっぱり、私じゃ……ダメですか?」
困ったな。
こういう質問が一番答えづらい。
「君がダメとかじゃない」
「じゃあ!」
「俺のこと、何が好き?」
「え?」
逆に尋ねると、彼女は目を丸くした。
「え、えっと……すごくカッコいいし……」
「うん」
「頭もいいし、生徒会長だし……スポーツも何でもできるって聞いたし……」
「……そっか」
予想通りだった。
別に彼女が悪いわけじゃない。
俺のことを知る機会なんてなかっただろうし、見た目や噂から興味を持つことだって普通だ。
それでも。
「ごめん。やっぱり付き合えない」
「……はい」
小さく頭を下げ、その子は走り去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、俺は小さく息を吐く。
「……またか」
別に女子が嫌いなわけじゃない。
恋愛に興味がないわけでもない。
俺だって十八になる男だ。
可愛い女の子を見れば可愛いと思うし、恋人がいたら楽しいんだろうなと思うことくらいある。
ただ――。
俺に告白してくる女子は、いつだって同じだった。
顔がいい。
成績がいい。
運動ができる。
生徒会長。
みんな、そんなことばかり。
俺が何を好きで、何が嫌いで、どんな時に笑うのか。
そんなことを知ろうとする奴はいない。
つまり。
彼女たちが好きなのは俺じゃない。
“相河昴という肩書き”だ。
「……面倒くさ」
ポケットに手を突っ込み、校舎へ戻る。
茶色い髪。
校則違反にならない程度に長めの前髪。
視力が悪いから普段はメガネ。
自分でも、生徒会長という肩書きにはあまり似合っていないと思う。
それでも俺が城南大付属城南高等学校の生徒会長なのだから、世の中分からないものだ。
そして数日前。
新学期最初の生徒総会でも、俺は全校生徒の前に立っていた。
◇
「続きまして、生徒会長より挨拶です」
体育館。
千人近い生徒たちの視線が壇上へ集まる。
正直、こういう堅苦しい挨拶は得意じゃない。
用意された原稿を読むだけなら副会長に任せればいいと毎回思う。
マイクの前に立ち、体育館を見渡す。
「生徒会長の相河です」
ざわついていた体育館が、少し静かになった。
「新年度だからといって、立派なことを言うつもりはありません」
教師席から嫌な視線が飛んできた。
知らん。
「三年生にとっては最後の一年。一、二年生にとっても、今の学年で過ごせる時間は一度きりです。だから――後悔しないように、自分がやりたいと思ったことをやってください」
一度、言葉を切る。
「もちろん、校則と法律の範囲内で」
体育館のあちこちから笑いが漏れた。
よし。
少なくとも寝ていた奴は起きただろう。
「生徒会は、そのために出来る限り協力します。困ったことがあれば、生徒会室までどうぞ」
軽く頭を下げる。
「以上です」
壇上を降りる。
俺にとっては、それだけのことだった。
毎年行われる生徒総会。
何の変哲もない、新年度の行事。
――そのはずだった。
◇
同じ頃。
体育館の後方。
三年生の列に、一人だけ俺をじっと見つめている女子がいたことを――。
この時の俺は、当然知らない。
「…………」
長い黒髪。
光の加減で紫色にも見える瞳。
整った顔立ちに、どこか近寄りがたい雰囲気。
神代悠里。
城南高校で、その名前を知らない生徒はほとんどいない。
由緒ある神代家の令嬢。
容姿端麗。
成績も優秀。
良くも悪くも目立つ存在。
そんな彼女は、生徒総会が始まってからずっと退屈そうにしていた。
校長の話にも。
生活指導の話にも。
進路指導の話にも。
ほとんど興味を示していなかった。
けれど。
俺が壇上へ上がった瞬間。
悠里の目が、初めてはっきりと開いた。
「……あ」
隣にいた女子が首を傾げる。
「どうしたの、悠里?」
「……別に」
「相河くん見てた?」
「見てないわよ」
「思いっきり見てたじゃん」
「生徒会長が話してたんだから見るでしょう?」
「ふーん?」
からかうような視線を向けられ、悠里は小さくため息をついた。
ただし。
彼女が考えていたことは、友人の想像とはまるで違っていた。
――生徒会長。
――成績優秀。
――スポーツ万能。
――女子からの人気も高い。
そして何より。
壇上から戻る途中、近くにいた女子生徒から声を掛けられても、俺は特別嬉しそうな顔ひとつしなかった。
「……なるほど」
悠里は小さく呟いた。
「何が?」
「なんでもない」
再び俺を見る。
そして――。
ほんの少しだけ、口元を上げた。
「……あの人なら、いいかも」
◇
それから数日後。
「会長」
放課後の生徒会室。
書類に目を通していた俺は、副会長の声に顔を上げた。
「何?」
「お客さんです」
「先生?」
「いえ。女子生徒です」
「また部活の予算?」
「違います」
「じゃあ要望書?」
「それも違います」
副会長が、妙な顔をしている。
「……何だよ」
「会長に、個人的なお話があるそうです」
「俺に?」
「はい」
嫌な予感がした。
この時期。
女子生徒。
個人的な話。
嫌になるほど経験がある。
「……告白なら帰して」
「たぶん、告白ではないと思います」
「なんで分かるんだよ」
「雰囲気が……そういう感じではないので」
「?」
意味が分からない。
俺は手にしていた書類を机へ置いた。
「誰?」
「神代さんです」
――神代?
聞いたことのある名字だった。
いや。
城南高校に通っていて知らないほうがおかしい。
「神代悠里?」
「はい」
「……俺、何かした?」
「それを私に聞かれても」
まったく心当たりがない。
同じ三年ではあるが、クラスも違う。
まともに話した記憶すらなかった。
「まあいい。入ってもらって」
「分かりました」
副会長が扉へ向かう。
そして。
生徒会室の扉が開いた。
艶のある長い黒髪。
まっすぐこちらを見る、印象的な紫色の瞳。
噂通り――いや。
噂以上に目立つ女だった。
神代悠里は、俺の机の前まで歩いてくる。
「相河くん」
「何?」
「あなたに、お願いがあるの」
初対面同然の女から、いきなりお願い。
しかもあの神代悠里。
ろくな話ではない気がする。
「……一応、聞くけど」
「ありがとう」
そう言って彼女は笑った。
綺麗な笑顔だった。
なのに。
なぜだろう。
背筋に、妙な寒気が走った。
この瞬間。
俺はまだ知らなかった。
目の前にいるこの女が。
平穏だった俺の高校生活を、とんでもない勢いでかき回すことになるなんて。
ただ――。
ひとつだけ分かったことがある。
俺の勘は、昔からわりとよく当たる。
そして今。
俺の中で鳴っていた警報は、間違いなく過去最大級だった。
春の穏やかな放課後。
桜の花びらが窓の外を舞う中で――。
俺は確かに感じていた。
嵐の予感を。
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