第7話 村長の治雄さん

天文台から集落への小道と畦道を抜けて、ひときわ大きな日本家屋までやって来た。村長の治雄(はるお)さんの家だ。


納屋と倉庫がある広い敷地には軽トラックが無造作に2台止まっている。


ここに来る途中、畑仕事や田んぼの手入れをしている村の人達に会っては、昨日のお礼を言った。

人口20名の村の住人は、既に全員が宇宙の名前を知っていた。

村の情報網は、時に国をも凌駕する精度とスピードを誇る。


会う人会う人に何らかのお菓子を貰った宇宙のポケットは既にパンパンになっていた。


「あ、せんせ〜!ソラ君も!」


納屋から何やら大きなプラスチックの籠を持って出てきた祭さんが声を掛けてきた。

今日は目が痛くなりそうなピンク色のツナギを着ている。

そう。実は祭さんは村長である治雄さんのお孫さんだ。


「祭さん。昨日はありがとうございました。大叔母もお世話になって…」


「いやいや!やめてよお礼なんて!ソラ君が迷子になったの私のせいだし!」


それはそうだなと思った。


「で、僕の大叔母は?」


「え?今朝早くに帰ってったけど?センセの所寄ってないの?」


「来てませんね…」


もう何も言う気はないけれど、あまりにも無責任じゃないか?と、ちょっとした怒りを感じた。

いや、もう別に良いんだけど…

良いんだけどさ!


宇宙がキュッと手を握ったのでハッと我に返った。

一度咳払いをしてから祭さんに聞いた。


「今日、治雄さんは?」


「お祖父ちゃん?いるよ!お祖父ちゃーん!」


祭さんが母屋に向かって叫んだ。


「おーう」


しゃがれた声の返事が聞こえた。


縁側の掃き出し窓が開いて、治雄さんが顔を出した。短く刈り込んだ頭は真っ白だが、眉毛は黒ぐろとしていて、皺が刻まれた面長の顔は、どこかニホンザルを思わせる。


「その子が先生の隠し子かい?」


「また。違うって分かってて言ってるでしょう?」


僕のため息交じりの返答に、治雄さんはヒヒッと笑い声をあげながら手招きした。


「ま、とりあえず上がんなよ」


          ◆◆◆


「そりゃ、なかなかに大変な事になったもんだねぇ〜」


縁側に座って一通りの説明とお礼を終えた僕に、麦茶を勧めながら治雄さんが言った。

麦茶を一口飲んでから、僕は聞いた。


「で、僕が住まわせてもらってるあの宿舎なんですけど、家族と暮らすなら許可がいるとか、そういう決まりはあるんでしょうか?」


「さぁ〜?知らねぇーなぁ」


村の長と書いて村長は、僕の質問への答えを堂々と放棄した。


「そのあたりの事は海舟(かいしゅう)に聞いた方が良いだろう。今日も役場にいるから行ってみな」


首にかけた色褪せた青いタオルで額の汗を拭いながら、治雄さんはプチっと鼻毛を抜いた。


治雄さんが“海舟”と呼んでいるのは役場の勝(かつ)さんの事だ。

かの幕末偉人からとった渾名で、僕以外の村の全員から“海舟さん”と呼ばれている。

そして恐らく勝さんの本当の下の名前を、村の誰一人として覚えていない。


「分かりました。行ってみます。これからよろしくお願いします。」


僕は立ち上がってお辞儀をすると、庭で祭さんと地面に絵を描いて遊んでいた宇宙に呼びかけた。


「宇宙!行くよ!」


宇宙はすぐに枝を放って僕のところに走ってきた。


「へぇ~聞き分けの良い子だねぇ〜」


治雄さんが感心したように言った。


「祭がそれ位の歳の頃は、毎日言う事も聞かずに走り回って擦り傷だらけだったもんだ」


「そんな事ないよ!」


治雄さんの言葉に、いつの間にか側に来ていた祭さんが反論した。


「いーや。お前は聞かん子だったよ。勝手に山に入って遭難したこともあったろ?」


治雄さんの言葉に祭さんは頬を膨らませた。

「そんな事ない」と言い返さないあたり、本当に遭難しかけた事があるんだろうな…と思った。


「じゃあ、ありがとうございました」


宇宙と手を繋いで、僕はもう一度頭を下げた。

歩きだそうとすると、治雄さんに呼び止められた。


「先生!この村じゃあな、子供は皆の子供なんだ。だから何かあったら皆を頼りな。どうせ暇してる爺と婆共だ。遠慮するこったない」


サンダルを突っかけて見送りに出てきてくれた治雄さんは、宇宙に紙パックのリンゴジュースを手渡して頭を撫でた。


宇宙は「ありがとう」と言葉にこそしなかったが、紙パックを両手で持ってペコリと頭を下げた。


僕もお礼を言って、もう一度宇宙と手を繋ぐと、今度こそ役場に向かって歩き始めた。

宇宙はリンゴジュースのパックを見て、嬉しそうに笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る