第20話 竜の心臓ではない音
「鎧角竜だ!」
警備の女性が叫んだ。
深い階層に棲む、翼のない竜。肩が家の軒ほどもある。足が下りるたびに石畳が割れた。
俺は横から脚を狙ったが、前脚が浮くより先に太い尾が回ってきた。剣を引いて伏せる。頭の上を、荷車の破片が飛んだ。
「ここじゃ、店まで壊れる!」
セナが竜と建物の間へ氷の壁を延ばす。
俺は空いた方へ走った。救護所とは反対、川沿いの石材置き場だ。警備の女性が先回りし、働いていた人たちを裏門から逃がしてくれた。
「中にはもういない! 巻き上げ機に、石が残ってるから!」
俺は短く礼を返し、積まれた石の間を抜けた。
四本の太い支柱の上に梁が渡され、吊り鎖が下がっている。鎖の先では、大きな建材が地面から少し上がったまま止まっていた。横には石を運ぶための、浅い溝がある。
竜は支柱ではなく俺を追い、石の山へ肩をぶつけた。
胸の黒い結晶が四度鳴る。竜の首が下がる。
「横へ!」
ミアが斜めの壁を出した。
角が結界を滑り、俺の脇を抜けた。白い角の先が積み石へ刺さる。砕けた石が膝を打った。
俺は竜の横腹へ回り、甲殻の縁へ剣を当てた。
四度。四度。
胸から来る震えが強すぎて、その奥を聞けない。
「セナ、胸の石を狙えるか!」
氷槍が黒い結晶へ当たった。
砕けたのは槍だった。竜が身をよじり、俺は石へ肩からぶつかった。
ミアが腕をつかんで引き起こす。
「立てる?」
「立てる。あの音を、止めたい」
胸の黒い塊が、ひときわ強く光った。
ミアが俺の腕へ光を当てる間、セナは置き場の街側を氷で塞いだ。
川の方は開けてある。竜を閉じ込めて受け止めるのではなく、壊されても人のいない方へ力を逃がす。
「吊ってある石、もっと上げられる?」
セナが警備の女性に聞いた。
「巻き上げ機は動く。けど、頭の上を通すなら時間がいる!」
「今は上げるだけでいい。裏へ回って」
女性は残っていた荷役係と、支柱の陰へ走った。
鎖が動き始める。俺はその音と竜の爪を聞き分けながら、角が石から抜ける前に横腹へ寄った。
黒い結晶の根元には、細い筋が皮膚へ食い込んでいる。
魔物の核を抜けば守護者は止まった。あれも同じだろうか。
「表面じゃなく、下から剥がす。もう一度だけ、向きを変えてくれ」
「右へ走って!」
俺が石の列を抜ける。
セナの氷が通路を狭め、竜が肩を傾けて追ってきた。大きな体が石をこすり、胸の結晶が少しだけ俺へ近づく。
ミアが俺と角の間へ壁を出す。
「今なら!」
俺は黒い塊の縁へ剣先を差し込んだ。
柄が暴れた。指が弾かれそうになる。
四つの脈動が、腕から頭の中へ上ってくる。これほど強く鳴るものが、体の中心でないはずがない。
俺は、竜の心臓の位置を見つけたつもりで、もう一歩踏み込もうとした。
「その音は、竜の心臓じゃない」
耳のすぐ奥で、セナが言った。
今の彼女は、竜を街側へ行かせないように杖を構えていた。襟元の晶が光り、六つ目の窪みが白くなる。
俺は踏み出しかけた足を戻した。
角がミアの壁を滑る。さっきまで剣を差していた場所へ、竜の顎がぶつかった。
「どうした!」
「胸じゃない。別の音を探す!」
俺は横へ回り、甲殻へ共鳴剣を押し当てた。
胸の四拍を追わない。その奥。
すぐには分からなかった。爪が石をえぐるたび、柄が跳ねる。自分の指がしびれ、握り直したくなる。
それでも刃を離さずにいると、不揃いな鼓動が一つ現れた。
前脚の後ろ。結晶とは違う位置で、速くなったり、間が詰まったりしている。
胸の四拍は、竜が息を詰めても変わらなかった。
「あの石は、こいつ自身の音じゃない!」
剥がれかけた結晶の縁から、小さな欠片が落ちた。
足元で、四度鳴った。
俺は欠片を蹴り、竜の胸から離した。次の四拍は、別々の位置からぴたりと重なった。
昼間拾った黒い結晶も、同じだった。
「セナ、外へ落ちても鳴る。心臓は別にある!」
「じゃあ、体に付いてる筋は?」
「まだ分からない。切って、反応を見る!」
ミアが壁を引き直した。俺が使えるのは、竜の首がそちらへ向いている間だけだ。
胸の筋は、四拍目で膨らみ、その後に少し細くなる。
俺は間が空いた瞬間に一本を斬った。
黒い光が散る。
竜の右脚が、初めて四拍より遅れて動いた。
「体を動かしてる。外から、無理に!」
セナが俺の言葉を聞き、氷を狙う場所を変えた。
脚ではなく、胸から伸びる細い筋だった。
セナの氷が黒い筋を挟んだ。
体全体を止めるより、ずっと細い魔法だった。俺は四拍目の終わりを聞き、凍った筋へ刃を通す。
二本。三本。
結晶の上側が剥がれ、重みで下の筋まで引き伸ばされた。
竜が頭を振る。ミアの壁がひび割れた。
「もう一度、同じのは受けられない!」
「離れる!」
俺は最後の太い筋へ剣を引っかけ、退きながら斬った。
黒い塊が石畳へ落ちた。
竜の脚がよろける。だが、倒れない。
結晶も、鳴りやまなかった。
四拍のたびに、路地の向こうで魔物の爪音が揃う。
「こいつを倒すだけじゃ、群れは止まらないのか!」
俺は竜と結晶を見比べた。
巨体を動かしていた筋は切れた。残る石が、街へ別の合図を出している。
竜は傷ついた胸をかばい、今度は自分で俺へ頭を向けた。前脚を寄せ、低く息を吸う。角で突く構えだった。
「カイル、右へ!」
セナの声で飛び退いた。
竜は俺のいた場所を角でえぐり、そのまま石の列へ突っ込む。
怖い。だが、今の息は聞こえた。外からの四拍に無理に動かされていたときとは違う。
吊り鎖の音が止まった。
「石、上がったよ!」
支柱の陰から、警備の女性が叫んだ。
頭上へ持ち上げられた建材は、竜の首よりも幅がある。
俺はその下の浅い運搬溝を見た。両側に石が積まれ、竜の体では横へ曲がれない。
「セナ、あの黒い石を溝へ。吊り石の真下に滑らせてくれ!」
彼女は俺の見ている場所を追い、短くうなずいた。
結晶の下へ氷の板が入り、重い塊を滑らせる。
俺はその先へ走った。
「ミア、街へ石が飛ぶ方を頼む。竜は、俺が連れてくる!」
吊り石の下で、黒い結晶が鳴っていた。
俺はそれを越え、運搬溝の奥へ立った。
右には積み石。左には荷車を出すための狭い隙間がある。人一人なら通れる。竜の肩は通らない。
「ここだ!」
俺は剣の鍔で支柱を打った。
竜がこちらを向いた。前脚が地面を掻く。胸の傷から、黒い粉が落ちた。
ミアの結界が石材置き場の街側に立つ。俺を包む壁ではない。向こうには、救護所へ戻る人と、群れを止めている警備隊がいる。
セナが巻き上げ機の横へ回った。
「いつでも落とせる!」
石を支える止め金へ、細い氷が絡みついている。
俺は竜から目を離さなかった。
息が止まる。脚の裏へ力が集まる。
来る。
四つの脈動より小さな、竜自身の息を聞いて、俺は左足へ重さを移した。
竜が突っ込んできた。
白い角が目の前へ迫る。俺は積み石の間へ横跳びした。
外套が角の先に引っかかり、体が戻される。
喉が締まった。
留め具を外すより先に布が裂けた。肩が軽くなり、俺は隙間へ転がり込んだ。
すぐ脇を巨大な頭が通る。
「落とせ!」
セナが杖を引いた。
氷が止め金を抜く。巻き上げ機の輪が空転し、鎖が凄まじい音を立てた。
竜はまだ前へ進もうとしていた。
吊り石が、その首の上へ落ちた。
地面から衝撃が突き上げた。
石と甲殻が一緒に割れた。押し伏せられた顎の下で、黒い結晶が砕ける。
破片が街側へ飛び、ミアの壁に当たって置き場の中へ戻った。
俺は両腕で頭をかばった。
細かい石が背を叩く。息を吐くたび、口へ粉が入った。
鎖が揺れていた。
竜の後ろ脚が一度石を掻き、止まった。
俺はゆっくり顔を上げた。
四つの脈動は、聞こえなかった。
さっきまで密集していた爪音が、通りの向こうでばらばらに離れていく。
「群れが引くぞ!」
警備隊の声がした。
まだ何匹かは残っている。だが、同じ方へ押し寄せる足並みは崩れ、開けた退路へ逃げ始めていた。
俺は壁へ手をつき、立とうとした。
膝が上がらない。
ミアが積み石の間へ入り、俺の両腕を確かめた。
「立たなくていい。首、苦しくない?」
「今は、大丈夫」
「じゃあ、手を開いて」
指が剣の柄から離れなかった。ミアが一本ずつほどいてくれる。
セナは俺の前へしゃがみ、裂けた外套を握った。
「脱げばよかったのに」
「追いつかなかった」
「服じゃないわよ。あなたの首が心配だったの」
俺は返事の代わりに、彼女の背へ手を回した。
石の粉で髪がざらつく。セナの腕が、遅れて俺の背へ回った。
「帰って、お風呂ね」
「ああ」
支柱の向こうで、巻き上げ機を動かしてくれた女性たちが互いの肩を叩いていた。
受付の女性が置き場へ走ってきて、俺を見つけた。
「カイルさん!」
俺は顔を上げた。
「西坑口の方も、全員戻りました。あなたたちが通した道で」
セナが俺を抱く力を、少し緩めた。ようやく息が深く吸えた。
俺はそのまま地面へ座って、何度もうなずいた。
* * *
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