第16話 これは今の私の話だから

 祭りの日、セナとは広場で待ち合わせた。

 同じ家から出るのに、と俺が言うと、彼女は少し困った顔をした。


「別々に来た方が、それらしいでしょう」


 それらしい。

 何に、とは聞けなかった。


 俺は早めに家を出て、広場の時計を三度見た。

 通りには焼き菓子の匂いが漂い、屋台の呼び込みが重なっている。今日は誰かを探すために耳を広げる必要はない。

 鐘が鳴る前、噴水の向こうからセナが来た。


 薄い青のワンピースに、白い短い上着。

 いつも後ろへまとめている髪が、肩に沿って下りていた。


 俺は、用意していた言葉を忘れた。


「……待った?」

「少しだけ」

「そこは待ってないって言ってもいいのに」

「早く来たのは俺だから」


 セナが笑った。

 その顔を見て、ようやく言葉が出た。


「似合ってる」


 彼女は上着の裾へ触れた。


「未来の私にも、そう言われた?」

「言われてない。俺が今思った」


 笑顔が、少し違う形になった。

 頬を隠すように髪を耳へかける。


「なら、よかった」


 人が流れてきた。

 俺は道の端へ寄り、手を出した。

 セナが一瞬それを見て、自分の手を重ねる。


 戦闘で引き起こすときより、ずっと軽く握った。

 それなのに、指先が気になって仕方ない。


「どこから行く?」

「りんご飴」

「迷わないな」

「あなたは?」

「その後、肉の串焼き」


 セナが声を立てて笑った。

 俺たちは屋台の列へ入っていった。


     *


 射的の屋台には、布でできた小さな鳥が並んでいた。

 セナが白い鳥を見て足を止める。


「欲しいのか」

「ちょっと、顔がいいと思って」


 丸い目が片方だけ少し斜めに付いていた。

 確かに、妙に自信のある顔をしている。


 俺は木の銃を借りた。

 剣とは握りが違う。銃口を的へ向け、引き金を引く。

 外れた。


 セナが隣で口元を押さえた。


「聞けば当たるわけじゃないのね」

「的が動かないからな。得意分野じゃない」

「動かない方が難しいの?」


 二発目も端へ外れた。

 俺は銃を下ろし、台の曲がりを見た。銃そのものが少し右へずれている。

 左を狙う。

 三発目が的の中央へ当たった。


 屋台の女性が、白い鳥を渡してくれた。

 セナへ差し出すと、彼女は両手で受け取った。


「ありがとう」

「思ったより高くついた」

「大事にするわ。高級な鳥だから」


 次はセナが輪投げをした。

 俺が目で追っていた研磨布の包みへ、最後の輪を見事にかける。

 彼女は包みを俺の胸へ押し付けた。


「お返し」

「見てたのか」

「あなたの買い物の顔、分かりやすいもの」


 通りの端で、楽団が演奏を始めた。

 人々が輪になって踊る。


 セナがそちらを見た。

 俺は手に持った研磨布を袋へしまい、もう一度手を出した。


「足を踏んでも怒らないなら」

「二回までね」


 一回目は、俺が踏んだ。

 二回目はセナだった。

 彼女は何もなかった顔で踊り続けたので、俺も何も言わず、その手を少しだけ強く握った。


     *


 広場を離れると、川沿いは静かだった。

 橋から下がる灯りが水面で揺れ、遠くに楽団の音が残っている。


 セナは白い鳥を袋から出して、橋の欄干へ座らせた。


「落とすなよ」

「分かってる」


 片手で鳥を押さえたまま、彼女は水を見ていた。

 俺も隣へ並ぶ。


 楽しかった、と言いたかった。

 今日だけでなく、家で飯を食うことも、迷宮で彼女の氷を待つことも。

 だが、その全部を一度に説明しようとすると、うまく言葉にならない。


「また二人で来たい」


 結局、そう言った。

 セナがこちらを向く。


「私も」


 そこで終わらなかった。

 彼女は鳥を袋へ戻し、両手を空けた。


「カイル。先に言っておきたいことがあるの」

「ああ」

「未来の私が、どんなことを言っていたとしても」


 セナの指が俺の袖をつかんだ。


「これは今の私の話だから」


 青い目が、まっすぐ俺を見た。


「好きよ。相棒だから、だけじゃなくて。休みの日も、帰ってからも、あなたと一緒にいたい」


 俺は袖をつかむ手へ、自分の手を重ねた。


「俺も好きだ」


 思ったより、簡単に言えた。

 言った後で、耳まで熱くなった。


「今日誘ったのも、そのつもりで……いや、そう言えばよかったんだけど」

「分かってた。少しだけ」

「少しか」

「期待して、違ったら困るでしょう」


 セナが笑った。

 俺は彼女へ一歩近づいた。逃げずに見上げてくる。


「キスしていいか」


 セナは小さくうなずいた。

 唇が触れる。りんご飴の甘さが、ほんの少し残っていた。


 離れると、彼女は俺の外套へ額を寄せた。


「思っていたより、恥ずかしいわね」

「俺も」

「慣れるのかしら」

「……慣れるまで、付き合ってくれ」


 セナが肩を震わせて笑った。

 それから自分の方から、俺の手を握り直した。


* * *


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