第4章 今の私の話

第14話 彼女の欲しいもの

 セナが一枚の絵を食卓へ置いた。

 第三十層の天空庭園に生える、氷冠草。葉の先に魔力を蓄えた結晶ができる植物だという。


「これを杖の芯へ足せば、氷を細く、遠くまで作れるの」


 彼女は指先に小さな氷を出した。

 花のような形になりかけ、最後の一枚で崩れた。

 セナは眉を寄せ、残った五枚もすぐに溶かした。


「今の、五枚でもきれいだったぞ」

「六枚のつもりだったの」

「一本くらいそういう花があっても」

「だから、そういう花を作っていたんじゃないのよ」


 もう一度、指先に白い光が集まる。

 俺は彼女がさっき置いた杖を、机から落ちる前に受け止めた。本人は花の方に夢中で、俺が膝へ戻して初めて気づいた。


「大きな塊なら今でも作れる。でも、狭いところに欲しい形だけを作るのは難しい」

「石像の関節みたいな場所か」

「そう。もっと早く狙えるようになる」


 ミアが絵を手に取った。


「庭園の守護者がいるわね。素材だけ取って帰る場合も、追われる可能性があるって」

「準備していく。私、この杖をちゃんと使いこなしたい」


 セナが膝の杖を握り直した。

 飾りの少ない、白い木の杖だった。初めて会った日から使っている。握る部分だけ、色が少し濃い。


「買い替えないのか」

「手に馴染んでるから。旅へ出る前、自分で選んだの」


 俺は自分の剣へ目をやった。

 値段ではなく、合うものを選べと言った彼女の理由が、少し分かった。


「行こう。お前の杖を強くして、俺の剣を楽にしてくれ」

「私が全部倒しても、文句を言わないでね」

「荷物持ち代はもらう」


 セナが笑った。


 準備を買いに市場へ行くと、祭りの飾りが通りへ渡されていた。

 窓に並ぶ服の前で、セナの足が一度だけ遅くなる。

 俺も止まりかけたが、彼女はすぐ歩き出した。


「今日は防寒具」

「分かってる」

「帰ってからなら、付き合ってもらうけど」


 何に、と聞かなくても分かった。

 俺は祭りの飾りが揺れる音を聞きながら、少し先の約束を覚えておいた。


     *


 第二十七層へ下りると、強い風が吹いていた。

 地面から浮き上がりそうな横風だ。岩の突起に縄をかけ、三人で体を低くして進んだ。


 景色はよく見える。

 しかし、耳の中では岩にぶつかる風、遠い羽ばたき、砂の流れる音が全部混ざった。


 俺は足を止めた。


「右で何か……いや、待って」


 岩の陰を回った風が、別の場所から同じ音を運んでくる。

 幻の獣とは違い、必要な音まで風にちぎられていた。


 セナが俺の背へ手を置いた。


「いったん岩陰へ入ろう」


 ミアの結界が風を分けた。

 薄い板を真正面に置くのではなく、斜めに並べて受け流している。二人のすぐ後ろへ入ると、耳が少し楽になった。


 俺はしゃがみ込んだ。

 自分が先に進めないことが、思ったより悔しかった。


「ここなら聞ける」

「だったら、ここから探して」


 セナは責めずに、先の地形を地図へ写した。


「右の道は細い。左は遠回り。どう?」


 目で見える範囲を教えてもらい、その二つだけを比べた。

 右では、一定の間隔で砂が落ちている。岩盤の裏が崩れかけているようだった。

 左は風が弱い。


「左にしよう」


 進んでしばらくすると、背後で岩が崩れた。

 振り返ると、右の細道が半分消えていた。


 ミアが俺の腕を軽くたたいた。


「止まってよかったね」


 俺はうなずき、縄を持ち直した。

 先頭を歩くために、いつでも一番早く決める必要はないらしかった。


     *


 風の弱い休息所を見つけ、俺たちは半日を練習に使った。

 セナが氷片を三つ、違う場所へ落とす。

 俺は一つだけを追う。


 最初は風に気を取られ、次はミアが鍋を置く音を追ってしまった。


「ご飯への集中力は立派ね」

「鍋がでかいんだよ」


 セナは氷を一つだけに減らした。

 俺のすぐ前へ落とす。拾って、少し遠くへ。また拾って、今度は岩の向こうへ。


 距離が伸びても、氷が割れる音の輪郭を覚えていれば追えた。

 風はその外側にあった。


 何度目かで、俺は目を開いたまま位置を言えた。


「右の平たい石」

「正解。じゃあ、次」


 ミアが横から木片を落とした。

 音の種類が違う。俺はそちらを追わず、氷だけへ意識を戻した。


 うまくいった。


「今、何を聞いてた?」

「氷が落ちた音」

「その前に、私が夕飯のおかずを聞いたんだけど」


 セナが腰に手を当てていた。


「必要な音だけ聞けって言っただろ」

「夕飯は必要でしょう」


 反論できなかった。


 その夜は、干し肉と豆の煮込みになった。

 鍋を待つ間、セナが指先に小さな氷の花を作る。昨日より花弁が細く、最後の一枚まで崩れなかった。


「できてる」

「近くだからね。遠くにも作れるようにしたい」


 彼女は小さな花を俺へ渡した。

 指先でゆっくり溶ける。


「もったいないな」

「何度でも作るわよ」


 俺は溶け切るまで、花を手に載せていた。


* * *


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