第12話 見える方じゃない。聞こえた方を斬って

 試験官は背の高い女性だった。

 試験官自身が第三者として危険を止められる距離で同行するが、基本的には手を出さないと告げた。


「撤退の判断も見ます。討伐だけが仕事ではありませんから」


 俺たちは荷物を確認し、第二十五層の試験区画へ入った。

 石柱の多い広場だった。壁面には鏡のような鉱石が埋まっている。

 入口近くの柱には、途中で折れた矢が残っていた。隣の壁には、同じ高さに槍の突き跡が三つ並ぶ。

 どれも、魔物ではなく石へ当たった跡だ。


「幻をまとめて攻撃する組もありますが、ここでは柱を崩すと退路が塞がります」


 試験官は俺たちの後ろの入口を示した。


「あなたたちがどんな方法を選ぶか、見せてください」


 試験官が、俺の牌を見た。


「《聞き耳》。この相手を選んだ理由は?」

「見た目に惑わされずに戦えるか、確かめたかったからです」

「なるほど」


 珍しい能力ですね、とも、補助向きですね、とも言われなかった。

 今、何ができるかを見られる。

 その方がありがたかった。


 セナが杖の留め具を締め直す。

 ミアが水筒を俺へ渡した。


「飲んで。口が乾いてる」

「声で分かったか」

「唇を何度もなめてたから」


 俺は一口飲んだ。

 セナが隣へ立つ。


「私が動きを止める。あなたが本物を探す」

「いつもどおりだな」

「ええ。試験官が見ていること以外は」


 柱の奥で、蹄が鳴った。

 甲高い音が二度、離れた場所から返ってくる。


 俺は剣を抜いた。

 白い獣が、右の柱の陰から現れた。

 左にもいた。

 正面にも、同じ角が見えた。


 三頭の白い獣が、同時に走った。

 鏡のような殻が光を返し、どれも同じ場所に同じ傷がある。


 蹄の音は一つ。

 右だ。


 俺は右へ剣を向けた。

 その瞬間、音が左から返った。

 セナの氷が俺の横へ突き立ち、白い角を押し上げる。


「左!」


 俺は転がって避けた。

 右に見えていた獣は、俺の体をすり抜けて消えた。


「反響をずらしてる」


 壁の鏡鉱石が、強い音を跳ね返していた。

 幻には足音がない。だが、本物の足音が別の場所から聞こえる。

 音がする方へ振ればいいというだけでは、勝てない。


 ミアが結界を出し、俺とセナが体勢を立て直す時間を稼いだ。

 獣は壁を蹴って走る。四本の脚が異なる面をたたき、音が入り乱れた。


 俺は剣先を床へ当てた。

 直接の震えなら、壁の反響を経ない。

 だが、獣が跳ぶたびに途切れた。


「床にいる間しか追えない」

「だったら、跳ばせない?」


 セナが柱の間へ氷の梁を渡した。

 飛び上がった獣の背が梁へ触れる。薄い氷だったので、すぐ砕けた。

 それでも着地の位置は変わった。


 俺は低く構えた。

 踏み込んだ蹄が床へ触れた瞬間、共鳴剣を持ち上げる。

 刃が肩の殻をかすめた。


 細い赤い線が残る。

 獣が、初めて俺から距離を取った。


 血の線は、次に幻像が現れたときには全部の肩に付いていた。


「見た目も写せるのね」


 セナが小さく舌打ちした。

 獣は俺たちの周囲を回り、時々だけ本体で踏み込む。

 俺が音を探す間に、目が勝手に白い影を追ってしまう。


「カイル。柱を背にして」


 ミアが指したのは、壁際の太い柱だった。

 近づくと、左右と正面の三方向へ注意を絞れた。背後には硬い石がある。


 セナは床へ薄い氷を広げた。

 本物だけが割る。

 そう思ったが、獣は氷を避けて柱の台座へ着地した。


「賢いな、こいつ」

「褒めるのは倒してから!」


 幻が正面から迫る。

 俺は刃を出しかけて止めた。

 息が聞こえない。


 左上で、短く鼻を鳴らす音。

 俺は頭を下げた。角が柱を削り、白い体が横を抜ける。


 呼吸だ。

 蹄より小さいが、跳んでいる間も途切れない。


「セナ。目印はもういらない。胸が動く音を探す」


 彼女は一度俺を見て、氷を広げるのをやめた。

 杖を短く持ち直す。


「分かった。止める場所だけ言って」


 俺は目を伏せた。

 左の肩口がじんじんした。袖は破れている。さっき柱がなければ、同じ場所を角で深く裂かれていた。

 次は、逃げる方向を当てるだけでは終わらせない。

 灯蛾の翅を追ったときと同じように、一つの音だけを選ぶ。

 足音でも、角が柱へ当たる音でもない。

 生きている獣の、短い息。


 獣が息を吸った。

 次に踏み込む瞬間だけ、腹が硬く縮む。空気が喉を細く抜ける。


 右奥。


 俺はそちらを向いた。

 目を開いた途端、正面に白い角が見えた。

 腕が迷う。


 そのとき、セナの声がした。


「見える方じゃない。聞こえた方を斬って」


 すぐ横ではない。

 耳の内側へ細く届く、あの声だった。


 俺は視線を捨て、右へ踏み込んだ。


「右、低く!」


 今のセナが魔法を放った。

 氷が膝ほどの高さを走る。獣がそれを越えようとして、息を止めた。

 着地する場所へ、俺はもう刃を置いていた。


 白い殻が割れた。

 跳ね返る手応えではない。刃が肉を通り、熱いものが手へ散る。


 獣が絶叫した。

 幻が一斉に揺れた。

 それでも本体は倒れず、傷ついた脚を引いて後ろへ跳んだ。


 俺は追わなかった。

 急いで仕留めようとすれば、また影へ踏み込む。


 ミアが俺の腕に手を触れ、浅い切り傷をふさいだ。


「あと一歩ね」


 セナは晶を見ず、獣を見ていた。


「今、何か聞こえたんでしょう」

「ああ。でも、次は分かる」

「じゃあ、その一歩を作るわ」


 俺は握りを直した。

 目の前には、また三頭がいた。

 だが、怖さは少し薄れていた。

 聞くべき音を、もう一つ知ったからだ。


 セナは氷を増やさなかった。

 獣が着地する場所だけに、小さな突起を作った。

 避ければ、そこへミアが短い結界を置く。

 左右へ逃げる道が、一つずつ減っていく。


 俺は前へ出た。

 わざと、右肩を下げる。


 獣が踏み込んだ。

 正面の幻が先に飛び、本体は少し遅れて左から来る。

 息を吸う音が、近づいた。


 俺は左足を引き、剣を体の内側へ構えた。

 白い角が袖を裂く。

 避けすぎない。届く距離に残る。


「今!」


 セナの氷が後ろ脚へ巻き付いた。

 獣の上体だけが前へ流れ、傷ついた殻の下が開く。

 俺は肩から腰まで、一息に斬り抜いた。


 俺は床に膝をついた。

 獣は俺の横を滑り、柱の手前で倒れた。

 鏡の殻から光が消える。最後まで立っていた幻が、雪のようにほどけた。


 俺は耳を澄ませた。

 荒い呼吸は自分のものと、セナのものだけ。ミアがこちらへ歩く音。試験官の靴が近づく音。


「討伐を確認しました」


 試験官は魔物を調べ、俺たちへ向き直った。


「途中で見方を変えた判断がよかった。聞こえるものを全部信じず、必要な音を選びましたね」


 試験官は入口の柱を見た。抜けなくなった矢の先で、割れた鏡鉱石が光っている。


「二頭分の幻を残したまま、本体だけを倒した。私には最後まで、どちらへ踏み込むか分かりませんでした」


 俺は倒れた獣を見た。少し前には、灯蛾一匹の前でさえ、目を開けて網を外していた。

 握っている剣には、今、確かな重さがあった。


 俺はうなずいた。

 肩が痛かった。脚も震えている。


 セナが手を出した。


「立てる?」

「立てるけど、借りる」


 彼女の手を握った。ミアが反対側から腕を取る。

 引き上げられると、急に笑いが出た。


「やったな」

「ええ」


 セナも笑っていた。

 試験官が何か記録していたが、そのときの俺には、二人の顔を見る方がずっと大事だった。


* * *


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