3


 翌週の朝は少し肌寒かった。


「姉さん、もう8時だよ。早く起きないと遅刻する」


規則正しい寝息をたてる姉、美影の肩を揺すった。何度か揺すると大きな欠伸をして姉さんは上半身を起こした。


「ふぁぁ……おはよ、奏多」


 欠伸をして、涙を浮かべている。実にみっともない。


「起きたならその酷い顔を何とかしてきなよ」

「奏多ー美影は起きたー?」


 母親の声だ。いつまで経っても起きない姉さんを起こせと命じた張本人。


「今起きた」

「なら早く食べて」


台所の母が朝食を急かす為に大きな声で言った。


「だってさ。遅刻したくないなら早く準備することだね。じゃあ僕はお先に」

「あ、ちょっと奏多!」


呼び止める姉さんを無視してか僕は朝食を食べに向かった。


「まったく……いつになっても変わらないなぁ、私の愚弟は」


 何か言っているが無視だ。

僕はそそくさと朝食の肉じゃがパンを食べ終えた。

誰が買ってきたのか分からないが、舞鶴の隠れた名物だ。

驚いたことに、裏のシールに商品名が菓子パンと書かれていた。

確かに甘かったが、まさか菓子パンだったとは。


 化粧をし終えた姉さんが朝食の席に着く頃、僕は家を出た。歩くこと約十分。僕の通う「東舞鶴高等学校」に到着した。

この季節は合服姿の生徒とブレザーの生徒が混在しており、統一感のない風景で不快だ。

そんな不快な景色に溶け込むようにして前に進み、2年B組の教室まで進んだ。教室に入ると時刻は既に8時25分。

SHRの5分前だというのに教室にいる生徒は少ない。

いつも通りだな、と見下すように心の中で呟いてから自席に腰を下ろした。


「おはよう。お早いご登校だこと」


隣の席に座る梓弥生が、文庫本を片手に言った。


「おはよう。皮肉か、梓」


 5分前登校は何も早くない。むしろ遅い。

京都人の言葉を素直に受け取ってはいけない。

余談であるが、噂によると、舞鶴出身者が京都出身というと、京都人は顔をしかめるらしい。


「さぁね」


 梓は適当に返事しながら文庫本をめくった。


「ワケの分からん奴だな」


 相手にするだけ無駄そうなので、授業の準備をする。

1限目の数学の教科書とノートを鞄から出した。


「あっそ。ならそれは冴羽の国語能力が低い証拠だね」


梓はため息を吐いて文庫本を栞も挟まずに勢いよく閉じた。

梓の言葉の意味を理解できない僕への怒りをぶつけている様だ。


「やめろ、梓。文庫本に罪はない」


 本は大事にしてほしい。


「どうだが。ある意味……一番の凶悪犯、なんだけど」


 含みある言い方だ。ちょっとは思考回路を回して見る。


「さっぱり分からんが…‥?」


 やっぱり相手にするだけ無駄だ。


「じゃあ瑠璃にでも聞けば?」

「何故にそこで南川が出てくる」


 ほとんど脊髄反射で会話をしている。

頭の中は、今日読む本のことを考えていた。気分的にはミステリーだ。


「それを察せないあたりを鑑みるに、一生かけても分からないだろうね」

「分かるように説明できないのも、国語能力の低い証拠だということを教えてやろう」


 積み読が多いので、消化していきたいのだが、どれを読もうか迷っているうちに夜が来てしまう。特にミステリーはストックが多い。


「開示できる情報は全て含めた上で話したよ」

「ならばほぼ開示できていないということだな」


 梓の話はほぼ脳まで到達していない。適当にあしらっている状態だ。


「あんた、めんどくさいね」


 だけど、めんどくさいと言われたのだけは脳に届いた。

その瞬間、頭の中に梓の言葉が巡りに巡る。


「何故だろうな。君以外に言われても何とも思わないのに、君に言われると無性に腹が立つ」


 口ではこう言ったが、理由はなんとなく分かっている。


「何故か教えてあげようか?」


 だからわざわざ教えてもらう必要はない。


「大体予想はつく」

「なら答え合わせはいらないかしら?」


 梓は僕をイラっとさせたいのだろうが、簡単には乗せられてやらない。


「予想というものは回答を見るためにあるんだぞ」

「……あんた捻くれてるわね。分かり辛いにも程があるわ」


 一瞬、梓の動きが止まった。きっとイラっとしたに違いない。


「それは君の国語力の低さを愚直に表しているんじゃないか?」


 畳み掛ける。


「勝手に言ってなさい」


 ほらほら、苛立ちが声に宿り始めた。


「勝手に言っているだろう」


梓は見るからに不機嫌そうに顔を背けた。どうやら僕の勝ちみたいだ。


「どうやら〝同族嫌悪〝しているのは君の方だったらしいな」


 視線は教科書に向けたままで、トドメを放つ。僕は心の中で勝ち誇るようにガッツポーズをしたやった。

梓に届くことは無いガッツポーズを、だ。

それくらい梓には普段からイラつかされている。


「あーもう! うっさいわね」


 売れた苺の様に顔を真っ赤にする梓。


「許せ。昨日のミルクティーの代金だ」


 苛立ちが収まるとも思えないが、一応謝罪をしておく。


「やな性格してるわね、あんた」

「誉め言葉として受け取っておこう」


こうして毎日の梓と僕の駄弁は終幕した。

タイミングを見計らっていたかのように担任が入室してきたからだ。


「ん? 今日はえらく人が少ないな。まぁいい。出席をとるぞ」


教師は手短に出席をとり、SHRを始めた。それからの午前中の授業は真面目に聞きながら過ごした。


昼休み、僕の居場所はいつもと同じ屋上。昼休みに入って15分が経過したというのに、珍しく今日は梓が姿を見せていない。

心配なんかしていない。

大方朝のアレが原因だろう。静かな昼休みを過ごせてラッキーだ。

そう思っていたのに、代わりに姿を見せたのは梓の親友、南川瑠璃だった。

扉を開け、できた隙間から南川の青い髪が見える。


「おっ、いたいた」


南川は僕の姿を目に留めるなりそう言い、ゆっくりと近付いていた。

僕は未だに南川の姿を見ると、あの日を思い出して心拍数が上がってしまうのだ。


「そ、その言い方から察するに……僕を探していたのか……南川」


苺ミルクのストローを噛みながら答えた。

めちゃくちゃ動揺して、噛み噛みだ。


「前から言ってるだろう? ボクのことは瑠璃でいいって」

「それで、何しに来たんだ?」


 南川の言葉にドキッとしたが、それを見せないように返事してやった。

どうやら南川の方はもう何とも思ってないらしい。ありがたい限りだ。


「探してるんだ、弥生のこと。見てない?」

「梓? 僕は見てないが……購買には」


言い終わる前に失言だったと気づいた。


「いや、聡明な君が確認していないわけがないな」

「お褒め頂きどうも。奏多くんに聡明なんて言われても嬉しくないけどさ」


 嫌味かそれは。


「一言余計だ」

「そんな事より弥生の居場所に心当たりない?」

「僕が知っているとでも?」


 南川の前だが、お構いなしに文庫本を開く。


「そう思っているから聞いてるのだよ」

「残念ながら知らない」


 栞を挟んでいたページを開き、続きを読み始める。


「そうなの? なんかいっつも昼休みに二人でいるからてっきりそういう仲なのかと」

「連絡先すら知らねぇよ」


 南川の目的は既に達成されているか、雑談を投げかけてくる。

そういう仲ってどういう仲だよ。互いを罵り合う仲か?


「知りたいなら教えてあげるよ?」


南川は笑みを浮かべながら、梓の連絡先を表示した携帯を差し出した。

僕は一瞬だけそちらを見て、文庫本に視線を戻す。一見普通の笑みだがその表情が恐ろしいのは何故だろうか。

今更己に問うまでもない。理由なんて分かっているんだから。


「それはあいつに失礼だからやめとくよ。特に知りたいわけじゃないしな」

「そっか。それならそれでいいけど」


南川はしゃがみ、僕の耳元に口を近づけた。


「弥生が欲しいなら早くしなよ。じゃないと、ボクの物にしちゃうよ」


 息がかかりそうな距離だった。

でも動揺したり、焦ったりしないのは、相手が南川瑠璃だから。いや、結構頑張った結果だ。


「…‥‥」

「ふふっ」


南川は僕の髪をくしゃくしゃにして足早に出入り口に向かい、「じゃあね」と手を振って姿を消した。


「……なんなんだよ、あいつ」


やはり苦手だ。中学生の時から瑠璃はこうだった。


「はぁ……」


昨日も今日も晴天で空ばかり見ている。

そんな空は僕には綺麗過ぎたのだ。栞を挟んで本を閉じる。

そして、乱された髪を直して、そのまま寝転んだ。


 天気が良い日は嫌いじゃない。

でも、好きでもない。昔は好きだったはずなのに、

今はずっと雨だったらいいのにと思っている。

そうこうしているうちに、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

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