第6話 守りたいもののために
「……もう、門には行かなくていい」
そう決めてから、三日が経った。
卒業したばかりの僕に決まった予定なんてない。
朝は少し遅く起きて、母さんの手伝いをする。
昼は家で絵を描いたり、散歩に出たり。
夜になれば、家族三人で食卓を囲む。
それだけ。
でも――
「これでいいんだ」
そう思えた。
無色級なんて忘れてしまえばいい。
レベル上限がないとか、成長できるとか。
そんなものは、自分には関係ない。
僕は強くなれなかった。
だったら、無理をする必要なんてない。
父さんみたいに、命を懸ける必要もない。
普通に働いて。母さんと絵美と暮らして。
それでいい。
それが、僕の望んでいた生活だった。
その日の夜も、いつも通りだった。
「お兄ちゃん、醤油取って」
「自分で取ってよ」
「お兄ちゃんのほうが近い」
「……はいはい」
醤油を渡すと、絵美が笑う。
「ありがと」
「どういたしまして」
くだらない会話。
でも、僕はこういう時間が好きだった。
食事を終え、部屋に戻ろうとしたときだった。
――ガタン。
背後から、大きな音がした。
「……?」
振り返る。
「絵美?」
返事がない。
「絵美?」
急いで戻ると――
絵美が床に座り込んでいた。
「……え?」
顔が、真っ青だった。
「絵美!」
駆け寄る。
「どうした!? 大丈夫!?」
「……お兄ちゃん……」
絵美は小さな声で答えた。
「なんか……苦しい……」
母さんが慌てて救急車を呼んだ。
僕は何もできなかった。
ただ、絵美の手を握っていた。
――お願いだから。
大丈夫でいてくれ。
それだけを何度も心の中で繰り返した。
◇
病院の廊下。
白い壁。
消毒液の匂い。
長い時間が経ったように感じた。
やがて、医師が出てきた。
「ご家族の方ですか?」
「はい」
母さんが答える。
医師は少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「妹さんですが……かなり珍しい病気の可能性があります」
「病気……?」
「通常の治療では、症状を抑えることはできます。ただ……」
医師の言葉が止まる。
「現時点では、完全に治す方法が確立されていません」
母さんの顔から血の気が引いた。
「そんな……」
僕は何も言えなかった。
ただ、病室の向こうにいる絵美を見つめる。
「ですが、一つだけ」
医師が続けた。
「この病気に効果があるとされている薬があります」
「薬……?」
「ただ、一般には流通していません」
「どうしてですか?」
「材料の一つが特殊なんです」
医師が資料を見せる。
そこには見たことのない素材の名前が書かれていた。
「……王樹の雫?」
「はい」
聞いたことのない名前だった。
「門の内部に存在する特殊な植物から採取される液体です」
医師は淡々と説明を続ける。
「確認されている採取場所から考えると、少なくとも――」
一拍おいて。
「第四門【王】クラスです」
第四門【王】
必要とされるランクは――
金級上位から、白金級下位。
僕の現在のレベルは、たったの2。
ステータスだって全部6。
「……無理だ」
思わず声が漏れた。
第四門なんて。今の僕には、遠すぎる。
三日前。
僕は第一門でさえ、自分一人ではまともに戦えなかった。
レベルが一つ上がった程度じゃ、何も変わらなかった。
だから諦めた。
「僕は……強くなれない」
そう思った。
だから、門にはもう行かないと決めた。
普通に生きると決めた。
――なのに。
病室の中を見る。ベッドの上で眠っている絵美。
いつも生意気で。
くだらないことで笑って。
僕のことを「お兄ちゃん」と呼ぶ。
僕が普通に生きたいと思えた理由の一つ。
「……だったら」
拳を握る。
怖い。
今だって怖い。
第四門なんて、行きたくない。
死ぬかもしれない。
それでも――
「……強くならないと」
僕は立ち上がった。
「絵美を助ける」
三日前に捨てたはずの道を。
僕はもう一度、歩き始める。
今度は――
自分のためじゃない。
守りたいもののために。
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