陽が降る日に〈5〉

 私たちはカフェーを出てから、しばらく歩いた。天皇痔は私の育った街より格段に栄えており、気づけば高い高いビルを見上げてばかりであった。


「田舎者みたいよ、タニダ君」


 茉莉はそう笑った。田舎者だもの。私はその言葉を唾と共に飲み込んだ。


 どれほど歩いたのだろう。時計を見る気にもなれず、そう思った幾千回目の頃、私たちは大きな公園に着いた。公園と言っても、端っこに小さなおんぼろの遊具があるだけで、ほとんどは禿げかけの芝と低い柵の内に濁りきった湖。


 平日の、夕とも言えない時間帯の街から外れたところの公園。しかも、今朝は陽が降った。無論、誰もおらず、閑散としている。聞こえる音は私たちの足音と、雨が水面を打つ音だけ。私は自然に包まれ、雨が体中を差し込む環境に安らいでいた。


 すると茉莉は、手に持ったあの黒い傘を徐に広げて、さす。彼女の髪はしっとりと濡れており、顎から垂れる雫は重力に従って、芝を叩き、水たまりの一塊となった。


「ほら、濡れない」


 傘の旋毛に墜ちた雨粒は、饅頭のような形を保って外側に逃げてゆく。


「タニダ君、私って滑稽かしら?」


 私は閉口したまま、茉莉を見つめ続けている。それが最善に思えた。


「まあ、答えなくてもいいわ、判ってる」


 茉莉は傘を閉じて、傘の湾曲した尻尾を腕にかける。そうしてまた、彼女は普通の人に戻る。雨で体が濡れて、湿った空気で輪郭が曖昧になって、全てがうまくいく…。


 *


「タニダ君は家、どこなの?」


 単刀直入で包み隠さない言葉に、私は少し怖気る。


「境(さかい)市のほう」

「境っていっても広いでしょう?」

「…藻図(もず)のほう」

「へぇ、栄えてる方ね、実家?」

「ひとりぐらし」

「ふうん」


 そろそろ天皇痔駅に着きそうな頃、少し前を歩く茉莉が歩を止める。


「サグラダファミリア、高いね」茉莉は遥かな頂上を眺める。

「田舎者みたいだよ」

「ふふ、その言葉、待ってた」


 茉莉はこちらに振り返って笑う。彼女の笑顔は聖母のような優しさを帯びた、仄かなものである。ルネサンスの彫刻のような、或いは慈悲に溢れた仏像のような。


「なんで、『サグラダファミリア』っていうんだろう」

「うーん、公募で決めたとかじゃない?」


 サグラダファミリアは今年で12周年。12年前、私は大学3回生だ。記憶など、ほとんどない。(あったとして、苦いものしかない)


「別に、何でもよくない?例えばイタリアのまだ作ってる『アベノハルカス』が、『サグラダファミリア』で、あそこが『アベノハルカス』。いいじゃない」

「良くはないんじゃないかな」

「名称なんて、不確かな概念でしかないじゃない。初めからあれが『アベノハルカス』だったら、だれもなにも疑問ないわよ、きっと」


 *


 牛窓から見える流れゆく景色に私はいまいち現実を感じず、カフェーでした妄想の中だと誤認してしまいそうだ。


 茉莉と別れてから、自分の体が宙に浮いているようで、不安定である。無重力のもとにあるようで、今にも四肢が自我をもってバラバラになってしまいそうである。


 前の席では女子中生がスマートフォンで自らを撮った写真の加工をしており、誰が誰か、判らない。私はこれをかわいいと思う女子中生の思想理解し難く、こめかみが痛くなる。


〈次はー『美国ヶ岡(みくにがおか)』~『美国ヶ岡(みくにがおか)』~〉


 気の抜けたアナウンスが牛内に響き渡る。それに連動して、幾らかの人は立ち上がり、ドアの近くへと移動する。


 ――『美国ヶ岡』って、『御国ヶ崗』でも、『三国ヶ丘』でもいいわけでしょ?


 茉莉ならそういうのかもしれないな。私は、減速を始め、ゆっくりになってきた外の景色を眺めて、そう耽る。


〈『美国ヶ岡』です。『美国ヶ岡』です。〉


 完全に止まった牛はアラームと共にドアを開ける。私は漸く重い体を席から引き剥がして、牛の外に出る。


 その色眼鏡を外すことはできるのか?果たして、お前の眼鏡は、彼女の眼鏡と同じなのか?弁えろよ。お前は世界じゃない。

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