陽が降る日に〈4〉
「ここに来ることに関して、まったく問題ないけれど、どうして俺を呼んだの?」
茉莉は少し俯いて、黙る。というよりも喉で言葉がつっかえてしまっているようであった。私の耳にはキッチンからの作業音と、幾組かの話声しか聞こえない。いずれも雑音でしかなかった。
「あなたが、陽が出ているのに傘をささずに外を歩いたから、かな」
それはあまりに言葉足らずで、私の疑問を納得させるようなものではなかった。
「あなた、名前は?」茉莉がそろりと聞く。
「タニダ…です」
「タニダ君」茉莉は私の言葉を反芻して、味わうようにじっくり観察する。
「私は、吉川茉莉って言います。茉莉は知ってると思うけど」
私は顔の筋を動かさずに、肯く。そもそも、同世代の女性と面と向かって話すのは初めてである。緊張して仕方がなかった。
「きっと、さっきの質問の答えは納得してない、よね?」
私はまた肯く。今回は少しだけ眉を顰めた。どうしてわかったんだろう。
「タニダ君はさ、陽の中で傘をささないこと、どう思う?」茉莉は声を潜めて言う。
「…まあ、おかしなことじゃない?」
「おかしなこと」
「うん」
茉莉はいつの間にか運ばれていた紅茶を一口。そして、内側で押し殺したため息を漏らす。
「私は思わないかな」
思わない?
「そう、私はおかしいと思わない」
私の手は知らぬ間に汗でじつとりと仄かに濡れていて、少しの悪寒を感じる。
「私は陽を受けて歩くことは、おかしくないと思う」
どうして?
「どうしてかって?」
茉莉は背もたれに掛かって、虚ろを眺める。
「空に、鮫が泳いでる。おかしい?」
さめ?
「そう、今日の朝とかは泳いでないけれど、鮫、泳いでるでしょ?」
まあ、おかしくない。
「うめだの漢字が、埋めるにたんぼの田なの、おかしい?」
埋田?
「うん、私たちの小学校の最寄り駅」
普通じゃない?おかしいとこはないと思う。
「私にとって、陽を受けて歩くことは、タニダ君にとって空に鮫が泳いでいるのと、うめだが『埋田』って書くのと、同じなのよ」
おなじ?
私は少しの間閉口して、今までの茉莉の言葉を整理していた。そして、頭の中で陽の下を何もささずに、頭を焼きながら歩く人々を想う。しかしそれは曖昧なもので、全ての境目が不安定だ。試しに私は、埋田駅の光景を想う。
大きな建物の周りには人々がすれ違いながら歩き、髪を雨で濡らしている。ロータリーには、幾つかのボート。サイズはバラバラであるが、向きは統一されている。看板には大きく『埋田駅』と掲げられ、空には鮫。或いは海豚。遥か高いところでは鉄道が通っている。線路の上には幾つかの色の牛が停まっている。最近よく牛を利用するので、あれは特急。あれは管状線、などと見分けることができた。
「そもそも、なんでうめだって『埋田』なのかしら。」紅茶をまた一口飲んだ茉莉が言う。私のカフェオレはすでに冷え切っている。
「それは…昔ここが海で、埋め立ててできたところだから、じゃない?」
「でも、ここは梅が奇麗に咲くでしょ?『梅田』でもいいじゃない。誰も、ここが埋め立て地だなんて、現代人は誰も気にしないわよ」
私は目を細める。奇麗な顔とオーラを持つ茉莉から発せられるのは、奇天烈な理論。五感をどれか封じないと、キャパオーバーしてしまいそうである。
「うーん、それで君はどうして俺をここに呼んだの?」
私は、私自身の心の蟠りを一刻も早く取っ払いたかった。
「それは、タニダ君が私と同じ境遇で、このおかしな世の中に反旗を翻すきっかけ、つまりファースト・ペンギンだと思ったから、かな」
私はその答えを受けても、鳩尾辺りが未だ圧される感覚は消えなかった。
「俺が、陽を受けて登校したのを見て、そう思ったの?」
「まあね」
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