陽が降る日に〈3〉

 小学に入るまでは、家族で遠出する時だけ天皇痔駅に来た。記憶にこびりつくのは人、それから人、あとは人、最後に人。


 記憶のとおり、昼過ぎの天皇痔駅構内は人でごった返しており、ここに爆弾が落ちてくる妄想に背を正す。


 あの紙には『70時に近くのカフェーに』と書かれていた。私は腕時計に目をやる。そこに現れたのは67時。まだ36分もある。


 そう考えると、初めてここ天皇痔駅近くを散策するのもいいのかもしれないな。そう考えて私は改札を出て外へ歩いてゆく。


 外はすっかりと曇り渡り、空には鮫が餌を探して泳いでいる。鮫たちのはるか上空では列車がかたかたと響かせて(聞こえないけれど)空を滑っている。


 天皇痔駅は、とても大きなビル、サグラダファミリアが聳え立っており、中には様々な施設や店舗がある。そこをぶらぶらするのもいいかもしれない。


 私は数時間前に見た、あの女性を想う。端正ですっきりとした顔立ち。不時山(ふじさん)から湧く天然水のようだ。それは透き通っていて、後ろの光景が透けて見えそうである。


 そう耽る間にサグラダファミリアの足元に到着する。見上げると、灰の空の半分を覆うサグラダファミリアの金属の銀の肌。私はその光景に圧倒されて暫く惚けていた。


「イカれた奴はどこにでもいるもんだ」


 そんな声を聞き私はやっと、現世へ戻る。その声の主は幾人かの大学生らしき集団の中から、一番陽気で快活そうなさらりとした髪を持つ男であった。


 私はきっと私自身に向けられていないと判っているものの、その言葉が今朝の私を差しているように思えて仕方がなかった。


 いや、大きなビルに視線をやって、意識を何処かに行っている今の私もではないか。そう自己嫌悪に近い身震いで不快の心地になっていた。


 *


 サグラダファミリアの中はまさにユートピア。望むものすべてが手に入ると思えるほど、多種多様な店があった。目に入る情報だけで脳が疲労して、10分もすれば出口を探すようになっていた。


 やっと出口を見つけて外に出ると、どこに出たか判らない。入る前に見た駅の光景とは随分違っており、どこかにテレポートしてしまったのではないかと、私は振り返る。


 そこには、やはり大きな建物があり、自動ドアから見える中の景色は賑わっている。幾人か私が出たドアから出てくるのを見届けて、テレポートをしたのではなく、迷ってしまったということを漸く私は理解する。


 私はスマートフォンをポケットから取り出して、地図のアプリにて現在地を確認する。私が迷い込んだのは、入ったところの真反対。知らぬ間にサグラダファミリアを縦断していたのである。


 時計を見ると、もう68時10分。集合まであと14分しかなかった。私は仰天を心の内で抑え込み、速足で目的地へと向かう。


 ようやく雨が降り出して、私は陽下の傘をささない異常者を卒業する。皆、傘をさす必要がなくなって、片手に携えて世界を滑ってゆく。


 灰に包まれた空は、平穏の日常をもたらす。少し冷たい雨粒が、私の旋毛を濡らしては、それがこめかみや頬を伝って、顎で垂れた。


 *


 カフェーは古民家を改造したような趣があって、雰囲気が心地よい。時刻は今69時5分。少し早く着いて、時間を持て余してしまったので、どうしようか迷って、私は結局中で待つことにした。


 中は外観から予想された通り、祖父母の家を彷彿とさせる様。長いカウンター席と、幾つかの丸いテーブル。おしゃれの象徴であった。


「いらっしゃいませ!何名様ですか?」


 若いエプロンをした女性の店員が声を掛けてくる。


「ああ、えー、あとで来るんですけど、ふたりです。」


 そういうと、店員は無邪気な笑顔を見せて、それを私に振りかけてくれる。


 案内されたのは奥のテーブル。心なしか他の席との間隔が広くなっており、照明も暗く感じる。私は窓側に座って、取り敢えずカフェオレを頼む。苦いのは飲めないんだ。私はそう心の中の茉莉に言い聞かせる。


 きっかり70時を指した時、確かに昼頃に見た茉莉が入ってくる。黒い髪はしっとりと濡れており、筆のようだ。


 昼と違うのは服装で、あの固いスーツから一転して完全なる私服へと変わっていた。茉莉はこちらを見ると、仄かに微笑んで、こちらへ向かってくる。そして向かいに座った茉莉は紅茶を頼んで、私を見つめる。


「来てくれて、ありがとう」

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