• に登録
  • 現代ドラマ
  • 詩・童話・その他

大好きな人たちの天才ぶりを愛でる

 数々の天才たちをみてきた。彼ら、彼女らの「作品」を愛してきたな。でも、才能がある、天才だ、とわれが認め、本人もその作品の出来に対してはいささかの自認も持っていただろうに、それでも、金がわんさか溢れているようには見受けられない天才たちを数多くみてきた(大槻ケンヂ(以下、いかに天才であろうとも敬称略々)ですら、わんさかの金ではなかったことを、「サブカルで食う」の著書で明らかにしていたな)。
 
 みんなが評価するから天才なんだ、と思ったりするのではなく、自分が評価して影響を受けて、本人を前にすると緊張して口下手になってしまうような、そんな人とその人の作品を、これからも愛でていきたい、大切にしていきたい、ということだ。

 緊張といえば、ぼくがピュアなパンクキッズだったころ、神戸のライブハウスでYELLOW MACHINEGUN を目の当たりにして、喜びに打ち震えてしまって端っこで腕組みをし、直立して、全身耳にして聴いていたことをすぐに思い出す。いま思うと自分は変な客だったなと思う。
 グルグル映畫館もそう。

 金の匂いがしないから、みんなが酷評するから、などという理由では、ぼくにとっての天才たちはいささかも価値を損なわない。
 これからも感銘を受け、好きであり続けるんだろうな、きっと。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する