• 歴史・時代・伝奇
  • SF

偽典尼子軍記 閑話 ポルトガル人コック

 なんということだ。ジパングが造ったガレオン船に撃沈されただと。おれは夢でも見ているのか。夢だと思いたいが冷たい海水と風が情け容赦なく身体の自由を奪ってゆく。歯がガチガチとなる。私はここで死ぬのか。
 何かが近づいてくる。ボートだ。ジパングの船からボートがやって来て、海に落ちた奴らを拾い上げている。死にたくない。必死にボートにしがみついた。ああ。死なずに済んだようだ。

 拾い上げられた俺達はそのまま船で連れて行かれ、程なく港で降ろされた。周りをジパングの武士に囲まれ勝手をすることは出来なかった。命は助かったがよくよく考えれば、私達は奴隷として売られることになるだろう。海の冷たさに耐えきれず助け舟に乗り込んだが、あのまま死んでいたほうが良かったのかもしれない。尼子は悪魔だと神父が言っていた。そう思うと力も出ず、心が塞ぎ込んでいった。

 違う船に乗せられた。何処に連れて行かれるのか…次に降ろされたのは前の港より多くの船が泊っている港だった。リスボン程ではないが船がひっきりなしに出入りする。そのまま町の外れまで連れて行かれ建物の中に入れられた。ここは奴隷収容施設なのか。一日ほどいてこの施設は『ラザレート』(検疫所)らしいと思った。普通に食事が出る。そして特に驚いたのは風呂に入ることだ。毎日風呂に入れられた。こんなに風呂に入ると病気になるのではないかと怖くなった。しかし武士たちが必ず風呂に入ることを強制してくる。嫌だというやつは殴られていた。なので渋々風呂に入っていたが…四日もすると入浴の気持ちよさがよく分かった。これは良い。ジパング最高だ!

 一週間ほど過ぎた頃、施設を出されることになった。また船に乗せられる。今までいた所はユノツという町だったらしい。そしてこれからヤクモに行くという。次の港も船が多い。一体いくつ港を持っているんだ。今度は町の中に進むことが出来た。明の商人たちが多く歩いている。ん?あれはネーエルランデース(オランダ人)か?なんでこんなとこにいるんだ。暫く歩くと大きなテンプロ(寺院)に連れて行かれた。キズキテンプロと呼ぶらしい。礼拝を教えられ行えと指示された。私は悪魔の使徒にされるのか!怖くてたまらなかったが横いる武士に殴られるのは嫌なので教えられたとおりにした。しかしよく見ると悪魔のテンプロには思えない荘厳な佇まいをしていた。

 そこから結構歩いていくととても大きな町にやって来た。遠くにカステロ(城)が見える。ヤクモカステロというらしい。そこに向かう真っ直ぐな一本の道を歩いていく。道に並んで露天が立ち並ぶ。これは凄い。メルカード(市場)だ。リスボンにも劣らない。魚、野菜、布、鉄器…色んなものが売られている。悪魔の国はなんと豊かなのだ。ここで新たな食材をみつけ料理を作るのも面白いと思った。城の方から人たちの大きな声が聞こえてきた。若い女たちの叫び声も聞こえる。その声のほうを見ていると高い櫓がやって来てその上に若い女が三名ほど乗っていた。周りに人だかりができて皆が熱狂している。これは魔女のサバトか、昼間から堂々と魔女が闊歩し人々を惑わせている!しかしみんな楽しそうだった。なんか違うなと思った。

 その日の夜、風呂付きの宿舎に入り食事後集められた。明の通訳がやって来て話を始めた。なせキャラック船に乗っていたのか、船で何をしていたのか、船に乗る前は何をしていたのか、ポルトガルに帰りたいかなどを聞かれた。そのような取り調べは二、三日かけて全員に行われ、終わってからは数名づつ連れ出され町の見物に連れて行かれた。私は食べ物の市場をもっと見たかったので通訳に頼んでみると、武士は許可してくれたのでほぼ一日中食材を見て歩いていた。

 そんなこんなで数日過ぎ、どうも奴隷として売られる心配はないなと思い出した頃、また全員が集められた。前と同じように通訳が話し始める。我々はここで解放されることになる。唐船に乗ってマカオに行くこともできる。豊後に行きたいなら行けばいい。少しばかりの路銀も与えてやるとのことだった。ここに残りたいなら残ってもいい。今にポルトガル商人もやってくるだろう。どうするか明日まで決めろということだった。
 だがこれから呼ぶ者は別に話がある。俺は呼ばれてしまった。

 他に呼ばれたのは商人と楽士、理髪師だった。私達は遠くから見るだけだったヤクモカステロに連れて行かれた。近づくほどにカステロの威容が俺を包む。なんと大きく立派な建物なのだ。悪魔の城には見えない。気高さすら感じる…
 そして城の中の立派な部屋に連れて行かれた。
「尼子の王、尼子義久様がお越しになります」
 通訳が話した。オウだと。やって来た若者はレイ(王)の威厳をまとっていた。これが神父の言っていた悪魔なのか?どう見てもそうは見えない。
「お前達、尼子に仕官する気はないか。俺はぜひお前たちを召し抱えたい。長崎に新たな町を作るのだがそこで働いてほしいのだ」
 こう言った後、なんと一人一人に通訳と一緒にやって来て直に話を始めたのだ。私の顔をしっかりと見て話し、通訳の言葉も真剣に聞き入れている。
「どうだ、俺に仕えないか」"E então, quer servir-me?"
 ...rei(王)に仕えるというのか?
 真摯な眼差しに魅入られるように私は答えた。
「...Sim, senhor.(はい、お殿様)」
(この男は人ではない。神父の言う通り悪魔だ。しかし私の魂は眼の前の悪魔の手の中だ)

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する