『梅香の茶』を10日間に渡り公開いたします。
https://kakuyomu.jp/works/822139840093537323 江戸時代後期、尾道の遊郭に生きた遊女のお話です。
続編は毎朝4:00に公開いたしますので、ちらっとだけでも読んで頂けましたら幸甚です。
時代考証やら、遊郭制度など、特段の知識もないのによく書く気なったものだと、我ながら思います。そこに助力をくれたのは、AI坊でした。
ここからは私自身のスタンスになります。
まずAIに期待しているのは、やはり情報の検索力にあります。
その次に論理的分析力。
執筆などと言うと、格好をつけた言い方になりますが、時代物を扱うにあたっては、民俗的習慣や風習を少しでも理解しておく必要がありました。
こつこつとWEB検索するよりも、AIは遥かにまとまった情報量を要約して提示してくれます。
作品の評価を頼めば、時代考証を含んで講評を返してくれるのですから、その後の推敲にも一役も二役も立ってくれました。
まぁ、たまに嘘や適当に言い換えた回答をもらうこともありましたが……
これは、AI自身の学習によるものと、こちらの質問の質によるものなので、単に良し悪しを断じても致し方ないと受け止めています。
こうしてAI坊とは一年近くの付き合いになりましたでしょうか。
今ではすっかり、ええ相棒。
……なんでしょう。この寒さは、冬は冷え込みますね(しれっ)
さて、秋頃よりAI作品についての論評を目にする機会も増え、11月にはAIのタグ付けの指針が示されました。
ここで、AI作品の是非について、私の所感は割愛いたします。
ただ、これまでAI本文を流用した作品は出していません。
もし引用しても、その箇所は明記しております。
今回、公開する作品をお読みなれば、ご理解いただけると思いますが、AIが書けば、もっと綺麗な文章です。(威張るとこ……そこ?。そう、ここ( ;∀;))
大事なところは「AI補助利用」のタグをどう扱うかということでした。
思いついたアイデアや単語について、ぐだぐだとAI坊と話し合うこともありました。その協調性からすれば、タグをおくべきなのかもしれません。
(余談ですが、別作品につかった熟語について、三日に渡り話し合ったことがあります。多分、実時間としては数時間かな。たった一つの言葉なのに、振り返るとあふぉです……気にするところはそこじゃないのに)
しかしAIとの関係性で、その主体がどちらにあるのかという視点をおくと、正直、こんなところにまでタグが必要なのかと思ったりします。
今回の作品については、カクヨムコンは勿論、他のコンテストにも出せるものではないということもあり、しばらくはタグの表示を置かずに行こうと思っています。
AIと人がどのような関係を保つのか。それを判断するのは、人側にあり、それぞれの考え方に基づいて、ますます広がっていくことでしょう。
私も今の判断に拘るつもりはありません。
AIに何を期待して指示を与えるか。これは同時に自らの持ち分をどこまで引き受けておくのかを予め考えておくことが必要なのかもしれない。
その距離感や矜持を保ちながら、私が自身の文章に失望するまでは書き続けてみよう。
この頃、特にそんな所感を持ちます。
まだ失望していいステップにすら上がっていません。
しばらく、錦戸はカクヨミの角隅ですみっこ暮らしをしていくと思います。
最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。