『正常な医療』前編・後編、お読みいただきありがとうございました。
本作はもちろんフィクションです。
現在の医療環境、法律、制度などを踏まえ、「考え得る最悪な経過をたどる症例」を想定し、物語へ落とし込みました。
仮に、真城が告発しない世界線があったとすれば──
ラベンダーの里に残った大河内老人に対し、園崎は骨折整復そのものを行わず、初手から苦痛を最小限に抑える緩和的な医療を選択していたはずです。
真城が第27話で『何をする気だったのかは真城には容易に想像がついた。』その医療行為です。
園崎宗一郎と鈴木医師。
どちらも「医療指針」や「法の条文」に従っている。
どちらも悪意は全くありません。
では彼らの違いとは何だったのでしょうか。
1. 目的と予見性の違い
園崎: 手術がもたらす「混乱・再骨折・泥沼化」を予見し、骨折整復という医療のエゴを捨てて「尊厳の保護と苦痛からの解放」を選ぶ。
鈴木: 「折れた骨を直す」という目の前の病変に向き合い続けた結果、その治療の先にある生活と破滅が見えていなかった。
2. 患者をどのように見ているか
園崎: 患者を「かつて社会を支えた対等な人間」として見つめ、惨めに縛り付けることを選択しない。
鈴木: 患者を「リスクのある扱いにくい病変」として処理し、手続きの対象としてしか見ない。
3. 責任と保身の違い
園崎: 法を武器として使いこなし、家族の罪悪感を上書きするためなら、自ら泥をかぶる「悪魔の狂気」。
鈴木: 法を防具としてしがみつき、正論と自己保身で結果的に家族を追い詰め、ルールの陰に隠れる「正常な医療」。
片や、痛みもなく穏やかに見送られる世界線。
片や、何度も骨を砕き、医療スタッフや関連施設を疲弊させ、結局最後は薬の大量投与しか選択肢が無くなる。そして家族まで自殺へ追い込む世界線。
「人を助けるための正論」が何を焼き尽くすのか。
このふたつの対比から、何かを感じ取っていただけたなら幸いです。
次回:最終あとがき 『愛が壊れる前に ここへ』完結へ