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「こうして過ごす時間自体があなたにとっては苦痛なんだというのも知りました。
理解もしたつもりです。貴方がこれで苦しむのは判っているるのに、それでもつきあって欲しいと思った。
思ってしまったんです。「楽しい記憶を厭い」嫌悪するあなたに、一緒にはしゃいでほしいと思ってしまった」
それは、――昼間の僕の言葉か。
変化なんて望んでいない、起伏なんていらない、特別なんか求めない。
ただの現状維持で良いんだから。
どうせそれさえも叶わないことが判っているのだから、と。
「あなたは、いつもどういう訳か自分と自分の気持ちを塵屑のあるかのように扱いますよね。――それに対してわたしがどういった考えを持っているのか、もう一度知っておいてもらいたかった。」
「そ、それは――僕でも、自分の身の程くらいは知っていますから」
「この間だって、あなたは命を懸けてわたしに勝利への道を開いてくれた。あなたこそが勝利の鍵でした」
あれは……そこまで感謝してもらう程の事ではないか。
僕は精々〝一ノ太刀〟発動への時間を稼ぎ、ウィッチをその射線上へと誘き寄せただけの事だし、結局ウィッチを倒したのは当然ながらくおんさくんだ。
「わたしは心配しただの危ないことをしただのと怒ってばかりで、感謝の言葉もまだでしたね。せっかくだから今言わせてください。ありがとう、一緒に戦ってくれて」
「――い、いや、その時も言いましたけど、僕はあなたがいないと生きていけないんだから」
そう、僕はただ、
僕は、ただ自分が生き延びる確率を引き上げたいが為に、くおんさんを利用しているだけだ。
僕は生き汚い、自分だけが可愛い身勝手な男だ。
そうでなくては、いけないのだ。
「だから、気にすることは、――貴方が恩に感じることなんて、何ひとつないんですよ」
「――それも違う。あなたも、それにあなたの感情も、無価値でも異常でもない。わたしはそう思う」
くおんさんは静かな口調でそう言い、続けて、
「世の中に、桜の花のなかりせば、春の心はのどけからまし。――業平の歌です」
と、三十一文字を口ずさんだ。
「もし、この世に桜の花がなければ、それを見てきれいだと思うということや、誰かと一緒に見るのを楽しいと感じることや、そんな幸いが続くのを願ったりすることがなければ、心細さも寂しさも決して感じずにすむだろう。そういう気持ちを込めた歌」
かなわないな、と思う。
こういう言葉がさらりと出てくるのだから。
「貴方は何も特別ではないし、それが異常な思想であるとは、少なくともわたしは思いません」
「……い、いや……だな、くおんさんに。――あなたに、」
あなたに何が判るって言うんですか?
その言葉は、ぎりぎりのところで唇の中で消えた。
それはもしかしたら、僕が最初で最後に、この少女に憎しみと言うものを覚えた瞬間かもしれなかった。
口の中が乾いていることに気付いた。桜茶を一口含み、口腔を湿した。
こんな感情など、彼女が慮る必要などないし、それこそ僕が持つ必要がない。
「一つだけ。聞いてもらえますか? 何故、こんなことを言うか、というと」
けれど、まだ彼女の言葉は終わっていない。
「それは……わたしもそう思うからです。前にもこの景色を見ました。その時に楽しいと思ったし、幸せだと感じた。けれど、もうそれは遠くに過ぎ去ってしまったし、望んでももう二度と戻ってこない」
望んでも、叶わない。
叶ったところで、自分にとってろくな結果を産まないということは判っている。
辛い、痛い、苦しい、哀しい。
そんなものしか残らず、そして最後にはそれすら残さず消えてゆく。
ただ、すぎてゆくだけなのだと。
判ってはいるのに、拒みつつ、目を背けつつ、それを望んでしまう。
僕も、多分この子も、そういう無いものねだりをしているのだ。
「わたしにも、そう思うことがありました。この景色も、本当はカーテンを閉め切って、見るつもりはありませんでした。……でも今はこうしている、それを楽しいと思っている。あなたがいたから、わたしはこんな風に過ごしたいと思いました」
彼女が、この景色とこの時間にどんな思い入れがあったのか、僕は知らない。
でも、これはきっと彼女にとって単に美しいものではなく、とても尊く、そして今はもう戻らない、何か大切な記憶と直結するものだったのであろうと思えた。
だからこそ、これほど心の強い子がその記憶からずっと目をそらそうとしていたのかと、痛ましいようにも感じ、ならばそれはどれほど彼女の中で重かったのだろうとも思った。
「そのことには、感謝してもいいですよね?」
顔を上げたくおんさんは、いつもの、――と言っても穏やかな時の、大人びて見える中に品の良さが感じられる微かな笑みを見せていた。
「毎年見ている桜ですけど、今年はいつもよりきれいに見えます」