• 現代ドラマ
  • ホラー

改稿前原稿保管庫 第30話 別れた【薔薇食む】

 19本の青薔薇が並ぶ、部屋。

 ナギサちゃんの寝顔に、見惚れている。
 何時間経っても、飽きない。

 寝息が、耳をくすぐる。
 安いシャンプーの芳香が、鼻を抱き包んだ。

 上下する胸が、止まった。
 真珠貝のような、まぶたが、目覚めていく。

 
「……おはよう、ございます」
「うん。おはよう」


 眠たげな声に、気の抜けた手足。
 背伸びをする姿を、深呼吸しながら、みつめる。


「ナギサちゃん、今日もかわいい」
「どうしたんですか? 恵巳さん、ちょっとおかしいですよ?」
「ねえ、私たち、出会ってどれくらいだっけ?」


 10回以上、繰り返してきた、質問。
 答えは、毎日、減っていく。


「え、まだ2週間ぐらいです、よね……?」
「そう……だよね……」


 震える腕で、痩せた体を、包み込む。
 涙は、出ない。体も理解してる。目を拭う時間すら、もったいない。
 
 今日は、最後の日。


「えっと、どうしたの、ですか……?」
「ごめんね。全部、話すから……。もうちょっとだけ……」
「恵巳さんは、甘えん坊ですね」


 落ち着いてから、私は告げた。
 ナギサちゃんは記憶喪失であること。
 
 最初は不審がられたけど、体の絵日記をさらすと、頷いてくれた。


「それでね。今日が、最後なの」
「……そう、ですか」


 明日のナギサちゃんは、他人になる。


「とりあえず、朝ごはんを食べませんか?」
「……そうだね」
「腕によりをかけて作りますよ」


 味噌汁に、焼き鮭、サラダ。
 口に含んで、箸を持つ手が緩んだ。


「ねえ、ナギサちゃん」
「あれ、口に合いませんでしたか?」
「ううん。とってもおいしいんだけど……」
「では、どうしたんですか?」
「私に合わせて、味を変えてた?」


 彼女は困り眉を作りながら、お茶碗を持ち上げた。


「あたしだったら、絶対に変えますね」
「……そっか」
「ああ、悔しいです。昨日のあたしだったら、もっと恵巳さんにあったお味噌汁を作れたんですね」
「ううん。ありがとう。ナギサちゃんの味、すごく、いい」
「本当ですか?」
「うん。沁みる。ごちそうさま」
「……お粗末様です」


 食卓を片付け、雑談する。
 内容は、過去の話ばかり。いや、ナギサちゃんにとっては、未来だ。

 受験。
 入学式
 誕生日パーティーに、プール。
 夏休みの、監禁生活。
 文化祭の話では、声がしきりに詰まった。

 最後に、体に沁み込んだ、誕生日プレゼントの存在を伝える。


「……ふふふ」


 鏡を前に、微笑むナギサちゃん。


「どうしたの?」
「あたし、今、すごく楽しいです」
「そう、なんだ」
「必死な恵巳さん、かわいいです」
「……ナギサちゃんって、意地悪だよね」
「本心ですよ」


 30分以上。
 彼女は、アルバムを眺めてから、深呼吸した。


「薄くなってますね」


 10個以上のハートが描かれた、薬指。結婚指輪のように撫でながら、ナギサちゃんが呟いた。


「……どうしようもない、かな」
「もう一度、書きませんか?」
「え、今日一日、使い切っちゃうよ?」
「それでも、必要なことだと思うんです」
「……そっか」


 お互いに服を脱ぎ、マーカーを滑らせる。
 指が、震える。
 何度も、視界がにじんだ。
 でも、言葉もかわさず、夕食も忘れ、作業を続ける。

 私たちに許された、唯一の、抵抗。

 完成した頃には、日を跨いでいた。

 出来栄えを確認する前に、ナギサちゃんが横たわる。


「……すみません。眠く……なって」


 膝枕をして、絹のような髪を撫でる。


「ナギサちゃん。お休み」
「あたし……」


 瞳が、まどろんでいく。


「出会った時のこと……覚えて……いますか? 恵巳さんにとっては、1年以上前のこと……なんですよね?」
「忘れるわけ、ない。ずっと脳に焼き付いてる」
「ふふふ。嬉しい……です」
「……うん」
「もう……好きに……死ねよ」


 私が、ナギサちゃんに告げた言葉。


「あたし……恵巳さんに言われて……すごく驚いて……自分の殻が壊れて……嬉しかった……です」
「……うん」
「だから……明日のあたしにも……言ってあげて……ください……ね」
「……うん。約束する」
「あぁ……。恵巳さん……一緒に……」


 寝息が響くと、同時に。
 彼女の頭から、つぼみが膨らんだ。

 まるで、葬式のような静けさの中、咲いた。

 20本目の、記憶を吸い取る、青薔薇。


「……ナギサちゃん」


 お焼香のように花を摘み取ると、足音が聞こえた。
 玄関の前で止まる。チャイムは、鳴らない。


「ごめんね。私、もう、耐えられないんだ……」


 キッチンを通り、ドアチェーンを、外す。
 扉の先には、ナギサちゃんママと、知らない男。

 音が消え、視界が止まり、体が重力へとけていく。

 気づいた時には、ふたりの姿が、消えていた。
 部屋に戻ると、広がる。
 ナギサちゃんのいない、世界。


「ねえ」


 返事は、ない。


「…………一緒に、死のう、ね」


 あの子がいたベッドに、顔をうずめる。
 ぬくもりは、ない。
 彼女の体は、冷たかったから。


「……私だけの、ナギサちゃん」


 もう、叶わない、願い。

 瞳を露出させたまま、私の肉体は、静止した。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する