〔ARIZONA〕ウィリアムズ ダイナー『ルート66』/同日・午後九時
ダイナーの席に着いた瞬間、ヴェッキーはメニューを両手で持った。
両手で持たないと、破れそうだったからだ。
「……全部くれ」
「は?」
ウェイトレスが真顔になった。
「全部だ」
「メニュー、二十八品あるんですけど」
「知ってる」
向かいの席で、ミリアーナが額を押さえた。
「アンタ、契約書読んだ? 食費、日当から天引きって書いてあるでしょ」
「読んでねぇ」
「読みなさいよ! ……まあ、読んだところで理解できたとは思ってないけど」
「腹減ってんだよ」
「知ってる。あんたの胃袋、査定官より格付け厳しいもんね。何でもE級判定して片っ端から平らげる」
ヴェッキーは、指で「1」から「28」まで順番に押していった。ウェイトレスのペンが、追いつかなくなった。
「あの、ハンバーガーとハンバーガーデラックスは同じ人が一緒に頼むものじゃ……」
「違うのか」
「違います」
「じゃあどっちも頼む」
「それただの二個です」
「いいじゃない、どうせ協会の金じゃなくてこのバカの日当から引かれるんだから。破産するのはこのバカで、私は困らない」
「おい」
「事実でしょ」
マークは、少し離れた席で手帳を開いていた。肋骨(ろっこつ)を庇(かば)いながら、律儀に背筋を伸ばしている。
「差し出がましいようですが」
「あ?」
「経費精算上、二十八品は稟議(りんぎ)が通りません。前例がありません」
「じゃあ二十七だ」
「そういう問題では」
「二十六」
「引き算の話をしてるんじゃないんです」
ミリアーナが、横から口を挟んだ。
「新入り、無駄よ。この男、稟議とか前例とか、字面すら理解してないから。腹が減った、しかない生き物なの」
「原始的ですね」
「褒めてないから」
ヴェッキーは、しばらくマークを睨(にら)んだ。それから、諦めたようにメニューを閉じた。
「……トマトジュースは」
「置いてないです」
「は?」
「V8ならありますけど」
「それは何だ」
「野菜ジュースです」
「トマトも入ってんのか」
「入ってます。八種類のうちの一つとして」
ヴェッキーは、しばらく無言でメニューの裏表を見た。
「……八分の一かよ」
「八分の一です」
「薄いな」
「知りません」
「世界のシステムがそもそもアンタの好みに合わせて回ってないのよ。トマトジュースが常備されてる店だけ選んで生きてたら、この国、半分の店に入れないから」
「うるせぇ」
「うるさいのはどっちよ」
結局、V8を三本注文した。運ばれてきた瓶を見て、彼は少しだけ表情を緩めた。緩めたことに、自分でも気づいていないようだった。
◇
「ねえ、あんた」
ミリアーナが、ジャーキーを齧りながらマークに顔を向けた。
「新入りにさ、一つ聞いていい?」
「はい」
「なんで柵、越えたの」
マークは、水のコップを持ったまま止まった。
「規則違反ですよね。E級観察任務中の非戦闘員が、暴走個体の現場に接近するのは」
「規則の話、してないんだけど」
「……そうですね」
彼は、コップを置いた。
「分かりません。気づいたら、越えていました」
「ふうん。模範解答ね」
「模範解答、というのは」
「協会の研修で叩き込まれる台詞よ。『気づいたら動いてました』『使命感からです』。本音を隠すときに、みんな同じ嘘をつく。上の連中は、それを美談って呼ぶの」
「……嘘は、ついていません」
「じゃあ本音で言い直しなさいよ」
マークは、しばらく黙った。
「……あの子を見捨てたら、私は、二度と自分の書く報告書を信用できなくなると思いました」
ミリアーナは、ジャーキーを噛む手を止めた。止めて、それから鼻を鳴らした。
「一年目にしちゃ、上出来ね」
「私は研修生です。一年目でもありません」
「同じでしょ。どうせみんな、二年目には擦り切れて、三年目には数字でしか物を見なくなるんだから」
「随分な言い方ですね」
「実体験よ」
このやり取りが、この後三十分続くことになるが、それはまた別の話である。
◇
注文の品が、次々に運ばれてきた。
ヴェッキーは、皿を並べる速度より速く食べた。ウェイトレスが二皿目を置く前に、一皿目が空になっている。
「……速いですね」
マークが、思わずつぶやいた。
「腹減ってたっつっただろうが」
「肩に受けたダメージの直後にしては、食欲が」
「関係ねぇよ」
「関係あるでしょ普通は。まあこの男の場合、内臓の位置より先に胃袋の心配をしたほうが早いけど」
ヴェッキーは、口いっぱいのハンバーガーを飲み込んでから、こう続けた。
「食えるうちは、食っとくもんだ」
「なぜです」
「……食えなくなる日が、そのうち来るからだよ」
場が、少しだけ静かになった。
「暗いこと言うじゃない」
ミリアーナが、ぽつりと言った。皮肉というより、ただの本音のようだった。
「事実だろうが」
「事実は嫌いじゃないけど、ダイナーで言う話じゃないでしょ」
彼女は、ジャーキーの袋を、テーブルの真ん中にどさりと置いた。
「はい、これも足して。奢りね」
「あ?」
「今日、頑張ったからよ。あんたも、新入りも」
彼女は、ぶっきらぼうにそう言うと、そっぽを向いた。頬が、ほんの少しだけ赤い。
「……別に、感謝とかじゃないから。単に、この後アンタが行き倒れて運搬費が余計にかかるほうが、私にとって損だってだけ」
「言われてねぇよ、何も」
「うるさいわね! 素直に受け取れないなら返しなさいよ!」
「もう食った」
「早っ」
ヴェッキーは、ジャーキーを一本掴んで齧った。硬い。硬いが、悪くなかった。
窓の外では、ルート66の看板が、夜の光を反射していた。三十年前に死んだはずの道が、今夜も、ちゃんと誰かを迎え入れている。
「……悪くねぇ夜だな」
誰にともなく、彼はそう言った。
「珍しく同意するわ」
ミリアーナが、そう返した。憎まれ口の合間に、ほんの少しだけ、素の声が混じっていた。
答える者はいなかったが、聞いていない者もいなかった。
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☆作者より☆
このお話がおかげさまで6,000PVを超えました。ここまで読んでくださった皆さまへの、ささやかな御礼として書いた箸休めの一編です。
これからも、ヴェッキーたちの旅を、よろしくお願いいたします。
