創作の後書きみたいなもの書きました。エッセイ集の方に。ただ、どうしても語りたいことなのでこちらにも載せます。
私はどこかおかしいのかも知れない、なんて思う事ってありませんか。私はあります。凄く凄くあります。おかしいとまでは仮に言えずとも、ズレていると言いますか、ボタンを掛け違えていると言いますか。私自認は百合物書きなんですが、一方で問題のある家族とか性被害のお話とかやたら書いてると思うんです。それも私小説だか何だか分からないような調子で。何でそんな作品を描くかと言えば、そう言う世界を知っているからなんですが。何で知ってるかはごめんなさい、言いたくないんですけど。
それはさておき、そう言う世界を知っているからと言って、問題のある家族とか性被害のお話とか大々的にしないじゃないですか。だってそう言うお話ってある種のタブーなので。ひっそりと胸にしまっておくか細々描くのが暗黙のルールみたいなところ、あると思います。なのに私は大々的に書く。企画にも参加するし、企画を立てたりする。露出を増やして目に留まらせようとアピールしてる。
それってどこかおかしいんじゃないかと思う事もあります。距離感バグってると言いますか。承認欲求強すぎないと言いますか。わかってはいるんですけど、やめられないんですね。どうしてもそう言う世界があると知って欲しいと言いますか。啓蒙だなんて大それたものではないんですが。私の知る地獄を知って欲しい、共有したいと言う思いは強くあります。まあ、そもそも私の知る世界如きを地獄と呼ぶことすら烏滸がましい部分は強くあります。
だって私の知るお話で死者は出ていませんから。死んでいませんし殺されてもいませんから。こう言う作品の存在がバレたら別ですけど。性被害だって数ある話で無くとも無い話でもありません。こんな世界ありふれてるって言い方も出来ます。それにそう言う地獄でも教育は与えられたりしてます。望んでも受けられ無いような高等教育まで。そんな恵まれた世界の人間が、地獄という言葉を軽々しく使うべきでは無いというのは強く思います。
ただ、ここで問題となるのは客観では無く主観です。私にとって、私の知る世界は地獄でした。私はこういう地獄を語ることで知って欲しいんだと思います。見つけて欲しいんだと思います。進撃の巨人でベルトルトが、誰か僕たちを見つけてくれと泣いていたように。私はただ、見つけて欲しいのです。泣いている私たちを。救ってくれとは思いません。ここが私の住処です、というのはカッコつけですが。私は前に進めません。後ろばかり振り返って生きてます。でもそんな私だって見つけられたいから、色んなお話をかくのです。なんてね。